第十四章 「対峙」
――キリアとの対話から一か月後
厚い雲で覆われ、昼とは思えないほど暗い空。
デュラハンは心が沸き立つ景色を臨んでいた。目の前に広がるのは、キャメロットが所属するアヴァロン・プロダクション。現在、その前には即席で築かれた要塞と侵攻を妨げるように配置された十数本の太い柱、無数の防護柵が配置されていた。
要塞の上にはもちろん、いくつかの柱の上にも輝化した白のアイドルたちが並んでいる。少女たちはそれぞれの輝化武具を携え、自信たっぷりの不敵な表情で、毅然と立っていた。
白のアイドルたちが、なぜこれほどの臨戦態勢を取っているのか。
それは、デュラハンが立つこちら側に、三千体のイドラがにひしめいているからだった。
アヴァロン・プロダクション郊外の小高い丘。
そこは「スポット」と呼ばれる特別な場所だった。
――スポットとは、世界中の山間部、峡谷、川沿い、湖などの地形に点在し、地表からイドラ・アドミレーションが湧きだす場所のことだ。
実は、このスポットとイドラの大釜はつながっていた。
大地の下には、大釜の底から全世界のスポットにつながる微細な聖杯連結路が張り巡らされており、これを経由して大釜とスポットの間でイドラ・アドミレーションが移動している。
地表からスポットに対してイドラ・アドミレーションを作用させると、連結路が拡張され、かたちをもったアドミレーションの移動が可能となる。これを利用することで、大釜で生まれたイドラを各スポットへ転送することができるようになる――
今から一週間前。マリアが、その小高い丘を訪れ、彼女のパラノイアスキル『プレグナント』で育んだ巨大な黒蛇の神話型イドラを産みだした。
黒蛇は自分のからだを使って、丘に巻きついて締め上げ、丘を崩壊させる。そして、とぐろを巻いて、その場にとどまり、大地の聖杯連結路への干渉を始めた。
やがて、地面に黒くて丸いカーペットを敷いたようなイドラ・アドミレーションのフィールドがあらわれる。そこから大小さまざまなイドラが湧き出てきた。
何度か白のアイドルユニットが派遣され、神話型イドラの討伐ライブが行われたが、防衛に専念する黒蛇と湯水のように湧いてくる大量のイドラの激しい抵抗によって、ことごとく失敗に終わった。
日ごとにイドラが増え、合計三千体以上の出現が確認されたとき、マリアの号令があった。
「みなさん、出発します」
その一言で、黒蛇と三千体のイドラが移動をはじめた。まるですべてを押し流す濁流のように、アヴァロン・プロダクションへの侵攻が開始された。
そして今。デュラハンは後ろを振り返る。黒蛇の首の上から仮面ごしに地上を見下ろす。
三千体のイドラがすき間なく群がりうごめく様子は、まるで夜が生きているようだった。輝く白い星々を呑み込もうとする意思を持った夜だ。同じイドラでありながら、嫌悪感を覚えた。
デュラハンは再び前に視線を戻す。ふと要塞の上で、これだけの数のイドラを目の前にしても慌てずに各所に指示を出している女性に気がついた。迅速に判断が下されているようで、指示する様子に戸惑いがなかった。身振り手振りは鋭く鮮やかで、自信がみなぎっている。
キリアの記憶が教えてくれた。彼女がジュリアだ。
彼女が指揮をしているのであれば、これからはじめるキャメロットとの戦いの結果がすぐに伝わるはずだ。
(あたしとキリアの力。見せつけてやる……)
デュラハンのモチベーションは最高となった。赤熱する黒炭のような赤黒いアドミレーションが全身からあふれ出している。そのとき、隣に立つマリアから声がかかった。
「今から、あなたの舞台について、あちらの代表と交渉します。護衛としてついてきなさい」
「はい」
黒蛇が要塞の壁の高さまでさらに首を持ち上げた。そして、デュラハンはパラノイアスキルを発動する。マリアにもスキルを作用させて、要塞に向かって宙を歩いた。白のアイドルたちがざわめきはじめる。
デュラハンとマリアは堂々と進み、要塞の突端にたどり着く。そこにはジュリアと彼女を護衛する二人の白のアイドルがいた。
マリアが、ゆっくりとジュリアのそばまで移動し、暗闇のようなローブについたフードを脱ぐ。豊かな漆黒の髪。黒目がちな大きな瞳。それらとは対照的な透きとおるように白い肌。口元の両端をわずかに上げたアルカイックスマイルには不気味な迫力を感じる。
周囲のものものしさを気にかけず、マリアが朗々と話しはじめた。
「ノヴム・オルガヌム代表のマリア・レイズです。そちらの代表者はジュリアさんでよろしかったですか?」
ジュリアが一歩前に出る。切れ長の瞳。青みが強い黒色のロングヘア―にはゆるくパーマがかかっている。彼女の長い脚はパンツスタイルのレディーススーツによく似合っていた。
「ええ。ここの責任者、ジュリア・ヴィジレイトです」名乗った直後、ジュリアはあきれ顔を浮かべ、くだけた調子で続けた。「まったく……あなたのやることは、どうしていつも急で、派手で、規模が大きいんですか、マリアさん? 対応する身にもなってくださいよ」
「……あなたにとやかく言われる筋合いはありません。要求を伝えます。いいですか?」
ジュリアは、ひとつため息をついたあと、胸の前で腕を組み「聴きましょう」と応えた。
「キャメロットの四人を差し出してください」
「四人をどうするおつもりですか?」
マリアが右手を開いて、デュラハンを紹介する。
「四人には、こちらで用意した会場で、このデュラハンとライブをしていただきます」
そして、マリアは左手を広げ、後方を指す。
「さもないと、あなたたちの目の前に群がる災害規模のイドラの群れがアヴァロン・プロダクションだけでなく、近隣の町までも蹂躙します」
ジュリアの表情は変わらなかった。ひるんでいるのか、焦っているのかはわからない。
「……もう少し、詳しく教えてください」
「わかりました」
マリアが説明をはじめた。
まずはデュラハンとキャメロットの四人が長距離輸送機でここから移動する。移動先はイドラの大釜のほとり。二年前にキリアと出会った場所だ。
輸送機の操縦はノヴム・オルガヌム側が用意する。移動中の戦闘行為は禁止とする。
目的地に到着後、デュラハンとキャメロットの四人が正々堂々のライブを開始する。ライブ中は、双方へのあらゆる形の干渉は厳禁。
アヴァロン・プロダクション側が、もしそれを破るようなら、イドラの大群の侵攻を開始する。また、イドラの群れに先制攻撃を仕掛けてきても同様に侵攻を開始する。
無事にライブ終了を確認できたときはじめて、目の前のイドラの大群を撤退させる。
ライブ終了後、ノヴム・オルガヌム側からキャメロットやアヴァロン・プロダクションに攻撃を加えるつもりはない。ただし、デュラハンやイドラが撤退する際に追撃があった場合は徹底抗戦をさせてもらう。
ここまでで、ジュリアが質問する。
「ライブ終了の判断はどうしますか?」
「それは、『デュラハンが戦闘不能になるか、降参するか』もしくは『リンが戦闘不能になるか、降参するか』です」
「もうひとつ、現場付近で別のアイドルを待機させることは『干渉』にあたりますか?」
「待機・自衛に徹するなら干渉にあたりません」
「理解しました……キャメロットを呼んで、協議します」
「わかりました。五分待ちましょう」
ジュリアは後ろを向き、ぼそぼそと小声で独り言を話したあと、聖杯連結による会話で、キャメロットを呼んだのだろう。ジュリアの元に四人が慌てて駆け付けてきた。
キャメロットがいる。それだけで、はやる気持ちが大きくなった。
彼女たちが何事かを話し合ったあと、四人が、「はい!」と声をそろえた。
その言葉で、すべてが整ったことがわかった。期待に胸が高鳴る。これから行きつく先を早く見たくてしょうがなかった。
今、デュラハンの目の前に未来が現れたのだ。
両陣営の中間地点で、デュラハンとマリア、キャメロットの四人とジュリアが輝化を解除した状態でイドラの大釜へ向かうための輸送機を待っていた。
そのとき、イドラの大群の後方から大きな音が聞こえてきた。輸送機とは、固定翼と回転翼を兼ね備えた垂直離着陸機のようだった。
回転翼の角度を変えながら、デュラハンたちの上空で止まり、垂直に降下し着陸する。
鋼鉄の翼の風切り音とともに強い風が巻き起こった。土ぼこりが舞い上がり、デュラハンたちの髪や服が翻弄される。
輸送機の扉が開いた。開けたのは操縦を担当する人型イドラだった。
「ナタリー、ルーティ、クレア、そしてリン。さあ、乗ってください」
マリアが乗り込むように促す。
四人が輸送機に向かって一歩踏み出そうとしたとき、ジュリアが声をかけた。
「バックアップを万全に整えて、後を追います。自分の思いのままに、全力で戦ってきなさい」
「はい!」
その光景を見たとき、心がきゅっと縮んだ。デュラハンは憤りを感じていた。
(それがキリアにはなかったんだ。だから、彼女は苦しんでいた)
四人が輸送機に乗り込んだのを確認したあと、デュラハンはマリアと向き合った。
「いってきます」
マリアがうなずき、微笑んだ。
背を向けて歩き出そうとしたとき、背中をやさしくたたかれた。
「がんばりなさい」
芯のとおった優しい声。
驚きとうれしさに涙がこぼれる。恥ずかしくて振り向くことができない。
デュラハンは背を向けたまま、「はい!」と答えた。
仮面を外し、涙をぬぐう。まるで心に大きくて温かい力のかたまりが宿ったようだった。
輸送機に乗り込むと、回転翼が加速した。風を切る音がひときわ大きくなったあと、離陸した。鈍色の厚い雲が広がる空へ、急上昇していく。
デュラハンは窓ごしにマリアを探した。彼女はすでに小石のように小さく見える。それでもマリアに背中をたたかれた感触は、まだはっきりと残っていた。今ならキャメロットに勝てる。その自信と勇気が湧いてきた。
輸送機は、アヴァロン・プロダクションを出発して数時間。イドラの大釜を目指して北北東へ進みつづけていた。
乗客用の座席は、合計二十四席ある。壁面に背を向ける形で配置されていた。
デュラハンは進行方向にむかって右側の一席に座り、キャメロットの四人は左側の四席に並んで座っている。互いに向き合うかたちだった。
目を閉じ、焦り猛る気持ちがあることを認識しつつ、自分の呼吸に集中する。そのとき、突然に名前を呼ばれた。その声の主はナタリーだった。
「あなたは、誰ですか?」
目を開け、ナタリーを見る。
「おかしなことを言うんだな。あたしは、デュラハンだ」
あとを追うようにルーティも問いかけてきた。
「キリアさんはもうそこにいないということ? あなたの心の近くにあったはずのキリアさんの聖杯。それは消滅してしまったのですか?」
「キリアは、聖杯の奥底に閉じ込めた。だからキリアの聖杯は、まだ消滅していない」
「それならっ」ナタリーが勢い込む。「キリアさん! 私たちはジュリアさんからあなたを救ってくれと頼まれました。デュラハンに勝って、私のもとに連れてきて欲しいって……」
「キリアは、ジュリアに疎まれていたそうじゃないか、そんな言葉、あたしにはもちろん、この聖杯の奥で眠っているキリアにも届かないぞ」
「それは……」ナタリーの言葉が小さくなっていく。
「キリアは、あたしにとって大事な存在だ。絶対に、奪わせない」
強い決意が言葉に宿っていた。心とからだと言葉が一致していた。ナタリーとルーティがくやしそうに口をつぐむ。あたしの意志におじけづいたようだった。
「一ヶ月前の戦いで、あなたに伝えました」
突然、リンが話しはじめた。彼女の真っ直ぐな視線を受け止める。その瞳からは自分のものに勝るとも劣らない決意がにじみ出ているように感じた。
「わたしが抱えていた二つの絶望から救ってくれたのは、キリアさんでした。
彼女は、わたしにアイドルになるという大きな目標をくれたんです。その目標はわたしの中でずっと光り輝いていて……絶対に届いてみせると誓いました」
リンの視線はまっすぐだった。まるで、心の奥底にいるキリアを見据えるようだった。
「キリアさんは道標です。そして、いつか追い抜いてみたい。そのために前に立っていてほしい。わたしにとっても大事な憧れの存在です。絶対に取り戻してみせますっ!」
すぐに声を荒げて反論したかった。
(キリアのことを一番大事に思っているのは、あたしだ。そして、彼女の願いを叶えるのも、このあたしだ)
しかし、それはしなかった。比べることなどしなくても、自分の想いを疑ってはいない。
その代わりに皮肉まじりの言葉でリンをおどした。
「あたしと戦うことは、キリアと戦うことと同じだぞ。大事なキリアと戦うことになってしまうが、良いのか?」
「……キリアさんと戦えるなんてっ! すごくうれしいです!」
しかし、彼女には通じなかった。
リンの瞳が橙色に怪しく光り出す。厚い雲で日がさえぎられ、すっかり暗くなった輸送機の中で、橙色の光が乗客用エリアを淡く照らす。
「わたしがキリアさんを倒す未来……とてもわくわくしますっ!」
思いがけない言葉と雰囲気にデュラハンは気圧されてしまった。リンに得体のしれない恐怖を感じ、二の句が継げなくなった。
そのとき、窓の外を見たクレアが声に出した。
「到着、しましたね」
デュラハンも近くの窓をのぞく。島の真ん中にぽっかりと開いた大きな穴が見える。確かにイドラの大釜に到着していた。
輸送機は、イドラの大釜の湖畔から距離にして二キロメートルほど離れた場所に着陸した。
デュラハンとキャメロットの四人が地上に降り立つ。その場所は、背の高い植物など視界を遮るものがほとんどない、乾燥した土がむき出しになった荒野だった。輸送機の回転翼が砂塵を舞い上げている。
空を見上げた。いつもと変わらず、厚い雲が空を覆い、太陽の光をさえぎっていた。ぼんやりした暗さと濃密な静けさが、寂しさを誘ってくる。
デュラハンはキャメロットの四人から離れるように歩きはじめた。
「ここは、イドラの大釜と呼ばれる、莫大な量のイドラ・アドミレーションを蓄える巨大な湖だ。ノヴム・オルガヌムに所属するあたしたちにとっての聖地でもある」
足を止めて、振り返った。四人のまっすぐな顔がまぶしい。
「今日はここで、邪魔ものなしの真剣勝負をしてほしい」
「わからないことがあるの」ナタリーが質問をする。「勝負するのはいいんだけど、あなたにとって、どんなメリットがあるの?」
「それは、目標を達成するためだ。あたしの目標は、おまえたちを倒すこと、そして、リンを倒すこと。裏も表もない。ただそれだけだ」
「それだけ? そのために、あんなイドラの大群を用意したの?」
「そうだ。おまえたちに勝つことが、今のあたしのすべて。絶対にやり遂げたいことだ」
「はあ……すごいな」ナタリーは、あっけにとられ、何も言えようだった。
次にルーティが確認をする。
「本当に四対一でいいの? うぬぼれているわけじゃないけど、いくら実力差があるとは言え、多勢に無勢ではないの?」
「問題ない。この場所を選んだのはそこにも理由がある。ここはイドラ・アドミレーションが満ちた場所。あたしはここにいるだけで、アドミレーションを回復できる」
「では、戦いが長引けば……」
「そうだな。おまえたちのアドミレーションが尽きることになる。しかし……」デュラハンがキャメロットの後方を指さした。「実は、ここからさらに一キロメートル、イドラの大釜から遠ざかった場所に、『アイドルの泉』がある。液体化したアイドル・アドミレーションが溜まっている泉だ。その泉でアドミレーションの回復を行うことができる」
――濃い影のそばには、強い光があるように、アイドルの泉は昔から存在していた。
世界中のスポットから大地の下に張り巡らされた聖杯連結路をとおってイドラの大釜に集められるアドミレーションは、ほとんどがイドラ・アドミレーションだ。しかし、まれにアイドル・アドミレーションもやってくることがある。
アイドル・アドミレーションはイドラ・アドミレーションと反発するため、イドラの大釜から離れた場所に溜まりはじめる。そして気の遠くなるような期間が経過したあと、池のような大きさになったのだ。イドラは、アイドル・アドミレーションを避けるため、あるきっかけでコップ一杯分でも溜まれば、泉と呼ばれるほどの量まで溜まることがある――
ルーティが目を閉じ、耳をすますような表情をした。周囲のアドミレーションを探っているのだろう。やがて一度うなずいた。
「みんな。デュラハンの言うとおり、大きなアイドル・アドミレーショを感じる場所が後方一キロぐらいの場所にあります。利用しましょう」
「さて」キャメロットの四人を見つめた。「他になければ、そろそろはじめようか」
デュラハンは仮面を再度装着し、胸に手を当て、決意を込めて宣言した。
「輝け!」
赤黒い光に包まれて、三秒。輝化防具をまとい、右手に大剣を、左手に盾を具現化した。仮面がヘルムに変化し、バイザーがばしゃっと閉じる。デュラハンの輝化が完了した。
「輝け!」
次に聞こえたのは四人のそろった声。キャメロットも輝化を宣言した。
黄色、青色、赤色、そして橙色。それぞれの色のアドミレーションをまとって、三秒。四人全員が輝化防具と武具を具現化する。
四人それぞれが流れるように立ち位置を変えた。キャメロットが得意とする連携攻撃。そのフォーメーションだ。ナタリーが、がつんと拳を打ち合わせ、ルーティはゆっくりと杖を高く掲げる。クレアが姿勢を低くして油断なく構え、リンは飛び出す合図を待っているようだった。
「みんな! 思い切って行くよっ。バックアップは必ずある。だから、負けたときの心配はぜんぜんいらない! 全力全開だっ!」
ナタリーの号令。他の三人から「はい!」と小気味よい返事が返ってきた。
デュラハンも改めて宣言する。
「今こそ、あたしが臨む未来っ!」大剣と盾を構える。「キャメロットを倒す! リンを倒す! キリアの願いをかなえ、誇れる自分になって、彼女と再会する!」
キリアと自分の力を余すところなく全力で示す。デュラハンがこれから行うことは、たったそれだけだった。
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