第三話 冷たく優しい戒め

 『三角樹の森』とは、その名の通り三角形の葉を持つ樹で埋め尽くされている森のことである。


 魔物も暮らしているが、そこそこ武器の扱い方を習っていれば撃退は容易。

 故に、駆け出しの冒険者が修行がてら訪れることが多い場所でもあった。


 そんな森にやってきたディリスとエリア、そしてルゥ。


「ん~気持ち良いね~。久しぶりに来たよ~」


「エリアはここに来たことがあるんだ」


「うん、それこそ修行にね。どうルゥちゃん? ここの空気はめちゃくちゃ美味しいことで有名なんだよ?」


 そう言われたルゥは大きく深呼吸を一つした。


 確かに、プーラガリアでは感じられない澄んだ空気が肺に満たされていくのを感じる。これはそうそう味わえるものではないな、というのが感想である。


「はい、とても美味しいですっ」


「ほらね~? お金無いときは良くここの空気をオカズにご飯を食べてたなぁ……」


「貧乏エピソードがキレキレだね」


 余りにも余りにもな貧乏エピソードに流石のディリスもそこまでひどいことは言えなかった。


 これが依頼でなかったら、のんびり骨休めに洒落込むところであるが、ディリスは気持ちを切り替える。


 まずは目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませる。『七人の調停者』時代に培われた五感は索敵をするためのレーダーとして実用的なレベルにまで昇華している。


 風の動き、獣の足音、樹の揺れ、鼻に入り込む匂い。ディリスは飛び込んでくる情報全てを整理し、進むべき方角を決める。


「こっちに行こう」


「え? ディー何か分かったの?」


「うん。集団で動く気配が向こうからした。多分『盗賊ポーク』だ」


「ディーさんよく分かりますね……私、全然分からない」


 目を閉じ、耳に手をやり、懸命にディリスの真似をするルゥがなんだか可愛らしく見えた。


 それは口には出さない。何せ、代わりにエリアがたっぷり可愛がっているからだ。


 そんな二人を危険に晒すわけにはいかない、出会い頭即刻殺さなければとディリスは考えを新たにする。


「……私らしくない」


 ぼそりと、ディリスは自嘲する。


 『七人の調停者』時代は、血で喉を潤し、死体こそが友であった。そんな血に塗れた自分が考えるには余りにもヌルすぎる。


 心を鉄血に。そうでなければ、剣を抜かなければならない時に、動けなくなる。


「あれ……?」


 突然、ルゥは立ち止まり、とある方向をじーっと見つめる。

 いきなりの行動に、ディリスとエリアは何かあったのか見守っていると、彼女はふいに指を向けた。


「向こう……何か黒い、嫌な感じがします」


 指を差し向けたのはディリス達から見て、少しだけ右の方向。一切ブレずに、そちらの方角へ指を向けるのを見て、ディリスはエリアに戦闘準備をするよう促す。


「エリアはすぐに魔法を使えるように準備。あと、護身用の短剣も一応準備。ルゥはエリアから絶対に離れないで」


「ディーがそう言うってことは、来るんだね?」


「うん、ルゥの指差している方向、だいぶクサい。足音も段々隠さなくなってきた。……そろそろ視えるはず」


 ディリスの言う通り、ソレはやってきた。


 草木を掻き分ける音、ガチャガチャとなる金属音、そしてブヒブヒという鳴き声。


「あれが……」


 ずんぐりとした身体、だが豚の頭。身に纏うは簡素な鎖帷子、手に持つはだいぶ切れ味の悪そうなナタ。

 その外見的特徴は、間違いなく『盗賊ポーク』のものであった。


「こっちを囲うように動いてきているね。――エリア、どうする?」


「どうする……って?」


「私が中央突破して片っ端から殺していくか、それともエリアの魔法で迎撃戦をするか、だよ」


「え、そんなの……あれ? あ……れ?」


 その問いに、すぐにエリアは答えを出せなかった。


 数としてはこちらが劣勢、向こうが優勢。


 魔物の手には自分でも理解できる“人を容易く殺せる武器”。


 エリア・ベンバーは意識できていなかった。自分が、“恐怖”していることに。


 呼吸が浅くなっていた。手足が震えていた。


 初めて経験する本当に死ぬこともあり得るかもしれない状況に、彼女は無意識に怯えていた。


「エリアも、ルゥも、覚えろ」


 既に茶色から蒼い眼に変わっていたディリスは天秤の剣を抜き、構える。


 冒険者、という物については未だ理解していないディリス。だが、それでも、今から行われるこの瞬間に対しては間違いなく世界中の誰よりも経験豊富。


 そんな彼女が、迫りくる『盗賊ポーク』を強く見据える。


「戦うってこと、そういう危険が伴う冒険者になるのがどういうことか」


 身体を捻ることで、振り下ろされるナタを避け、ガラ空きの胴体に剣を突き入れる。


 綺麗に急所を捉えていたので、魔物はそのまま眠るように命を終えた。血もない、綺麗な死体である。


「私は……怖がってるんだね」


 死体を見て、きゅうと胸が痛くなる。

 だが皮肉にも、その絶対の冷たさが、エリアの心を強く冷静にさせていった。


「怖がるのは悪いことじゃないよ。むしろ、そういうのを全部忘れた馬鹿が一番質が悪い」


「ありがとう、少しハッとさせられた。――『麻痺の電撃パラライズ・ボルト』!」


 エリアの拳から発された緑色の電撃が、ディリスの後ろを取っていた『盗賊ポーク』に突き刺さる。

 身体を大きく仰け反らせ、『盗賊ポーク』はそのまま気絶した。


「でも! 無闇に命を奪うのだけは駄目だよディー! 私にはそっちの方が、よっぽど嫌だからさ」


「オーライ。でも、無理な時は無理だからね」


「止められる時は、私が止めてみせるよ」


 ルゥを真ん中に背中合わせに立つディリスとエリア。


 エリアの眼にはもう、先程までの恐怖の色は無かった。

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