確かに生きている

荼八 十吾

日記

ある歌詞の一節ののように、私が私を語るほどに私から遠く離れていってしまう感覚を覚えた。虚ろであり確実な日々を送る度に私は私を失ってゆく。この紫煙に包まれる私を愛してくれる人は居るのだろうか。真っ赤に燃えた情熱に私は身を焦がし灰として風に吹かれては自分を失う。そんな日があと六十年、私は私を失い続ける。雨に打たれては傘を差すことをあきらめ、その惰性に逃げ込むそんな私は果たして私と呼べるのだろうか。彼の云う様に数限りない不安や苦悩に押し潰されながら生きて往く私はまるで、まるで。


あの日見た、そんな言葉さえも容易く口に出すことさえも拒むそんな今を私は生きている。何度見たって色褪せないあの景色に私は何を思う。何を思うのだろう。私は私でしかないが、特別私たらしめているものはこの世には存在しない。今日の涙を糧に、明日の不安を糧に、未来の夢を糧に生きる。私には価値が無い。私は、私だ。


私は私なのだ、本当に私なのか。ぽつりぽつり


私は私なのだ、ぽつりぽつり。


ぽつりぽつりと、雲から零れ落ちるような水は明日の為になるのだろうか。


何もかもが、私だ。


あぁ、零れそうだ

落ちそうだ

私は私だ何物でもない


あぁあぁ


遠い 愛おしい

死ぬ間際ですら、死の不安があった。

私は今日死んだ。

鼓膜が破裂しました。

身は焼け内蔵は衝撃に耐えられず潰れ私は焼けた肉と骨になった。形が残っていたかは忘れた。


とても不安だった

恐ろしかった 慄いた

何故私なのだと

何故今なのかと

私は死にました


爆死しました

ビルの一室と共に消えました

跡形もなかったはずです


あぁ私は死にました

私は死にました

私は死にました

私は死にました

死ぬ間際に思うことは

これが死かと、そう思いました。

怖かった、一瞬のことでした。

私は死にました

私は死にました

私は死にました


本当に死にました


生き延びた私は一体


誰だ

誰だ

誰だ

誰だ

誰だ

誰だ


なぜ生きている

死んだから生きています

こんばんは

おはようございました

私は死にました


プールサイドが見えましたが私は死にました


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確かに生きている 荼八 十吾 @toya_jugo

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