独尊サバイバー

#1

 薄暗いコンテナの中で、フィリップ・ランスローは解放の時を待っていた。


 特に計画をしたわけではない、突発的な行動である。大人の尺度に当て嵌めれば、それは“家出”に数えられるだろう。気に入っているコートのポケットに路銀を詰め込み、それ以外は身一つでコンテナに忍び込んだのだ。


『……ラン様。本当に、良かったんですか?』

「うるさいな……。二度と帰らないって決めたんだよ。覚悟はとっくにできてるんだって」


 うずくまるフィリップを心配するように、彼の傍らで浮遊する四足歩行の獣が声を発した。それは燕尾服めいたモノトーン模様のバクで、彼の召使を気取っているのだ。


『目的地は、極東の島国でしたっけ……。“アルカトピア”とかいう、伝統も何も無い新しくできたような国ですよ? もっと近くの国なら身分も利用できたのに……勿体ない……』


 フィリップは苦い顔をした。彼が家を出た理由がそれなのである。父親の身分だけは絶対に継ぐ訳にいかないのに、彼の権力に庇護されるなど真っ平だ。

 新天地で、孤高に生きる。その目的を果たすためなら、名前も棄てるつもりだ。

 彼はポケットから数枚銀貨を取り出し、コイントスをする。父親の財産を路銀に使うのはしゃくだったが、彼の懐に少しでもダメージを与えられれば、と思って盗んだものだ。彼はコインの模様を一瞥し、肖像が描かれていない裏が出ることを願った。


 揺れるように不規則な振動が止み、地の底から響くような振動へ変わる。どうやら陸地に到着したようだ。彼は立ち上がり、屈伸した。


    *    *    *


 忍び込むのも容易なら、抜け出すのも容易だった。フィリップはハイウェイの傍を歩きながら、地上の様子を伺う。

 自然溢れていた故郷とは異なり、ビルが林立する夜景が広がっている。降り頻る雨が巨人めいたシルエットを濡らし、遠くで明滅するネオン光が煌びやかだ。まるで、自由を体現しているようだった。


「ソルグ、行くよ……!」

『はい、ラン様!』

「そろそろ、その呼び方やめない……?」


 フィリップは転落防止のためのコンクリート柵に手を掛け、踏み切るように跳躍した! 視界がくるりと反転し、重力に従って灰色の大地が迫る!

 ライムグリーンの髪が逆立ち、フィリップは全身で風を浴びた。腕を目一杯伸ばし、杖を地面に突き刺すように着地する。アスファルトに放射状のヒビを入れ、緩慢な動作で立ち上がった。

 常人なら大怪我をするような行動だが、彼は傷一つ負っていない。“契約”によって超人的な身体能力を手に入れたのだ。彼が新天地で生き抜く自信があったのは、この身体能力と“特殊な才能”が故だ。


 夜の往来は、雨にも関わらず人で溢れていた。ビル屋上の巨大看板は商品PRが幅を利かせ、壁面に設置された広告ビジョンが不眠不休で情報を流し続ける。目抜き通りを歩く人々の中には彼に似たルーツであろう外見の人々もいて、フィリップは思わず顔を逸らした。


 フードを被ったまま濡れた路面を歩く影法師は、人影から反射的に距離を取ることを繰り返している。大衆に埋没する気は毛頭ないが、悪目立ちするのも避けたいのだ。彼は大通りを離れ、古びた雑居ビルが並ぶ裏路地へ進んでいく。

 都市の深淵に潜っていくダイバーを気取れば、見える景色は二極化していく。風雨に晒された灰色の建造物に、煌々と輝く極彩色のネオンサイン。人通りは徐々に減っていき、残響は静かになりつつあった。


『……やっぱり、ラン様はこんな場所の空気を吸うべきじゃないですよ! 排気ガスだってすごいし、欲の匂いがプンプンする……』

「……アイツほどじゃないだろ」


 縁石に腰掛け、周囲を観察していたフィリップは吐き捨てるように語る。千鳥足で歩く酔客の存在が、嫌でも彼の父親を想起するからだ。あの赤ら顔が、権力を笠に着た高圧的な態度が、息子を支配体制の維持に組み込もうとする冷酷な姿勢が。全てがフラッシュバックしそうになり、彼は唾を吐いた。故郷だと許されなかったであろう、静かな反抗だ。


「……なぁ、邪魔だぞ。ここに住むのはやめとけ、しょっ引かれるから」

「…………!?」


 彼は振り向き、咄嗟に臨戦態勢を取った。骨が折れた傘を差し出す、ボロボロのブルゾンを着た浮浪者じみた老人が傍に立っていたのだ。


『な、なにや……!?』


 フィリップは瞬時にソルグの口を塞ぎ、平静を装った。常人には、従者の声が聞こえても姿は見えない。この人外じみた種の特徴の一つなのだ。


「……施しを受ける気はないよ。放っておいてくれない?」

「施し? ハハ、俺らにそんな余裕なんてぇよ。今からやるのは、ビジネスだ」


 老人は傘を開くと、彼の視界を覆うように広げた! フィリップが面食らった隙にコートの懐を弄り、コインを抜き取る。スリの常套手段だった。そのまま脱兎の如く逃げ出せば、土地勘のないフィリップは見失うだろう。

 しかし、老人は立ち止まったまま、盗んだコインをしげしげと眺めていた。そこに描かれた肖像とフィリップを見比べ、何かを察したかのようにそれを懐にしまう。

 一方のフィリップも、老人を追うことはしなかった。どちらにせよ、意趣返しのように盗んだ金なのだ。例の肖像をもう見なくていいのは、気楽だった。


「なるほど。アンタ、訳アリだな?」

「……関係ないだろ。それは渡すから、僕の視界に入ってこないでくれる?」


 言葉にした後、フィリップは不快感に顔を歪めた。金を握らせて人を動かす行為は、父親と同じではないのか? 独りになりたいなら、その場から離れるべきは自分なのではないのか?

 老人は首を横に振り、笑った。手入れされていない髭の隙間から乱杭歯が覗き、嗄れた低い声が漏れる。


「悪いが、こっちも施しを受けるのは大嫌いでな。良いものを貰ったなら、それなりの返礼はしなきゃなぁ……」

「……スリじゃなかったのか?」

「ついて来な。せめて雨宿りできるところで、ゆっくりはなししようぜ?」


 フィリップは濡れそぼったコートに触れ、渋々ついて行くことを決めた。たとえ陰で暴力を振るわれたとしても、彼には追い返せるだけの実力がある。を常に隠し持っているからだ。

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