第二話 《蒼眼》

 酒場内は大きく分けて今、三種類の思考が渦巻いていた。“本物”か、それとも“騙り”か。


 そして、もう一種類の思考とは――。


「ねえエリア、私そろそろお腹一杯」


「ええ!? この場面での第一声はそれで良いんですか!?」


「それで良いって……そもそもあの人、誰?」


 “それ”を知っている者達からすれば、呑気に大男を指差しながら骨付きのチキンを貪るディリスは実に滑稽に見えたのだろう。


 事実、ディリスとエリアのやり取りが聞こえてきた者は皆、「世間知らずか?」という気持ちを込めた視線を向けていた。


「えっと……そうですね。まずはこのファーラ王国が擁する最強の戦闘集団、『七人の調停者セブン・アービターズ』は知ってます……よね?」


「ああ、天秤の刻印が施された武器と仮面を持つイカれ殺人鬼共でしょ?」


「ちょっ……! そんな事言ったら殺されるかもしれませんよ!? 聴こえてたらどうするんですか!?」


「まあまあ……で? 続けてエリア」


「その方達は皆、一人ひとりが一騎当千の実力者なんです。だからもし――万が一反旗を翻したら誰も止められないんです」


「まあ、イキってやり過ぎる奴はいるよね」


「あの《蒼眼ブルーアイ》さんはそんな人達を止める最強のカウンターなんですよ! この意味、分かりますよね?」


 エリアは自分で喋ってて、どうしてこんな皆が知っていることを喋ってるんだろうと唐突に我に返っていた。


 同時に、まだ名前も聞いていないこの黒いコートを纏った自分と同じくらいの女性は一体どこから来たんだろうという疑問も浮かんでいた。


 彼女が思案している中、骨付きチキンを平らげたディリスは指を舐めながら、こう言った。


「うん、良く分かるよ。そういう役目を持った最強のカウンター様は裏切り者一人ぶち殺せなくて、あろうことか同僚を殺された能無しだってね」


「え、何の……話ですか?」


 少し静かになったタイミングで喋っていたのが悪かった。


 気づけば、《蒼眼ブルーアイ》が大股歩きで二人に近づいてきていた。


「おい! てめぇらさっきから何ごちゃついてんだ!? 俺を前にして、随分余裕そうじゃねえか」


「あ、あの!」


 エリアが立ち上がり、《蒼眼ブルーアイ》を見据える。


「わ、私! コルステッド・ベンバーの娘のエリア・ベンバーです! 父から、貴方を、《蒼眼ブルーアイ》を頼れと言われて来ました!」


「あん? 俺を?」


 ディリスはこの瞬間、全てに納得できた。


「私、お母さんもお父さんも死んじゃってどうすれば良いのか分からなくて……けど、貴方ならきっと何とかしてくれるって……」


 《蒼眼ブルーアイ》の視線は途中からずっと舐めるようにエリアの身体を彷徨っていた。その下品な表情を、ただディリスは虫を見る目で傍観する。


「は……ははは! はははははは! そうだ! ああ、知っているとも! コルステッドからは話を聞いているよ! 随分と大変だったみたいだな! だがもう大丈夫だ!」


「じゃ、じゃあ!」


「ああ、そういうことだ。後のことは全部俺にまかせ――」



「――『七人の調停者セブン・アービターズ』にとって、調停とは?」



 ディリスは立ち上がり、伸びをしながら、そう問うた。


「は……? 何のことだ……?」


「一番最初に言われるそいつらの使命だよ。聞いているはずだけど?」


「一番最初に……?」


 テーブルに二人分の代金を置いた後、ディリスはエリアの手を掴む。


「万が一にも本物だったらどうしようと思ったけど、まあ……そんなもんだよね。エリア、自分の荷物を持って、別の場所へ行こう。この人は人違いだ」


「え、人違い……?」


 そう言って、酒場の外へ出ていき、どんどんエリアを引っ張り歩いていくディリス。


 何度か後ろを見た後、急に彼女はエリアごと路地裏へと足を踏み入れた。


「えと……何で路地裏に?」


「すぐ分かる」


 足音がどんどん大きくなる。

 それに合わせ、ディリスは左腰に挿している剣に手を添える。


「おい待てやこのガキ!!!!」


 憤怒の表情をした《蒼眼ブルーアイ》が剣を抜き、現れた。


「さっきは良くも俺に恥をかかせやがったな! オォコラ!?」


「良く付いてこれたじゃないか。褒めてやろうか?」


「……決めた。そうだよな……そうしなきゃ俺は舐められたままだからな」


 無言でディリスはエリアに後ろに下がるようにジェスチャーを送る。


 これは断じて、戦闘に巻き込みたくないとかそういう段階の話ではない。これはそう、もっと初歩的な段階だ。


「決めたぞ!! 俺はテメェをぶっ殺す!!!」


「そうか、分かった」


 目を閉じて、ただ黙って聞いていたディリスはゆっくりと目を開いた。



「身 の 程 弁 え ろ よ 三 下」



 次の瞬間、《蒼眼ブルーアイ》は信じられない体験をした。


「な……は……?」


 先程まで自分が見下ろしていた相手に見下されていたのだ。魔力の残滓がないことから、幻覚を見せる類の精神魔法ではないことは分かっていた。


 だからこそ、信じられないのだ。


 そこで彼はようやく自分の状況を理解した。

 なんて言うことはない。


 単純に自分は地面に尻を付けていたのだ。


「え、今……何したんですか?」


 傍から見ていたエリアは何が起こったのか全く理解できなかった。


 彼女から見た一連のやり取りはひどくシンプル。


 《蒼眼ブルーアイ》がディリスを脅し、それに返答した瞬間、彼が尻もちを付いた――ただのそれだけの話だ。


「カスみたいな殺気に熨斗付けて返しただけだよ。エリアには殺気を向けなかったけど……大丈夫? 具合悪くない?」


「はい、私は特に平気です!」


「いつも適当に喧嘩売ってきた奴に適当に返してただけだから殺気のコントロールが難しいんだよね。……さて」


 ゆっくりと、ディリスは《蒼眼ブルーアイ》へ近づいていく。


「お、お前……何者だ……!?」


「そういえば酒場で私が質問したことの答え合わせをしてなかったね」


 《蒼眼ブルーアイ》は本能的に逃走を選択していた。だが、目の前の女から発する殺意がそれを許さなかった。


「『七人の調停者セブン・アービターズ』にとって調停とは、立ちはだかる者全てを平等に皆殺すことで争いを止めることを言うんだよ」


「何を……言ってるんだお前は?」


「今回の件で私が許せなかったことは二つある」


「え……!?」


 鞘から抜かれる剣とディリスを見て、エリアは呼吸が止まりそうな感覚を覚えた。


 何せ、それは――その剣と、“眼”は!!!


「一つは私の前で最もクソッタレで最も大事な奴の名前を口にしたこと、そしてもう一つは――」


 エリアが気づいたのとほぼ同時、《蒼眼ブルーアイ》はディリスの眼と抜かれる剣を見て、全てを理解した。同時に、自分がどれだけ不運だったのかも痛感する。



「私の――ディリス・エクルファイズの眼の前で《蒼眼ブルーアイ》を名乗ったことだ」

 


 エリアと《蒼眼ブルーアイ》は確かに視た。



 刀身に天秤の刻印が施された剣を。



 瞳が茶色から――“蒼い色”に変わっているディリスを。



「う、嘘だろ……お前が……!? 本物……!」


「うん。そういうことだから、死んで落とし前付けようね」


 大男は目の前の女が冗談を言っているわけではないと、確信していた。


 だからこそ己の命が今まで経験した中で最大級の危機に陥っている事に対し、これからやることに何ら躊躇うことはなかった。


「こ、殺されてたまるか!」


 選択したのは抗戦。剣を抜き、ディリスへと走り出す。


「死ねやぁぁ!!!」


 大雑把な攻撃、だからこそ容易い。


 身体を捻るだけで振り下ろされる刃を避け、ディリスは剣を閃かせる。


 たったのそれだけで、男の右腕は宙に飛んでいた。


「あああああああ!!!」


「《蒼眼》名乗ってたんだから、右腕ふっ飛ばしたぐらいで喚くんじゃない」


「お前……本気で俺を……!」


「その名をアソビ半分で名乗る奴にはきっちり報いを受けてもらってるんだよ。そういうことだから――貴様の死を“視”届けてやる」


 何もなければ、そのままディリスの剣は男の頭蓋を叩き割っていた。無慈悲、いや一撃で命を刈れる分、慈悲はたっぷりだろう。


 だがそれは――エリアが右腕にしがみついていなければの話である。


「エリア?」


「駄目……ですディリスさん! 殺しちゃ、駄目です!」


「何故? エリアも危なかったでしょ」


「だとしても……駄目なんです! 簡単に命を奪ってはいけません!」


「……」


 ディリスはその必死なエリアの顔に、コルステッドを視た。視て、しまった。


 それならばもう、自分が彼女を言いくるめるなど不可能に近くて。


「エリアに誓え。二度と《蒼眼》を騙るな、二度とエリアに近づくな。そのどちらかが破られたと知ったら私はお前を確実に殺す」



 《蒼眼》――ディリス・エクルファイズはこの時ほど、運命という奴に唾を吐きたくなったことはなかった。

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