第八話 変態でよかった
心の底から好き?
あいらぶゆー?
そんなのいらない知らない似合わない。
ゆーあーえっち。
それだけで私は充分だ。
「――ッ!」
頭を壁に打ち付けて、激痛を上書きした。刺々しい痛みから響くような鈍痛に変わって体がよろめく。
「な、なにしてるの!?」
そんな私を見てひよりちゃんが大きな声をあげる。その驚き具合を見るにこんなことは初めてなのかもしれない。
なら私はひよりちゃんのはじめてを奪ったということになる。はじめてを奪った。うえへへ。
「僥倖僥倖」
呪文のように呟きながら、頭を打ち付ける。壁が揺れ、そのたびにひよりちゃんが声をあげる。
「ちょっと、タマちゃん!」
「大丈夫ひよりちゃん。私、痛いのが好きなんだ」
「え、変態・・・・・・いや今更か。そうじゃなくて、急にどうしたの!?」
言うと、ひよりちゃんの目が大きく開かれる。
時というのは消費していくものだ。過去が今となり、今が未来となる。未来は今を構築する道標となり、今があるからこそ過去がある。その三つを繋ぎ止めながら前へ進むのがきっと人生だ。
かけがえのない時を誰かと過ごして楽しく笑い、それが思い出と希望に昇華する。
けど、網膜に焼き付いたこの劣情は変節を遂げない。ただ形を変えずにここにあるものは時を経て輝きを増すものでもない。
「ひよりちゃん、お願いがあるんだけど」
全身から熱が消えていくのが分かる。出会いと別れが交差して、ぐちゃぐちゃに入り乱れて目の前の人間像すら曖昧になっていく。
ひよりちゃんの好きな食べ物、嫌いな食べ物。佇まい、仕草、話し方や癖。消えていくものばかりだけど、そういえば私はもともとそんなもの気にしてもいなかった。
話している間も私はひよりちゃんの胸元をじっと見つめて粘ついた感情を胸の内に宿していた。みんなの言うとおり、私は変態なのかもしれない、変なのかもしれない。
「鎖骨、触らせて欲しい」
「え」
最後の晩餐なんて人は言うけれど、それは全うに生きた人間の抱く願望で、私は最後まで彼女の曲線美に触れたかった。
「いいけど」
「ありがとう」
ひよりちゃんがパジャマをはだけさせて肌色を露出する。赤面しながらもたどたどしい指の動きに、頭がズキンと痛む。
嫌いだ。
私は私の脳が嫌いだ。
外見に執着したところで一切の反応を見せなかったくせに、こうして内面に触れて魅力を感じた途端に痛み出す。
まるでそれこそが本当の『好き』で、外骨格に魅了される私の感情は偽物だと言われているようで、こんな脳に支配されているのが癪だった。
「あー、やばい。私、ひよりちゃんの鎖骨に触ってる・・・・・・」
指先でなぞるそれは本当に心地がよかった。
肩から喉下にかけて線を描く鎖骨は、私の指を胸に誘導しているようだ。私は鎖骨のそういう奥ゆかしい所が好きだった。
「タマちゃんは、これでいいの?」
「これがいいんだよ」
記憶喪失の原理は脳のメカニズムが解明されていない以上知る術はない。時折短期間の記憶障害や前向性なんちゃら? みたいなものもあるらしいけど、それでも人は指先というもう一つの感覚器官を忘れるわけではない。
ただ、私はそれを感覚器官なんて難しい言葉で言い表したくなかった。
「ひよりちゃん、エッチだ・・・・・・」
うわぁ、とめちゃめちゃ気味の悪い笑顔を浮かべてるのが自分でも分かった。
「ひよりちゃんの鎖骨が好き。ひよりちゃんの顔が好き。泣いてる顔も好き、笑ってる顔も好き。足も好き、小指が赤ちゃんみたいで好き。長いまつ毛が好き。力の強い瞳が好き。綺麗な形の耳も好き、高い鼻も好き。細い首も好き白い肌も好き。シュッとした体格も好き、ひよりちゃんの・・・・・・体が好き」
それが人の本能だ。その本能というやつが私はどうやら他の誰よりも強いらしい。
頭は痛まない。
それは偽物の好意だと主張していた。錯覚だと、一時的なものだと、人の本質は内面であると。
ふーん、なら、やってやろうじゃん。
「ひよりちゃん、聞いてくれる?」
「・・・・・・うん」
これは私の堅苦しい脳みそに対する宣戦布告だ。
「私、多分。またひよりちゃんのことを忘れるんだと思う。今までそうだったんだから、今回だけは特別にってわけにはいかないだろうし」
言うと、ひよりちゃんはすごく悲しそうな顔をした。ああ、その顔も好き! 写真を撮って美術館にでも持って行こうかな。いやダメだひよりちゃんは私だけのものなんだから!
「でもね、これだけは約束するよ。私、何度忘れたって必ずひよりちゃんのことを思い出す。こうして、頭を打ち付ければなんかぽっと思い出しそうだし」
「そんなの、ダメだよ。タマちゃんが傷付くのは、あたし・・・・・・嫌だよ」
「うう・・・・・・私なんかを心配してくれるんだ、ひよりちゃん。ちゅき」
ズキン。
ええい、うるさい。
「でも、いいんだ。私、変なのなんて今更だし変な生き方したって構わない。全然平気だし、むしろそれも楽しいって思えるよ」
『人を好きになるって多分そういうことなんだよな。その人のためならなんだってできるし、なんだってしてやりたいって思う。だから安藤の気持ちはすごく分かるよ。ちょっとやりすぎる時もあるし、周りからも変な目で見られる時もあるかもしれない。でも、安藤のその気持ちは絶対に間違いじゃないって、俺は思う。というか、俺がそうだったから』
男のくせに女の子の格好をして化粧までして、それで学校まで来る変なやつもそう言ってたのだから、間違いない。あれだけの変人があそこまで自信満々に言ってたのだから、私だって同じだ。同じ変態なのだ。変態には夢がいっぱいなのだ。変態の可能性は無限大なのだ!
「だからね、私は何度でも思い出す。普通の恋愛なんかじゃなくたっていい。そう思えるから」
「タマ、ちゃん・・・・・・」
「だから笑おう! せっかくお泊まりなんだし、もっと楽しもうよ! ね、ひよりちゃん! 大丈夫! 今日の思い出は忘れても、パジャマ姿の可愛いひよりちゃんと触った鎖骨の感触は忘れないから!」
気付けば私はベッドの上で立ち上がっていた。拳を掲げ、暗闇で佇む。
そんな私を見て、ひよりちゃんの顔が真っ赤に染まっていく。一点に注がれた視線は活きの良いマグロみたいに泳いでいた。
「あ」
そういえば私、すっぽんぽんなんだった。
「せっかくだし一発やろっか!」
なにがせっかくなのか分からないけれど、ついでというかなんというか、流れは大事だ。私だって活きの良いマグロみたいになりたい。
ピチピチと跳ねて、泳いで、広大な世界を駆け回りたい。いや嘘。大そうなことを言ったけど本当はただひよりちゃんの胸の上でピチピチしたいだけだった。狭い世界で、私は構わない。
「ふふっ、もう。タマちゃんったら」
「えへへー。じゃあさっそく」
「・・・・・・うん、しよっか」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
え!?
「するの!?」
「タマちゃんが言ったんでしょ」
「そうだけど、うそ! ほんとに! うわあ、えええ!? 夢みた――ぎゃあ!」
嬉しすぎてベッドの上で盆踊りをしていたらずっこけてしまった。
こりゃ危ないと思って机に手をつくと、ぶら下がっていた紐を引っ張ってしまう。
ビーーーーーーー!
けたたましい音が家に響き渡る。
「あ! ぼ、防犯ブザーが!」
「こらー! 珠樹!」
するとすぐに下からお母さんがあがってきて箒片手に部屋に入ってくる。
「この変態娘がー!!」
「ぎゃあ! お、お母様! 痛いですわ!」
「ふははははは! もっと痛がるがいいわ!」
もはやお母さんではなくそういうプレイの嬢だった。
「姉貴・・・・・・くくっ」
蜜葉は蜜葉で廊下から私を盗撮していた。
なんだこの家族、変態ばっかだ!
血縁には抗えないのだなと、今になって理解した。
「ひいいー!! ひよりちゃん、助けてー!」
裸で尻を叩かれている私をひよりちゃんはどう思っているのだろう。
「・・・・・・あはっ、あははっ!」
見るとひよりちゃんは。
お腹を押さえて、泣きながら笑っていた。
――変態ばっかだ。
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