第三話 逆転

 ――第4ラウンドのゴングが鳴った。

 ここまで生田は増戸のフリッカージャブにいいように殴られ続けていた。

 1ラウンドは180秒。

 第3ラウンドまで合計9分間、嬲られていたことになる。


 フリッカージャブそのものの威力は弱い。

 普通のジャブのように肩口から最短距離を打つのではなく、肘を支点にして拳を飛ばすようにしならせて打つ上に、殆どバラ手で拳を握りこまず殴るため――その方が脱力できパンチスピードが出るのだ――、与えられるダメージ通常のジャブに比べると小さい。


 ただ、9分間打たれ続けるとなると、その小さなダメージも蓄積してくる。ラウンド間の1分のインターバルではダメージは回復しない。


 だが、


「こっからが本番だぜェ?」


 生田は野生の獣めいた笑みをぎらつかせ赤コーナーから飛び出した。試合開始時よりも足取りは重くなっていたが、それでも十分な速度を持って、増戸に迫る。


「フッ!」


 増戸はフリッカージャブで迎撃。


「お前のフリッカーはもう見飽きたぜェ!」

  

 生田がこの試合ではじめて、増戸の攻撃を回避した。防御ブロックではなく、回避ダッジ



 どよめく観客席。



 歓声と悲鳴が鳴り響く中央で、増戸は素早く右手を戻し、さながら機械のように再びフリッカージャブを打つ。


 が、生田はそれを難なく躱した。

 その動きは、先程の回避がまぐれではないことの証左だった。


 「!?」

 「見飽きた、っつたろがよォ?」


 生田は、ただ9分間殴られていたわけではなかったのだ。増戸のフリッカーの軌道を頭に、身体に、叩き込んでいたのだった。


 結論として、増戸のフリッカーの軌道は大きく分けてみっつのパターンに分けられる。下から上に伸びあがってくる軌道。内から外へ横向きに拳が飛んでくる軌道。上から下に裏拳を叩きつけるような軌道。それらは全て、支点となる肘の角度によって見切ることができる。

 

 フリッカージャブは通常のジャブと異なり、放つ際に、その特性上どうしても拳よりも肘が先に前に出る。いわゆる「デコピン」を打つ時に親指で抑えを効かせるように、身体の内側にを作ることで驚異的な速度と不規則な軌道を実現しているからだ。


 つまり、増戸の肘の角度と動き出しの瞬間を見切ることさえできれば、フリッカーの軌道を予測し、それを回避することは不可能ではない。生田の常人離れした視力と反射神経、学習能力があればこその神業かみわざではあったが。


「ハッハァ!」


 もはや生田はノーガード状態で上体を逸らすだけで、増戸のフリッカーを躱すまでになっていた。


 そして、


「おらよッ!」


 空振りしたフリッカージャブを引き戻す増戸の動きに合わせて、大きく踏み込んだステップイン


「っ!」


 戻した右で増戸が

 

「甘めえッ!」


 頭を斜め前方にズラしてヘッドスリップで突き出されかけたジャブをかいくぐり、ついに生田は増戸の懐に潜り込むことに成功した――


「なッ!?」


 ――かと思われた瞬間のことだった。


 増戸はジャブを途中で止め、前に出していた右足を大きく後ろに下げた。左構えサウスポーから右構えオーソドックス変更スイッチしたのだ!

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