第十五章 「さまよう愛情」

 ――あと三歩。

 ルナは地面に座り込み、逃げようともしなかった。

「ルナ! ルナっ! お願いっ! 逃げて!」

 リンが伸ばした手から、意思とは関係なくアドミレーションが放たれた。

 それに当たり、ルナは、びくっ、とからだを震わせ、白目をむいて、意識を手放した。崩れるように倒れる。

 ――あと二歩。

 絶望に沈む心と、歓喜に震える心。引きちぎられそうだった。

 ――あと一歩。

 リンは目を閉じた。

 手がルナに向かって、伸びていく。

 しかし、その手は押し戻された。

 目を開ける。手の先には、黄色の分厚い障壁があった。手だけではなく、からだまで押し戻される。どんどんルナから離れていく。

 リンが驚く間もなく、障壁は左右に広がり、リンを覆いつくした。

 三つの人影が上空から舞い降りる。キャメロットの三人だった。

「リン!」ナタリーが近寄ってくる。「閉じ込めちゃって、ごめん! すぐになんとかするから」

「ど、どうすればいいんですか?」

 紅いヘルム越しに、クレアの声が聞こえた。

「二人とも、一度リンから離れて!」ルーティが焦っている。「リンはとても危険な状態よ。うかつに手を出しちゃダメ!」

 キャメロットの三人が、リンのもとに駆けつけてくれた。神話型イドラを退治した直後なのだろう、輝化したままだった。防具は土やすすで汚れ、たくさんの傷がある。壮絶な戦いだったことがわかった。

 疲弊しているはずなのに、リンのことを心配してくれている。とても心強かった。

「そんな……どうしてですか? ルーティさん」

 クレアの質問に対して、ルーティが、強い口調で説明を始めた。

「これほどの量のアドミレーションに触れたら、確実に『アドミレーション依存症』になってしまうわ」

「アドミレーション依存症……」

「聞いたことない? 他人のアドミレーションで聖杯が満たされてしまうと、聖杯が上手く機能しなくなるの。具体的に言えば、自分のアドミレーションが生成できなくなる。戦う力がなくなってしまうのよ」

「そんなこと言ってられないよ!」ナタリーの強く凛々しい声。「ルーティ、クレア。リンのアドミレーションを少しでも引き受けるよ!」

 リンの手が、ナタリーの障壁を突き破った。そのとき、

 ナタリーに、しっかりと抱きとめられた。クレアがあとに続き、ルーティも仕方ない様子で従う。三人のからだが、リンのからだに触れた。

 しかし、一分も経たないうちに、三人に異変が起こる。

 ナタリーが突然くず折れ、地面に倒れる。クレアはひざをつき、肩で息をしている。ルーティは顔をしかめて、苦しさをかみ殺すような表情をしていた。

「ナタリー! 起きてっ! もう一度、リンに障壁を!」

 つらそうな表情で起き上がったナタリーが、リンに向かって手をかざし、障壁を生成する。何重にもかさねた分厚い障壁が再びリンを包み込む。

 キャメロットの三人でも止められない。残念な気持ちとともに、やっぱりそうか、という諦めの気持ちが生まれていた。

 この姿と制御できないアドミレーションは、他人を拒絶し続けていた自分自身のようだ。触れることを許さないほど、他人を無視し、自分の力に頼る。しかし、その自分の力さえ信じることができず暴走させてしまう。

 やはり、他人にかかわらない生き方や考え方は、自分が苦しくなるだけだ。

 他人を信じることができないから、自分で何とかしようとする。

 しかし、自分一人では何とかできないことが多い。

 失敗が多くなる。そして、失敗ばかりの自分は信じることができない。

 自分を信じることができないから、誰が見ても完璧であることを目指す。

 完璧を目指すから、他人を信じる余裕なんてなくなる。

(悪循環だ……。このループから脱するには、どうすればいいの?)

 キャメロットの三人は、リンをじっと見つめたまま、くやしそうな表情を浮かべている。こうやって、真摯に向き合ってくれる「他人」もいる。心が温かくなった。

 ふと、後ろに気配を感じる。キャメロットの三人も視線をリンの後ろに移す。三人ともに驚き唖然とした表情だった。

「私が彼女を救います」

 リンは、後ろを振り向いた。そこには、真っ黒なローブをまとった、大人の女性がいた。

 なぜ気づけなかったのかと思うほど、彼女の全身からイドラ・アドミレーションがあふれ出していた。それは、今のリンに匹敵するほどの量と密度だった。

「マリア・レイズ……」

 ナタリーの声。続けて、ルーティが声を張り上げた。

「リン! 彼女は、イドラや黒のアイドルを組織したプロダクション『ノヴム・オルガヌム』の首魁。私たちの敵よ!」一拍あけて、再びルーティが叫ぶ。「クレアっ! やめなさい!」

「やあっ!」

 クレアの裂ぱくの気合。リンの肩越しから長槍が突き出てくる。

 しかし、マリアは慌てる様子もなく、アドミレーションを集束させた手で受け止め、横に払った。クレアは槍に引っ張られるように、地面にたたきつけられる。

 マリアと目が合う。リンの思いをしっとりと包み込むようなやさしい表情。どんな自分でも恐れず悠然と受け止めてくれそうだった。さっきまでは考えられないほどの安心感を得られた。

 それがもたらされるのは、きっと彼女の雰囲気だけじゃない。彼女から、あふれ出している膨大なイドラ・アドミレーションが関係しているはずだ。

 あの巨漢のイドラよりもはるかに、推測するのも馬鹿らしくなるほどに、大きなイドラ・アドミレーションをまとっている。それなのに、マリアからは恐怖を微塵も感じなかった。

 きっと、この暴走アイドル・アドミレーションの絶好の受け渡し相手となるからだ。イドラ・アドミレーションとアイドル・アドミレーションの相殺によって、ルナよりも、アドミレーションを引き受けてくれるはず。こんな自分でも受け容れてくれる存在がいることに安心した。

 マリアは、リンに近づき、腕を回して抱き寄せた。リンも橙色に光り輝く両腕をマリアの背中に回して、しっかりと抱きついた。

 心だけでなく、からだまでも、マリアにやさしく包み込まれる。彼女のからだは柔らかかった。顔をうずめると、甘い匂いもする。もう、ここから動きたくなくなってしまうほどの心地よさだった。さっきまでの焦りと苦しさが嘘のように消えていく。

「リン! 早く離れてっ!」

 ルーティの言葉を聞いて、ふと、マリアの顔を見上げる。落ち着いた声音が聞こえてきた。

「大丈夫。私を信じて、私に身をゆだねて」

 信じる……。他人を信じる。これまでのリンではできなかったことだ。しかし、リンは自然にうなずくことができた。キャメロットならば、マリアならば、信じることができる。

 マリアの背中から真っ黒で大きな翼が生えてきた。漆黒のローブが形状を変えながら、さらに翼が増える。何十枚もの翼が、リンとマリアのからだに折り重なっていく。外から見ると、きっと大きな繭のようになっているのだろう。

 暗転する世界。

 リンが、弛緩したままの意識で、ぼうっと成り行きに身を任せていると、やがて、暗闇が少しずつ晴れていった……。


 リンは泣いていた。大粒の涙が零れ落ち、頬を撫でていく。

 涙に濡れる視界。目の前には大人の女性が、リンの背丈に合わせてしゃがんでいた。

 手で涙をぬぐう。そのとき、自分の手が小さくなっていることに気づいた。さらに、視点も下がっている。周囲の景色が鮮明になったとき、リンは「今」がいつで、「ここ」がどこなのかをはっきりと理解した。

 四年前。人型イドラに襲われ、アイドルのキリアに救われた、あの路地裏だ。

 そして、目の前にいる大人の女性。彼女は、マリアだった。

 リンは不思議な感覚に襲われる。目の前にいるのがマリアだとわかっているのに、なぜか、目の前にいる女性を「お母さん」と呼ぼうとしている。しかも、その感覚に抗えなかった。

「お母さん」

「もう大丈夫だよ。あの黒くて怖いやつは、アイドルのお姉さんたちが倒しちゃったからね」

「わたしも助けてもらった」

 リンはうなずいたあと、涙に濡れた顔のまま、母親を見つめる。

「どうしたの? まだ怖い?」

「お母さん。わたしを病院に逃がそうとして、イドラを抱きとめたとき、どうして、あんなことを言ったの? 『殺されて楽になりたい』って」

 母親は少しうつむいて考えたあと、リンの目を見て、まっすぐ向き合う。

「リン……。ごめんなさい。嫌な感じだったよね?

 あのとき、とても疲れていたの。あなたの病気の治療と日々の仕事や生活に……。そして、なにより、あなたに不幸な人生を背負わせてしまったことの罪悪感に耐えられなかったの」

「だから、死にたかったの?」

「……死にたかったというよりは、逃げたかったのかもしれない。とにかく、あなたの前からいなくなりたかった」

「でも……それなら、どうして、わたしが残り八年間を使ってアイドルになりたいって言ったら、『全部やってみよう。希望を叶える。約束する』って言ってくれたの?」

「その言葉は、真実だよ。でもね、その動機は……、自分のためだったの。リンが私を恨まないように、不幸な人生を背負わされた、と責められないようにするためよ。

 私は、『リンの未来』の奴隷になる。そうすれば、抱えていられなかった罪悪感がなくなると思ったの。その考えは正しかったわ。それから始まった、あなたの夢のために忙殺される日々で、罪悪感は少しも覚えなかったから」

「でもっ! お母さんは……、わたしがくじけて、アイドルへの道を脱落しそうになったとき、『あなたならできる。何でもできる。信じている』って、頭をなでてくれたよ……」

「その言葉も、嘘じゃない。本当にリンならできるって信じていたよ。

 あなたが挫折して、アイドルになることをあきらめてしまったら、目的が達成できなくなるでしょ。そんなこと、許せなかった。だから、奴隷となって尽くしたの。だから、『選ばれた子』だって、励ましたの。

 私の贖罪を邪魔するのは、誰だろうと許すことはできなかった。他人はもちろん、私自身もそう。そして、リン。あなたが、夢をあきらめることも、結果的に贖罪を邪魔することになる。それさえも許せなかった」

「お母さん…………」

「さあ、おうちに帰りましょう。あんなに怖い思いをしたんだもの。ちゃんと休まないと」

 母親が立ち上がり、リンの手を取る。リンは足を踏ん張って、動こうとしなかった。

「どうしたの? リン、まだ聞きたいことがある?」

 リンは動揺する気持ちを何とか抑えて、母親との思い出を振り返る。

 母親から何度も聞いた「あなたならできる」という言葉。

 ことあるごとに、その言葉が、心の中で母親の声のまま再生され、心を支配していた。その声に全力で応えるため、ここで止まってはダメだと思い続けていた。

 その言葉に急かされ、縛られていた。

 でも、その反応は……、当然のことだと思っていた。

 母親があんなにやつれるほど、自分を犠牲にして働いたおかげで、アイドルを目指すことができるという感謝や、自分の余命が残り少ないことで母親を悲しませた贖罪として、当然だと思っていた。

 しかし、一方で……。リンが感じていた、思うようにいかない葛藤や挫折感が無視されることに、怒りや悲しみ、恨みのようなものを感じていた。

 そして、そのように母親を思うことが強い罪悪感にもなっていた。

 だから、自分の怒りや悲しみは無視して、母親の言葉に従って、ここまでずっと止まることなく走ってきたのだ。

 今、語られた母親の答え。それは、母親は自分のために、リンと接していたということだ。リンにとっては、そうとしか考えられなかった。

(わたしは、あなたのことを大切に思っていた。でも、あなたはわたしのことを……)

「……でも、ね。お母さんは……その、そう言うけど……、でも……」

「リン? 『でも』って……、どうして私の言葉を否定しようとするの?」

 それは、リンが母親のことを理解できないから。母親の気持ちが理解できないからだ。

 確かめたい、その気持ちは……。

 言葉と同時に、涙が込み上げてきた。

「お母さんっ! お母さんはわたしのことを愛していた?」

 母親は驚いたような顔をする。リンの手を離し、背を向けてうつむく。

「何、言っているの? そんなこと、聞かなくてもわかるでしょ?」

「わたし、わからなかったの。お母さんがどう思っているか……」

「リンのために尽くしてきたでしょ? それが証拠よ」

「でも、わたしは愛されていると感じなかったの!

 あなたのために生きているようで、あなたに操られているようで……。お母さんのこと、大切だから、こんな気持ちになっちゃいけないって、苦しかった!」

 母親の反応がない。もう目を合わせてくれなかった。

「わたしのこと、ちゃんと愛していたって言ってよ! それだけでいいの!」

 リンの心が認識を変えていく。母親だと思っていた目の前の人物が、外見と同じマリアであると認識できるようになってきた。母親の姿が、花びらのように散りはじめる。

「お願い、待って!」

 いくら願っても止まってくれなかった。眼前で母親が散り乱れ、空に舞い上がっていく。

「――――お母さぁんっ!」

 リンは、大声をあげた。愛しさと憤ろしさと寂しさが、ない交ぜになった叫び。

 顔を伏せて、それらの複雑な感情を受け止める。涙がとめどなく流れていた……


 思う存分に泣いたあと、リンは顔を上げた。目線が高くなった。今の姿に戻っていた。隣には、マリアが立っている。きっと今まで、彼女を母親だと思って会話していたのだ。とても恥ずかしかった。でも、話してよかったと思う。

 ずっと心にひっかかっていたことを聞けた。そして、言いたかったことを言えた。死に別れた母親と会話できたのは、良い経験となった。

 リンがマリアの方に顔を向ける。目が合った。マリアが真摯な瞳でリンを見つめる。髪と同じ漆黒の瞳は吸い込まれそうなほど澄んでいた。

「これで、あなたとお母さんの物語は、語り尽くせましたか?」

「語り尽くせた、と思います。母親のことを思い出にする準備ができた、という感じです」

 優しさのこもった微笑をたたえて、マリアが静かにゆっくりとうなずいた。

 同時に頭を優しくなでられた。マリアの手のひらの温かさが心地よかった。

「がんばりましたね、リン。あなたは、すごいです」

 マリアのねぎらいの言葉は、唐突だった。何に対しての言葉か、わからなかった。

 ルナとの戦い。オーディション。プロダクションでの研鑽。アイドルを目指して母親とともにがんばった二年間。人型イドラに襲われたとき。病院通いの日々。余命宣告の日……。

 それらのいずれか。もしかしたら……それらのすべて。

 誇らしい達成感を覚えた。胸のわだかまりをすべて洗い流す、大粒の涙がひとすじ流れる。

「ありがとう、ございます……」

 ここまでがんばってきて、本当に良かった。心の底からそう思えた。

「さあ、リン。残りの人生があなたを待っています。あなたは何をするんですか?」

「……わたしの残りの人生は、あと四年なんです。やりたいことはいっぱいあるのに、時間がない。わたしの力と残り時間では、何もできないかもしれない……」

 突然、マリアがリンを抱きしめる。彼女の温かさに全身が包まれた。

「マリアさん?」

「あなたの物語の登場人物は、あなただけ、ですか?」

「違い、ます。いろんな人たちがいます」

「その人たちに協力してもらえばいいんです」

「そんなこと、できません……。例えば、ルナは? 彼女は絶対に協力なんてしません」

「ルナだけじゃないでしょ? あなたが憧れたキリア、キャメロットの三人、マーリン。あなたがこれから関わる人たちは、たとえ、残り四年の人生だとしても、無数にいるはずです」

「そう、ですね」

「これから出会う人たちを信じて、頼りなさい。そうすれば、あなたの力だけではできないことが、できるようになります」

「『信じる』ことが難しいんですっ! 信じるに足る人かどうか、どうすればわかるんですか!」

「相手を確認する方法はありません。でも、自分ができることは知っています」

「それは……」

「信じたいと思う人を愛することです。その人を知り、その人を尊重し、その人のことを思い、その人の求めに応じることです。あなたがその人を愛し、信じる気持ちが通じれば、きっと、その人も応えてくれます」

「もし、裏切られたら……」

「そのときは、まず自分の大事なものをちゃんと守り抜くこと。

 そのあと、別の人を信じればいいだけです。あなたが関わる人は、その人だけじゃない。もっと世界を広げてみれば、応えてくれる人は必ずいます」

「そんなことが、本当にできるでしょうか。自信がありません」

「大丈夫です。あなたはすでにできています。ここに来る前、キャメロットの三人が敵だと注意していたのに、私のことを信じてくれたじゃないですか」

 そういえば、そうだった。すでに身近になっていたことに驚き、顔を上げる。マリアと目が合い、二人で顔をほころばせた。


「そろそろ時間ですね。もう外に出ても大丈夫でしょう」

 マリアがリンの後ろを指さした。振り向くと、そこには長く続く道があった。道の先では、光が輝いている。とてもまぶしかった。

「リン、応援しています。あなたが、あの光のもとまでたどり着くことを信じています」

 リンの肩が、ぽんと叩かれる。

 マリアに信じてもらえていることを確信した。それは勇気に変わった。

 道の先にある光源を見据える。

 はじめの一歩。

 歩きはじめる。次第に駆け足へ変わり、ついに走りはじめた

 風景が後ろに流れていく。風を切って、前へ進む。進み続ける。

 輝く光が近づく。まぶしすぎて、目を閉じた。

 それでも、リンは走り続ける……


 再び世界が暗転する。リンが目を開けると、そこはマリアが作った繭の中だった。

 周りを取り巻く暗闇は、濃いイドラ・アドミレーションが折り重なってできている。しかし、聖杯浸食されたときとは違い、この中は、優しい気持ちにあふれていた。

 ふと、自分のからだを確認する。いつもの見慣れた肌だった。いつのまにか、アドミレーションの暴走がおさまっていた。

 きっと、マリアの黒いアドミレーションと打ち消し合い、中和されたのだ。

 聖杯を作用させて、再びアドミレーションを生成する。

 リンは外に出たいと思った。そう思った瞬間、目の前の壁が縦に裂ける。外の光があふれてきた。とてもまぶしいけれど、優しく包み込むような光だ。

 その光を浴びながら、裂け目に手をかけ、繭から出る。


 繭の外には、キャメロットの三人がいた。

 はじけるように表情が変わり、それぞれが「よかった」と口にして、リンの手をにぎる。

 本当に心配してくれていたと実感できる反応だった。

 自分のことを信じて、愛してくれる。そんな人たちもいることを確信できた。涙が込み上げてくる。リンは涙目のまま、「ありがとうございます」と言い、三人の気持ちに心を込めて、しっかりと応えた。

 ざわざわっという音で、後ろを振り向く。繭の裂け目からマリアが現れた。

 繭がほぐれて何十枚もの黒い翼に戻り、すうっと漆黒のローブに変化した。

 マリアがリンの顔をまっすぐ見て、問う。

「あなたが臨む未来は、何ですか?」

 唐突だった。でも、ちゃんと答えなければならない。

「わたしの目標は、キャメロットの一員となること。キリアと再会すること。そして、キリアのように、絶望の淵にいる誰かを救えるアイドルになることですっ!

 何があっても、何を言われても、自分がどうなったとしても、必ずたどり着いてみせます!わたしの気持ちは、誰にも奪われることはありません!」

「わかりました。その思いを最後まで貫いてください。その思いに責任を持ってください。あなたの成長を楽しみにしています」

「はい!」

 マリアは笑顔でうなずいた。そして、彼女は突然、表情を変える。

 深刻な表情のまま、リンたちとすれ違い、ルナの元で立ち止まった。

 ものすごい威圧感だ。繭の中で話していた雰囲気とはかけ離れていた。キャメロットの三人も止めることができなかったようだ。

 ルナの傍らに膝をつき、リンの時と同じように、ローブから漆黒の翼を現す。そして、鋭い声音で「デュラハン」と告げた。

 一瞬ののち、がしゃん、という音ともに、空から、マリアのもとへ何かが落ちてきた。

 そこには、黒い騎士が立っていた。赤黒い炎のようなアドミレーションをまとっている。

 リンたちが唖然とする中、マリアが、その騎士に話しかけた。

「デュラハン。神話型イドラ『ベヒモス』のはこのエリアに侵入していましたか?」

 デュラハンと呼ばれた、竜をモチーフにした禍々しい甲冑をまとった黒の騎士が答える。ヘルムのバイザーで、声がこもっていた。

「ここには来ていないようです」

「……わかりました。あの『雄牛』め。からだに似合わない臆病さと狡猾さね。質が悪い。

 これだけのアイドル・アドミレーションが集まる場所なら、それを狙って現れると思ったのですが……。必ず見つけ出して、ルナに対する責任を果たします」

「マリア、この場はどうしますか?」

「ルナをこのままにしておけません。聖杯を洗浄します。それまで、私たちを守りなさい」

「はい」

 短く気合のこもった返事。デュラハンが大剣と盾を輝化し、リンたちに向かって構える。

 マリアの黒い翼が繭のかたちに姿を変え、閉ざされてしまった。

 ナタリーから声がかかった。ルーティとクレアも応じる。

「ルナを連れて行かせない! みんなっ、阻止するよ!」

「あまり長引かせたらダメよ。早く治療を開始しないと、ルナの聖杯が壊れてしまうから!」

「了解です!」

 ナタリーがリンに振り返って声をかける。

「リンも手伝って!」

「はい!」

 自然に答えていた。

 わだかまりは、まだある。でも、ルナがイドラ化されることを放ってはおけなかった。


 リンは、他者など必要ないと思っていた。

 でも、キャメロットに助けられた。マリアに助けられた。きっと、他の人たちにも助けられているのだろう。他者にも心はある。リンをわかってくれる人もいる。リンのことを預けたとしても、受け止めてくれる人もいる。

 目の前にいる人は、そのようなひとなのだ、と信じて、適切に頼ればいい。そうやってできた余裕で、自分を信頼し、先へ進むのだ。

 自分だけしか信用できないことで始まる悪循環を、ここで断ち切る。

 そう思ったら、世界が少しだけ、さわやかになった気がした。

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