サヨナラ、小さな罪
無月兄
第1話 夏休みの軽音部
部屋の隅に置かれたスピーカーからは、録音されたドラムの音が、そしてすぐ隣からは、アイツの鳴らすベースの音が聞こえてくる。
そこに、俺の弾くギターの音が重なり、この曲は完成する、はずだった。
ただし、完璧に弾けたらの話だが。
リズムが違う。音がズレた。そもそも指がイメージした通りに動かない。
そんな失敗が弾き続ける毎に積み重なっていき、同時に上手くできない悔しさも募っていく。
そして、時々こんな思いが頭を過るんだ。
「俺、何で音楽なんてやってるんだろう」
うちの高校の軽音部は、夏休みは自由参加。けれど全ての部員が、毎日部室に顔を出している。
と言っても、部員は全部でたった二人しかいないけどな。
一人はこの俺。一年でギター担当の三島啓太。そしてもう一人は、同じく一年でベース及びボーカル担当の藤崎藍。
藤崎がベースを鳴らし体を揺さぶる度に、高く結ばれた彼女の髪もゆさゆさと揺れる。普段ならその様子を見て可愛いなんて思うところだが、今はその余裕もなかった。
なにしろ、今朝からずっと練習しっぱなしなんだ。
音楽ってのは見た目以上に体力を使う。何時間も続けていると、当然疲れもたまってくる。
「ねえ、少し休まない?」
「そうだな」
藤崎の提案に、内心ホッとしながら頷く。実は俺も、けっこう前から休憩したいなとは思っていたが、疲れたから休もうなんて言って、体力がなくてカッコ悪い、なんて思われた嫌なので、なかなか言い出せなかった。
考えすぎだって言われるかもしれないが、他の誰かにならまだしも、藤崎にそんな風に思われるのは絶対に嫌だった。
「それにしても、ちっとも上手くなってる気がしねーな」
椅子に腰掛け、持ってきたジュースを飲んでいると、ついそんな言葉がこぼれる。
練習は嘘をつかないなんて言うが、俺の場合、練習すればするほど、自分の演奏のダメさ加減を突きつけられているような気がしてくる。
「そんなことないよ。前と比べると、少しは良くなってるよ。多分……」
藤崎が反論してくるが、なんとも微妙な反応だ。多分コイツもコイツで、今一つ上達した実感がわかないんだろうな。
けど、別に言い訳するつもりはないが、それもある意味仕方のない部分はある。
「やっぱり、部員が初心者二人だけってのはキツいな」
「それは……そうかも」
俺も藤崎も、音楽を始めてまだ一年も経っちゃいない、完全な初心者だ。どう練習すればいいのか、何がダメなのか、何もかも手探りでやっている。上手くなる方法どころか、どうすればもっと上手くなるのかすらもよくわかっていない現状に、正直少しの焦りすら感じている。
「で、でも、たまにはOBの人が顔を出しに来るじゃない」
「まあな──」
今でこそたった二人になってしまった軽音部だが、かつてはそれなりの人数がいた。そのうちの何人かは、卒業してからもたまに顔を出しては、現在の部員達に色々アドバイスをするのが半ば伝統みたいになっているらしい。
つい先日も一人のOBがやって来て、かつての古巣を懐かしみながら、俺達の演奏を熱心に聞いてくれた。
卒業してから何年もたつと言うのに、わざわざやって来てくれる。それはもちろんありがたいことだ。
その人はギター担当ではなかったから、俺は直接技術的な事を教わりはしなかったけど、実際に何年も音楽をやってきた人の話が聞けたのはありがたかった。その点は、だ。
ただ、先日やって来たその人に関しては、感謝と同時にモヤモヤした気持ちがわいてくる。その人のことを藤崎が話すのを見ると、いっそうその気持ちが強くなる。それは、さっきまで感じていた、上手しない焦りや苛立ちよりも、ずっと重いものに思えた。
「なあ。お前がベースを始めたのって、あの人がきっかけなんだよな」
気がつけば、そんなことを口にしていた。そして同時に、内心しまったと思う。
きっと、これから返ってくる答えに、俺を喜ばせるものなんてないだろう。なのに、どうしてわざわざこんなことを聞いたんだ。
だけど一度言ってしまったからにはもう遅い。少し驚き、それから照れたように顔を赤くする藤崎を見て、ズキリと胸の奥が傷んだ。
「うん。小さい頃から演奏してるのを何度も見てて、ずっと、カッコいいなって思ってたの。音楽を始めたのは高校に入ってからって聞いて、それならわたしも、今から頑張れば少しはできるようになるかなって思って」
そう言って藤崎は、先日来ていたあの人のことを思い出す。
部活のOBなんてのは、本来何年も前に卒業していった先輩の中の一人だ。既に社会人になっているその人は、本来なら俺達とは遠く離れた存在のはずだった。
だけど藤崎にとってその人は、例え軽音部をぬきにしても、ただの先輩というわけじゃなかった。
軽音部どころか、高校に入学するずっと以前、藤崎がまだ小学生だった頃。アイツの近所に住んでいた一人の高校生。それが、先日来ていたあのOBだ。
いや、実は俺だって、その頃からその人のことは知っている。とは言っても、特別親しかったわけじゃない。
藤崎が、やたらと懐いている人だった。藤崎のことを、まるで妹のようにかわいがっている人だった。そして、藤崎がずっとずっと好きな人だった。
俺が知ってるのと言えばそれくらい。だがある意味それだけで十分だった。
藤崎が好きな人。その事実を思い返す度に、なんだか俺の心の中のモヤモヤが、さらに大きくなっていくような気がした。
「────三島? ────三島!」
「うわっ! な、なんだよ」
気がつけば、藤崎は覗き込むような目で俺を見て、何度も名前を呼んでいる。
しまった。変んなこと考えていたせいで、途中から話を聞いてなかった。だけど藤崎の気を悪くした様子はなく、むしろどこか申し訳なさそうに言った。
「もしかして三島、怒ってる?」
「はぁ? なんだよそれ」
あまりに的外れな問いに、思わず声を上げる。そりゃ面白くない顔をしていたかもしれないけど、だからと言って今までの話のどこに怒る理由があるんだよ。
けれど俺の返事を聞いた藤崎は、なんだか申し訳なさそうに言う。
「だってその……不純な動機で始めたって思ってない?」
「別に、そんなこと思ってねーよ。誰かがやってるの見て、カッケーって思った。音楽始める理由なんて、だいたいそんなもんだろ」
ただ、そこに恋としての好きが混じっているのが面白くないだけだ。もちろん、こんなこと絶対に口にはできないけどな。
ホッとしたように、表情を柔らかくする藤崎。と、そのまではよかった。だけど、これでこのやり取りも終わりかと思ったその時、藤崎はさらにもうひとつ尋ねてきた。
「三島も、誰かカッコいいって思った人がいたからギター始めたの?」
「えっ───?」
ま、まあ、今の話の流れだとそうなるかもしれない。藤崎がこんな質問をしてもおかしくはない。だけど、俺はそれに答えることができなかった。
ギターを始めるきっかけになったヤツならいる。だけど、それはとても言えるものじゃなかった。
「俺のことはいいだろ。それより、けっこう休んだんだし、そろそろ練習再開しようぜ」
自分でも強引な話の反らし方だとは思うが、どうしても言いたくないのだから仕方ない。そして幸いなことに、こんなやり方でもなんとかなるくらいには、藤崎は素直な奴だった。
「ホントだ、すっかり話し込んじゃってた。練習の続きしなきゃ」
お互い自分の楽器を手に取り、練習再開。ただ、いざ音を鳴らす前に、藤崎が言う。
「三島って、ほんと熱心だよね」
「なんだよそれ?」
「だって毎日練習に来てるし、今みたいに休みすぎだって思った時は、ちゃんと再開しようって言ってくれるでしょ」
それからは再び本格的に練習に入り、この会話はここで終わった。だけど練習している間も、今の言葉が頭の中から離れなかった。
『三島って、ほんと熱心だよね』
そんなことねーよ。そう、心の中で呟く。
俺のことを熱心だと言う藤崎。自分が音楽を始めた理由を、不純な動機なのかと心配する藤崎。そんなコイツが、俺の本心を知ったら、いったいどう思うだろう。
「不純な動機、か」
それを言うなら俺の方だ。藤崎よりも、よっぽど不純な動機で初めている。
毎日の練習だって、本当はちっとも熱心なんかじゃない。さらに言うと、音楽に興味があるわけですらなかった。
もちろんこんなこと藤崎は知らないし、言えるわけもない。
けれど毎日この軽音部で練習を続ける中、その事実を思う度に、胸の奥で小さな罪悪感を抱かずにはいられなかった。
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