第八話 その悪意の名は

 人が寄り付かない密室。


 そこには二人の人間が向かい合っていた。


 一人は質の良い生地で出来た服で身を包む恰幅の良い男性。

 もう一人は黒いコートを纏い、目隠しをした長い黒髪の女性。


 既に話は終わり、解散の流れとなっているが、女性は珍しくすぐには帰らなかった。


「どうした? いつもならさっさと帰るだろうに」


「もう一つ話をしていないことがあるのでは、と思いまして」


「もう一つ? 何の話だ?」


 男はこのおっとりとした声色で含みを持たすような言い回しが嫌いであった。頭脳戦でもしているつもりなのだろうかと思ってしまう。


 そんな空気を察したのか、女性は笑顔のまま、男にとって衝撃的なことを言い放つ。


「『宿命の子供達フェイトチルドレンズ』の最高傑作が逃げたみたいですよ」


「なっ……!? 冗談にしては笑えないぞ!」


「私は嘘は嫌いですよ?」


 なら何故真っ先にそれを言わなかった、と糾弾してやりたがったがそれをぐっと飲み込んだ。

 同時に自分を試していたことに対し、虫酸が走る。


 人を小馬鹿にすることに関しては一級品だということをすっかり忘れていた。


「私兵を送り、今すぐ回収する。アレが世の常識を理解する前に、さっさと人形にしなくてはならん」


「そちらの私兵では不可能だと思いますよ」


「何だと……?」


 女性は腰からゆっくりと自分の剣を抜いた。

 その切っ先に掘られているのは――天秤の刻印。


「《蒼眼ブルーアイ》はご存知ですよね?」


「『七人の調停者セブン・アービターズ』に対する猟犬を知らんはずが無かろう。それがどうし――まさか」


 男の考えうる限りで最も厄介な状況になったことを、彼女はあっさりと肯定する。


「ええ、あの子が――《蒼眼ブルーアイ》のディリス・エクルファイズが保護しました」


「厄介な事になったな……」


「話し合いでもしてみますか? 返してくれって」


「……成功率は?」


「死体の山が出来て初めて聞く耳持ってくれるかな、という感じですね」


 全く話にならない、と男は手を横に振る。

 そうなってくると必然的に手段は限られてくる。最も単純で、だが難易度は高いのだが。


「奴はどれくらいの戦力を投入すれば殺しきれる?」


「雑魚はそもそも戦力として数えられないですね。時代は量よりも質ですよ」


「お前なら奴を始末出来るか?」


「どうでしょうね? 自信はだいぶつきましたが……」


 ここまで来てのらりくらりと避ける彼女に、男はつい言ってしまった。


「ちっ……《蒼眼ブルーアイ》はお前でも手に負えないということか」



 ――男の首筋に冷たい感触が走った。



「なっ……!?」


 ピタリと薄皮一枚の所に、彼女の刃がある。何かの手違いであと少し力が入ったら、男の首に鋭い刃が入り込むだろう。


 突然の無礼に男は口を開くが、それよりも前に彼女が言った。笑顔のままで。



「私とあの子の領域に貴方ごときが口出しをしてはいけませんよ。……危ないですね。突然言われたものだから、うっかり貴方を殺しそうになってしまいましたよ」



 目隠しで表情こそ全ては分からないが、それでも真っ直ぐに向けられるこの冷たい殺意だけは本物だということが理解できた。


 次の言葉を瞬時に言わないと、本当に殺される。生存本能ですぐに男は謝罪の言葉を紡ぎ出す。


「言葉が、過ぎた……謝罪と撤回をさせてくれ」


「あらあら。私は別に謝ってほしくてこうしたわけではないんですけどね」


 剣を納めた女性は、両手の指を三本ずつ立てる。


「それは何だ……?」


「私の擁する手札の数です」


「六本? つまり六人ということか? それとも策が六つあるということか?」


「前者です。私が集めた腕利き六人、これらをあの子にぶつけようと思います」


「……信頼出来るのか?」


「少なくとも貴方の集めた私兵よりは有能だと思います」


 さらっとのたまうその口を縫い合わせたくなったが、それ感情を地に鎮める男。

 代わりに、大きな期待と細やかな嫌味を込めて、男はこう総括する。


「くれぐれも失敗してくれるなよ? 私の大いなる目標のためには、こんなところで躓いている暇はないのだ」


「ええ、理解しています。可能な限りやってみせましょう」


 これで本当に話は終わり。


 部屋から出ようとする女性へ向け、男は声をかける。


「プロジア」


「何でしょう?」



 女性――プロジア・イグニシスは振り返る。



「お前、私に何も隠してはいないよな?」


「何のことでしょうか?」


「先程の『宿命の子供達フェイトチルドレンズ』の件といい、要所要所でお前の口から無視できないことが飛び出している」


「つまり、何が言いたいのでしょうか? ルドヴィ・プラゴスカ様」


「私を裏切ることの代償は高くつくぞ、ということだ」


 プロジアとルドヴィは視線をしばし合わせる。

 その間に放たれる火花の、なんと熱いことだろうか。先に目を逸らしたのはプロジアだった。


「もちろん、ルドヴィ様の悪いようにはならないよう善処させていただきます。それでは」


 今度こそ部屋を出ていったプロジア。


 見送るルドヴィはそれまで一瞬も油断せず立ち尽くしていた。

 完全に霧散する気配。それを確認してから、彼は一人言つ。


「……女狐が」


 一息で自分を殺せるほどの圧倒的な暴力、どこまで見通しているのか分からない思考、それらを兼ね備えた彼女にこそ、この言葉がふさわしいのだろう。


「ふふふ。そう評価してくれる内はまだまだ裏切ることは出来ませんね」


 扉の向こうで笑みを浮かべたプロジアは今度こそ完全に姿を消した。

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