24
◇
上機嫌に鼻歌交じりの帰路。入浴前に傾きかけだった太陽はもうほとんど隠れていて、黄金色だった陽光は真っ赤に変わっていた。古びた街灯がパチパチと弾けながら、自分の出番を今か今かと待っている。
そろそろ直してくれないだろうか。あれが音を立てる度に驚くのは、きっと私だけではあるまい。
アパートまでおよそ数十秒、あの街灯も怖い、あれもこれも寿命だと勝手に選別しながら歩いていると、前方から声をかけられた。鈴が鳴るような可愛らしい声だ。
「御機嫌よう」
「え、あ。こん……」
反射的に挨拶を返そうとしてはたと困る。この時間は「こんばんは」というのが正しいのか「こんにちは」というのが正しいのか。
ロリータファッションというのだろう、華やかで西欧的な洋服に身を包んだ少女は、くすくすと口元だけで笑う。
「逢魔ヶ時ですものね」
口元だけというのは目元が見えないからで、両目は何やら包帯に似た布で覆われている。手には白杖。
「すみません、余所見を」
「お気になさらないで。全く見えていないという訳ではありませんの」
そうですか、と曖昧に返し、道を開ける。ブーツのヒールと杖をカツカツと鳴らして歩く少女は、すれ違いざまにこう言った。
「ハッピーエンド、おめでとうございます」
「え?」
思わず振り返るも、そこに少女はもういない。
狐につままれたような気分だ。或いは本当にそうだったのか。別に冷たくもない風に吹かれ、身を震わせる。
「き、きっと手品のできるコスプレイヤーさんだったのでしょう」
或いはその逆。
今日は鴟蛇さんと言い、コスプレするマジシャンさんと言い、珍しい格好の人によく会う日だなあ、なんて現実逃避して前に向き直る。
角を曲がり、アパートを視界に収めた折、塀にもたれて手持ち無沙汰にしている、モデルみたいな長身の女性が目に入った。傍らには重そうなバイク。
「レンちゃん?」
「かーぐやー!!」
女性は私を認めると、ブンブンと手を振りながら近づいてくる。間違いない、あの長い手足はレンちゃんだ。
「この馬鹿!」
目の前に来た途端に罵られた。一体私は日に何度馬鹿と言われれば良いのやら。
なんだか知らないけれど酷く怒っているらしい。10センチ以上身長差があるものだから、そんなに近くで睨まれると中々怖い。
「ご、御機嫌よう、レンちゃん」
「なにそれ」
いや、便利だなあって。
「アンタ、どこ行ってたの」
「あう」
そういえば風邪で休んだことになっているのだった。
「れ、レンちゃんこそどうして」
「はぁん? なに馬鹿なこと言ってんの。アンタが風邪ひいたって言うからバイク飛ばして来たんでしょうが。来てみたらいなかったけどね」
「え?」
まさか、あれからずっと待っていたとでもいうのか。何時間経ったと思っているのか。
ほぼ半日、ここで私を待っていたと?
「あんまり心配かけるんじゃないわよ」
むすっとした顔とは裏腹に、頭に置かれた手は優しかった。
普段なら「子ども扱いするな」と振り払う手も今は心地よい。
トートバッグを肩にかけ直すと、ガサリと音がした。
ああそうか。薬やスポーツドリンクはこの為に。
「すみません。お薬買いに行ってたんです」
「どこまで行けばこんな時間になるのよ……どうせアンタの事だから迷子でも保護してたんでしょ。というかそれくらい私に頼みなさいよ」
頭上で鴉が鳴いた。電線の上に孤独に止まっていたそれは、私と目が合うとバサバサと飛び立っていった。帰るのだろう。あの日本屋敷に。
「良いから寝なさい。アンタが思うより風邪ってのは怖いのよ。なんか作ってあげるから」
「いやですよ、レンちゃんのご飯美味しくないですもん」
「生意気な! 文句言うならさっさと元気になれ!」
背中を押されながら笑みを零す。
不味いご飯が嘘の代償なのだとしたら、甘んじて受け入れよう。だから、この友情に報いるのはまたの機会に。
錆び付いたドアノブを捻る。冷たい感触が少しだけ好きになれそうだった。
人形一体分寂しくなった部屋に、私は言った。
「ただいま」
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