Sacrifice
南川黒冬
身代わり人形
prologue
昔、私は道路の側溝には人が住んでいるものだと思っていた。
あの檻のような金属の枠組みの下には私達が生活しているような国、或いは街のような物が存在して、面白可笑しく暮らしているのだと信じていた。
誰もが知っているであろうルイス・キャロルの創作物である『不思議の国のアリス』の存在を知ったときは、だから喜ばしかったものだ。
やっぱり私の考えは正しくて、あの柵の向こうは深い深い穴に繋がっていて、そこでは帽子屋さんや二足歩行の兎なんかがお茶でも嗜んでいるのだろうと思った。
幼い時分だったから、殊更にそういったお茶会とかいうワードには敏感で(小さな女の子はお姫様に始まって、華やかな西洋文化に憧れるものでしょう?)、私にしてみれば側溝の中はさながら不思議の国ならぬ夢の国だった。
毎日毎日お祭り騒ぎで、皆にも幸せを分けてあげようとしている優しい人たちの楽園なんだと確信していた。
だって、柵の隙間から伸びていた手は、いつも私を手招いていて、優しい声で「おいで」と繰り返すのだから。
私が、その事の異常さに気付いたのは、恥ずかしながらかなり遅く、中学一年生の夏のこと。陽炎の立った道路が、区画整理で掘り起こされていた時のこと。
見物人が妙に多いなと思って、何事かと野次馬根性丸出しで背伸びしたら、工事現場の人が熱いのに真っ青な血の気の引いた顔で、何かを指差していたのが目に入った。
なんだろうなと更に目を凝らして、私は瞬間、自身の異常さを自覚した。そして悟った。
「あぁ、なるほど。側溝の下は夢の国じゃなくて黄泉の国に繋がってたんだ」
――なんて、そんな得意げに言えそうな事はその時は流石に思っていないだろうけど、多分それに近いことを。
人骨ってあんな感じなんだなって、思った。
今私が紹介した話は、私の経験のほんの一部だ。
昔から可笑しな子だとは言われていたけど、その意味をこんなに深く考えるようになるとは思ってもみなかった。私は異常に怖がりだし、霊異の類は本当に苦手だから。
ただ、霊異に限って言えば、私は単純な恐怖だけを感じているのではないのだとも思う。
多分、私は普通から逸脱するのが恐ろしいのだ。普通の人の見えない何かが見えているのが、恐ろしいのだ。普通じゃないからと迫害されるのが、これ以上なく恐ろしいのだ。
そう思えることの貴重さと、そう思うことの普通さを、私はあの人に教えてもらった。
だから私は、少しだけ勇気を出して霊異という奴に寄り添ってみようと思う。分かるが故に拒絶していた私が、分からないが故に受容する「普通の人」のように、霊異を受け入れてみようと思う。
この日記はその一歩だ。
誰に見せるわけでもないのに気取った書き方だが、そこはまぁ、許容して欲しい。経験した私自身、客観的に起きた事実だけを書かないと、信用できないくらいなのだから。
怪談を百話語ると霊異が現れるそうだが、なら私が百の話を書き終える頃には、既に百一話目のネタが出来ているのだろう。あの人ならそうしてくれると、私は信じている。
誰に見せるわけでもないと言ったばかりなのにおかしな話をするようではあるものの、もし万が一見る者がいたのなら、まぁ、今すぐこの日記を閉じろとは言うまい。
ただ、一つだけお願いを聴いて欲しい。
もし、あなたの周りに可笑しな事を言う子供がいたとするならば「子供の言うことだ」で済ませることなく、少しで良いから真面目に考えてあげて欲しい。
虚空を見つめているとき。独り言を発しているとき。
決して彼らを軽んじず、馬鹿にせず、しっかりとその正体の分からない何かについて考察して欲しい。そして、出来れば手を握ってあげて欲しい。強く強く。離さないという確固たる意志を持って、握ってあげて欲しい。
私達みたいなのは、それだけできっと十分だから。
この一連の「お願い」は、私が放った「呪」だ。
万が一あなたがこの言葉を忘れたら、あなた自身に、或いはあなたの大事な人に、何かが起きるかもしれない。そういった霊異の類だ。
だから忘れないで欲しい。
側溝の国に私が行かなかったように、この言葉を頭の片隅に置いておくだけで、あなたとその大切な誰かを護ることが出来るかもしれないから。
さて、そろそろ本題に入ろうか。
この日記の記念すべき一頁目。百の物語の一話目。或いは先程の「側溝の国」と合わせて二話目か、若しくは「お願い」含めて三話目か。
日記としては反則かもしれないが、一連の事件を説明するために、三日ほど時を遡らせて貰う。
春の暮れ。桜の散り始める季節。天気は晴れ。月の大きな夜。
出会いと別れの季節に訪れた、夜よりも尚暗い、あの影の如き男性との出会いから、始めよう。
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