ラプラスの論文
ゆるくちプリン
第1話 エントロピーの論文
とある夏の日、世界中の論文や発明品の初号機が何者かに盗まれたと言うニュースが世界中を駆け巡った。
ーー私立紅明学園ーー
「しっかし今日の授業も暇だったなぁ・・・・」
そう友人に呟くのは火神藍斗、この学校の三年生の一般生徒だ。化学と数学、英語は天才的なのだがその他は壊滅的なので偏差値的には並であるこの学校に通っている。
「そうか〜?俺は化学とか物理が無い日はハッピーだがなぁ。」
そう言って笑うのは矢羽颯太、火神の友人であり、火神とは対極に存在する、いわゆる馬鹿である。スポーツ推薦でこの学校に来たのがひと目でわかる程、体躯はがっしりとしており肌も良く焼けている。
「なんでだよ・・・色々な説とかの実証実験ほど楽しいものは無いと言うのに・・・」
信じられないと言った目で颯太を見つめる。その目はなにか可哀想なものを見つめるような哀れみの目である。
「はは、まぁ授業なんかどれもしんどいけどな」
笑顔を変えずに颯太は藍斗の肩に手をかけ、噂話をするように耳に口を近づけて、なぜ口を近づけたのか分からないほど普通の声で話す。
「そういや聞いたか?お前の大好きな化学とかの論文が何者かに盗まれたらしいぜ」
朝見たニュースの内容をそのまま受け売りするように藍斗に告げる。
「ん?ああ、聞いたよ。しかし不思議な事件だよな、ああ言う論文とかは厳重な金庫とかに入れられるのが普通なのに・・・」
顎に手を当て、考えるようにそう呟く。
「ま、俺はそんな事よりも来週の区大会の方が大切なんだけどね。」
肩に手をかけたまま、笑いながらそう言うと、遠くにいる自分の彼女を見つけ、
「あ、やべ美紀が待ってる、すまん藍斗!帰るわ!」
そう言うと肩にかけていた手を離し、ダッシュで彼女の元へ向かう。
「おーまたな・・・ったく彼女持ちは・・」
手を振りながら呆れたように颯太を送り、再び顎に手を当てる。
「しっかしどうやって盗んだんだろう・・・あんなもん・・・」
自分の好きなものが盗まれたと聞き、朝からずっと考えているのだが、一向に答えが出ない。
そして顎に手を当てたまま、学校を出る。
「でも盗みたくのも分かる気がする。だって偉人たちの発明とか論文だもんな、そりゃあ高いんだろうし・・・」
そしてふと顔を上げると、どこか分からない路地裏にいた。
「・・・考えてるうちに迷ってしまった・・・ここどこだよ・・」
辺りを見回すが、見たことも無い店の看板と、高いビルの裏なのか大通りは見えない。心無しか変な匂いもする。
「とりあえず出口を探すか・・・」
そう言って当たりを見回した時、可愛い犬のぬいぐるみが落ちているのが目に入った。
ぬいぐるみは首に巾着袋を巻いている。
「こんな新しいぬいぐるみがこんな所に落ちてるなんて・・・」
そう言ってまた前に進もうとすると何処からか声が聞こえた。
「オイ!なんで拾わねぇんだお前!こんなに可愛い俺様がいるんだぜ?拾えや」
どこから出ているのか分からない声が路地裏に反響する。
「ん?なんの声だ?」
そう言って先程のぬいぐるみがあった場所を見つめるが、ぬいぐるみは無い。
「こっちだよ馬鹿野郎!こっち!」
声のまま、後ろを向くとそこには二本足で立つ先程のぬいぐるみがあった。
「うわっ!な、なんでぬいぐるみが喋っ・・・」
驚いて腰を抜かす僕に構わずにそいつは続ける。
「お前!なんで拾わねぇんだ!普通拾うだろ可愛いぬいぐるみ!?」
怒鳴り散らしながらそいつはゲシゲシと藍斗の脚を蹴る。
「いや、普通拾わねぇよこんな路地裏にあるぬいぐるみ」
腰を抜かしたまま続ける。因みに脚はあまり痛くない。
「くっ・・・まぁ確かに・・でも俺様こんなに可愛いんだぞ?」
蹴るのを止め、ぬいぐるみはゆっくりと膝をつく。
「で、お前は何者だ?喋るぬいぐるみなんて初めて見た。」
やっと立ち上がる事ができた僕は、ぬいぐるみを見つめる。
「ん?俺様?・・・あれ?なんで喋れてんの?」
自分でも気づかなかったのか、そいつは喉に手を当て困惑する。
「え、えぇ・・・気づかなかったのか?」
呆れた。と言うように僕はぬいぐるみを持ち上げ、思いっきりもふもふする。そいつは材質は少しゴワゴワしていて、腹は出ている。左耳だけ垂れている。
「オイオイ離しやがれ。」
そいつは短い手足をジタバタとさせながら腕の中で暴れる。その様はまるで駄々をこねる子供のようである。
「アハハ、よく出来た玩具だな。」
腕の中で暴れるそれを見つめながら、どこかにスイッチらしき物が無いのかと、指を動かす。
「あ、ちょっと待ってやめて......あひゃひゃははは.....」
こそばゆかったのか、そいつは大きな声を出して笑い出す。感度もあるようだ。しかし、その時であった。
「こっちだ!こっちにいるぞ!」
遠方からサングラスをかけた謎の男が声を上げながら此方を指さしている。そして、その声に呼び寄せられたのか、同じ服装をした複数人の男達が此方を伺っている。
「クソ・・・見つかっちまったか・・・・お前の所為だぞクソが!」
自分が騒いだから見つかったというのに、ソイツは僕の所為だと喚き立てる。
「オイ!ヤバいって早く逃げてくれ!頼むから!」
そいつは大きな声を出して慌てふためきながら、手足をバタバタとさせる。一体何が怖いのだろうか?
「いいから、走れ!」
余りの気迫に、押されるようにして足を前に出す。
「で、なんで逃げなきゃならないんだ?お前なんかしたのか?」
小走りをしながら腕の中のそいつに尋ねる。しかしそいつは何も言わずに、ただただ腕の中で震えている。
「なぁ!どうしたんだよ!?」
何も言わないそいつに苛立ち、少し声を荒らげて尋ねる。すると、そいつは大きな声で苛立ったように「奴らは、奴らは俺の中の『論文』を狙ってる。あれが取られると不味い!だから逃げろ!詳細は後で話してやるから!」と怒鳴り、その声に気圧されて走っている足の動きが加速する。
「しかし・・・人数多いな・・・どうやって逃げ切ろ・・・」
う。と言おうとした瞬間、背後から爆音が鳴り響く。その音に驚いて振り返ると、そこにはありえない光景が繰り広げられていた。 そこには腕から植物を生やし、その急速すぎる成長速度で恐ろしいスピードで迫ってくる青髪の青年がいた。青年の目には光は灯っておらず、ただ無機質な世界が広がっている。
「いやああああ!きたあああ早く逃げろおおお!」
大声で喚き散らしながら腕の中のぬいぐるみは泣き叫ぶ。ぬいぐるみが涙を流すことにも驚いたが、それよりも迫ってくる青年の起こしている出来事が恐ろしい。
「ヤバいって・・・・あんな化け物いるなんて聞いてないぞ・・・」
徐々に息が上がる。それもそのはず、僕は運動など普段は滅多にしないからである。むしろこれだけの速度で長い時間走ったことなど、中学生の頃の持久走以来である。
「しかし・・・このままじゃ追い付かれちまう。仕方ない・・あいつらに渡すくらいならこいつに・・・」
腕の中のそいつは呑気に考え事をしている。しかもなんかブツブツ言いながら。
「オイ!お前もなんとかする方法考えろよ!いい加減足が限界だ!」
呑気なそいつに苛立ち、どうにもならないのに怒鳴ってしまう。しかし、帰ってきた答えは意外なものだった。
「なんとかなる・・・か。よしいいだろう。手を貸せ。」
そいつは、なにか案があるかのようにそう言い、首元にかけている巾着袋のようなものを広げる。その中には、金色の原稿用紙が。
「なにこれ?綺麗だけどこんなもんでどうしろってんだ?」
この緊急事態に、こいつはなんて呑気なのだろう。しかしそうしている間にも背後から聞こえる音は大きくなる。
「分かった。取り敢えず・・・」
僕は左手を差し出し、そいつの動向を待つ。その間にも草木の擦れる音が聞こえてき、その音に比例して鼓動も早くなる。
「よし、ではお前に『エントロピー減少の法則』の力を与えよう。」
そう言うとそいつは僕の左手にその金色の原稿用紙を押し付けた。すると不思議な事に、その原稿用紙は僕の左手に吸い込まれ、代わりに左手には光り輝く紋章が現れた。
「は?なにこれ?どうやったんだ?手品か?」
自らの身体の中に何かが入ってくる。そんな感覚も無いと言うのに、目の前で原稿用紙が吸い込まれた。しかも、吸い込まれてからというもの身体の奥底が熱くなっていく。
「何したかは後だ!今はとりあえず指示に従いやがれ!・・・死にたくないならな。」
俺の左手に置かれている少しゴワゴワしたそいつの手は少し震えているが、何かしらの強い覚悟を感じる。
「わ、分かった。僕は何をすればいいんだ?言っとくけどもう足疲れたぞ?」
そんな事をしていると、遂に後ろからの音が止む。嫌な予感がし、振り向くとそこには袖の間から様々な種類の植物を露出させ、感情の無い目で此方を見つめる青年がいた。
「クソ・・・もう来たか・・・まぁいいや、ジャンプしろ!」
そいつはそう怒鳴ると僕の左手を思いっきり握り、目を閉じた。
「わ、分かった・・・えい!」
目を閉じて、軽くジャンプをしたはずだった。しかし、目を開けてみるとそこはまさかの空中。しかもかなり高いビルを見下ろせるくらいの高さであった。
「ぇぇええええ!?ななな、なんだああああ・・・なんでこんな・・・」
こんなにも高い所にいるのに、重力は仕事をせずに、僕は落下せず上空で静止している。
「ハァ・・・ハァ・・なんだこれ・・・ってなんでお前はそんなに落ち着いてるんだよ。」
左手にしがみついているぬいぐるみは、大した驚きを見せずに、冷静に下の様子を伺っている。
「何とか撒いたか・・・まぁいいや、お前・・・てか名前聞いてなかったな。お前名前は?」
手にしっかりと自分の手を巻き付けてしがみつく姿は可愛いのだが、まず滞空してることについての驚きは無いのだろうか?そう思いつつ、変に冷静に対応する。
「名前?僕の名前は火神藍斗。てかお前はなんて言うんだよ。」
そんなやり取りをしている間も、僕の身体は落下することなく、滞空し続けている。
「ああ、俺の名前か・・・どうしよ、適当に・・・ウィンとかでいいかな。」
名前を決めてなかったのか、少々考え込んだ後にウィンは自分の名前を言った。しかし、かなり高い所にいて冷静にこんな会話が出来るなんて自分自身の適応力が怖い。
「しかしウィンさんよ。なんで俺はこんなにも高い所にいて、しかも落ちずに滞空し続けてるんだ?てかさっきの原稿用紙は何だったんだ?」
上空に放り出されてから早二分、ようやく聞きたかった事が喉から飛び出した。
「ああ、さっきのはな・・・てかまず聞くが、お前は『エントロピー増大の法則』って知ってるか?」
何を言うか、そんな当たり前の事幼稚園生でも知っているだろう。そう答えた僕にウィンは続けてこう言った。
「じゃあエントロピー値ってのは知ってるよな?」
エントロピー値、それは低ければ低い程仕事をする有効なエネルギーとなり、逆に高ければ高い程仕事をしない無益なエネルギーになる。エントロピー増大の法則とは、自然界にある限り、何らかの力を外部からかけないとエントロピー値は増大し続けると言った法則である。
「それってまさか・・・さっき言ってた『エントロピー減少の法則』とか言うのが関わってるのか?」
僕は先程原稿用紙を押し付けられた時にウィンが言っていた言葉を思い出し、彼に質問をする。
「流石、察しがいいな。その通り!お前に俺様が与えた能力はエントロピー値を下げ続けられる能力!つまりは無限にエネルギーが生み出せるって訳だ!」
ウィンはドヤ!と言った様子でサラッと凄いことを言う。そんな事が出来るなら余裕でノーベル賞を取れるレベルなのだ。
「つまりこの滞空も、さっきのジャンプもその力の影響って訳か。」
その問に対して、ああ。と頷くウィン。そして彼はさらに続ける。
「そして、おそらく化学好きなお前は知ってると思うが、最近世界中の論文や発明品が消えたって事件があるだろ?それも関わってるんだよ。」
ウィンは今日颯太から聞いた、「論文消失事件」の詳細について語り始めた。
「端的に言うと、この事件には『ラプラス財団』って言う組織が絡んでる。その組織が世界中の論文や発明品を盗んで、特殊な力を出せる『非科学ガジェット』に変化させやがった。」
非科学ガジェット?ラプラス財団?よく分からない単語が出てくるが、そんな事お構い無しとばかりにウィンの説明は続く。
「非科学ガジェットっつーのは・・・まぁ端的に言うと『有り得ない事を有り得るようにする事が出来るガジェット』って感じだ。まぁ例を出すとお前の『エントロピー減少の法則』とか、さっきの男が使ってた『メンデルの優勢操作』とかだな。」
なるほど・・・あまり分からないが、なんとなく分かった気がする。しかし、さっきの男の能力は、名前から察するに『植物の優勢遺伝子を操作できる』って感じだろうか。
「まぁいいや、どうせ分かんなくてもやる事は一緒、いいか?火神藍斗、お前にはその『エントロピー減少の法則』死ぬ気で守ってもらう。」
嫌だ。物凄く嫌だ。だって今の説明で財団とか出てたもの。間違いなく危険だもの。そう言いたいのが滲み出ていたのか、ウィンは上空で静止しているのを忘れたのか、腕に立ち、頭を下げてきた。
「頼む!どうか何とかしてくれぇぇえええええ!!」
落ちた。先程の話だと俺自身はエネルギーを生み出せているので何かしらの方法で浮いているのだろう。しかし、ウィンにはその力は無い。重力が無くなった訳ではなく、ただ自分が変わってしまったのだと再認識させられた。
「たっ、たたた助けぇぇぇぇ!!」
落ちていきながらそう叫ぶウィン。僕は意を決して頭から地面に突き刺さるように下を向いた。すると両足からなにか波動的なものが出て、一直線に下に突き進む。
「ああああああああぁぁぁ!!」
大声を上げながら下に向かって加速していく。重力が強まったのではと錯覚するくらい速い。そんな事を考えている間も無く、僕は地面に降り立つ。
バアアアアン!!と、言う轟音と、小さなクレーターを残して路地裏に着陸、すぐさま両手を上に向ける。
「来いいいいい!ウィン!」
大声でそう言った数秒後、空から
「あびゃびゃびゃあああああ」
と奇声を発しながらウィンが落ちてくる。僕はそれをしっかりと受け止め、ウィンを捕まえる。
「ハァ・・・・ったく馬鹿なヤツだ・・・で?なんで俺が押し付けられた論文守らなきゃならないんだ。」
受け止めた後、本題に戻る。第一僕にそんな義務など無いのだから、当然である。
「じゃあ逆に聞くけど、そんなもん作る奴にお前が好きな化学とかの論文奪われていいのか?しかも多分それ奪われたら悪用されるぞ?」
痛いところを突いてくる。会話の節々から化学好きがバレたのか、的確に僕の動く理由を作ってくる。
「ま、まぁそりゃあダメだとは思うよ?だけどあんなバケモン相手に逃げ回れると思う・・・」
か?と言おうとしたが先程の能力を思い出し口を紡ぐ。そして、ウィンを手から地面に降ろし、目を見て尋ねる。
「ウィン・・・お前が何者かは分からない、けど上空で頭下げられてそのまま臨死体験までさせちまったんだ。今回の頼みは受けてやる。だから聞かせてくれ。お前は・・・そして、ラプラス財団とは何者なんだ?」
沈黙。まるでこれが答えかと言わんばかりの長く短い沈黙。時間にして数秒、しかし体感的には数時間もあるかと思えるほどの濃密な時間。その時間は、ウィンの言葉によって幕を閉じる。
「ラプラス財団については、よく分からない。どうやって非科学ガジェットを生み出しているのかも、どうやって論文等を盗んだのかも。けどこれだけは言える。俺もお前と同様、化学が好きだ。何故話せているのかは分からない。けど俺の根底にはそれがある。だから・・・化学と人類の発展の証を、結晶をあんな風に使われたくは無いんだ・・・」
そう言って、小さな犬のぬいぐるみは涙をぽろぽろと流した。小さな手はギュッと握られており、意志の強さを感じる。
僕はそいつを強く抱き締めて、
「分かった。お前のその化学に対する愛情。理解した。だから、俺はお前と、この身体に宿ったこの『エントロピーの論文』を守りきる!」
そう言って強く、そして固くウィンの手を握る。ウィンはその瞬間、堰を切ったように泣き出し、何度も何度も「ありがとう」と言った。
その声は、夕暮れの路地裏に響き、そして消えていった。
「しっかし、やっちまったねぇカーム。『メンデル』を受け継いでおいてまさか子供に追いつけないなんて、恥ずかしくないの?」
赤髪の中年男性はは、青髪の青年を煽るように耳元で囁く。
「次は、奴と、あの子供も引っ捕らえる。そして・・・『エントロピーの論文』を手に入れる。今に見ていろ。アグノス。」
激情を抑えるような冷たい声で告げた青髪の青年は、そう言って素早く闇の中に姿を消した。
「ふふ、カームがやる気になってくれて何より。しっかし思い切ったことしたねぇダーウィン・・・まさかぬいぐるみに論文を託すなんて・・・まぁ、いいや。」
赤髪の男は、不敵な笑みを浮かべながら、空に輝く赤い星を見つめて酒を煽った。
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