第三話 そうだ勝負をしよう
私が駆け出した瞬間、彼女の肩がビクンと震える。目だけが先に扉を見て、逃げるかどうか逡巡しているようだった。
けど、彼女はこれからバイトに出勤するわけで、逃げてしまえばお店にも迷惑がかかる。なんて考えてるんだと思う。優しそうな彼女のことだから、そんなことはできないはず。
「――ッ!」
って思ったのに!
「逃げるの!? ウソ!?」
あろうことか彼女は身体をグルン! と回転させて一目散に店の外へと逃げてしまった。その行動に、店員さんもみんなびっくりしてる。そりゃ今はお客さん少ないかもしれないけどさ!
お店よりどうこうよりも私に会う方が嫌だったってこと!?
「まてまてーい!」
どこぞの怪盗を追いかける刑事の如く、私も店を飛び出した。
人混みをかき分けて懸命に逃げる後ろ姿はすぐに見つけることができた。というのも、たびたび振り返りながら逃げるその姿はあまりにも挙動不審で分かりやすかったのだ。ちょっと面白い。
けど、そこまで体裁を捨ててまで走る理由が私には分からなかった。それに目が合った時の彼女の瞳。驚いたようにも、そして。怯えているようにも見えた。
今だって、竦む足を必死に動かしているようだ。
私がエイリアンかなにかに見えてたり? それはそれで心外だった。人間を辞めた覚えはない。そういうところも全部ひっくるめて彼女と話がしたい。
今はただその一心だった。
ここで逃したらもう二度と会えない。なんだかそんな気がして、私まで焦るように足を動かす。
私だって体力のある方じゃない。限界も近かったし、へとへとで、吐息にも濁音が混ざってきた頃合いだった。それでも、走るのを辞めない。
私を突き動かすのはただ一つ。
彼女の・・・・・・エッチな鎖骨だ!
背中を押されてよたよた進むような、そんな走り方で狭い道を抜けていく。
がむしゃらに追いかけていると、いつのまにか知らない場所に来ていた。
林を抜けた場所にある、なにかの跡地。瓦礫と、それから伐採された木々が横薙ぎになっている。
「あっ」
そんな場所だから足場が悪い。私の目の前を走る彼女は盛大に転んでいた。だ、だいじょうぶ? 頭からいったように見えたけど。
慌ててこっちを振り返る彼女の額には土が付いていて、唇も石かなにかで切ったようで血が滲んでいた。
そんなもの気にも留めていないようで、彼女は四つん這いのまま私から逃げようとする。本格的にエイリアンだなぁ、私・・・・・・。
「捕まえた!」
「ッ!」
そんな彼女だったから捕まえるのは簡単だった。さすがに悲鳴まではあげなかったけど、触れた瞬間に彼女の身体が震えた。
「はぁ、はぁ・・・・・・! ちょ、ちょっと。逃げすぎだよ。あ、これ息切れだからそういう息じゃないから!」
地面にへたり込む彼女の顔は汗と、土と、血でぐしゃぐしゃになっていた。私の方を見ようとはせず、視線は地面に墜ちている。
――拒絶。
そんなようなものが頭を掠めた。
そっか、私のこと嫌いっていうんじゃないんだ。ただ、関わりたくないだけなんだ。
そっか・・・・・。
「ますます好き!」
「は、は?」
「前にも話したと思うけど、私あなたのことが好きなの! だからちょっとでいいから、またお話したいな~って。ど、どう?」
「いやだ、離して。さよなら」
冷たいその視線も好き・・・・・・。
「あんたと話すことなんてない」
「私はいっぱいある! 知りたいこと、たくさんあるの!」
「聞かれても教えない」
「うぐ・・・・・・」
まるでドア越しに喋っているようだった。くぐもった声は形を成さず、何を言っても届かない。けど、私は諦めない。諦めたくない!
「ごめんね。でも本当にこれだけは聞いて? 私ね、一目惚れしたの。それはもう、雷に打たれたみたいな衝撃で、でも絶対雷に打たれたくらいじゃ感じられない衝撃で、えっと、なんて言えばいいんだろう。けど、すぐに冷静になれて、あ、好きだって気付けて。だから本当に、仲良くなりたいだけなの」
「・・・・・・・・・・・・」
「変な勧誘とかでもないし、変な企みがあるわけでもないし危害を加えるつもりも・・・・・・多分ない。ああごめんなさい! 絶対ない! と思います!」
「あるんじゃん」
「てへ」
「さよなら」
下心を隠すのは難しい。それとも私がウソをつくのが下手なだけ?
「もう行くから。本当に、もう近づかないで」
これでもかと、辛辣な言葉を浴びせられる。一瞬、めげそうになる。どれだけ嫌われてるんだ私・・・・・・。
嫌いな人にこれだけ言い寄られれば、確かにこんな態度になってしまうかもしれない。
それならばと、私は趣向を変えて一歩引いてみることにした。彼女を掴む手を離して、何もしませんよ~のアピール。
「って、ちょっと!」
そうしてから数秒も経たないうちに彼女は走り出す! 切り替えが早すぎる!
「きゃっ」
けど、踏んだのは最初の一歩だけだった。彼女は足首を押さえ、表情を歪ませて屈んでしまった。ってなに今の声かわいい!
「だ、大丈夫?」
見ると、足首は赤く、腫れ上がっている。さっき転んだ拍子に捻挫してしまったのかもしれない。
私が近づくと、足を引きずりながら後ずさる。再びエイリアンになった私。
「来ないで」
逃げられないと判断したのか、彼女は私を睨みつけて威嚇する。私は肉食というわけではないのでよだれは出ないけれど、舌なめずりはする。ぐへへ。
「来ないでって言ってるでしょ」
「そんなの聞けませーん」
「・・・・・・ッ! なんで」
「だから、好きなの」
「あたしはきら・・・・・・」
一瞬、言い淀む。唇を噛んで、目を瞑る。何かを決心したかのように再び目を見開いて私を睨む。
「あたしはあんたが嫌い。はい、破局。もうあたしに関わらないで」
「そんなの納得できない!」
「ただの我が儘だ」
「我が儘にもなるよ。こんなに好きなんだもん」
「・・・・・・なんなの。好き好きって。ちょっと、おかしいよ」
「いいよおかしくても。おかしくても、ちょっと行き過ぎちゃっても、絶対間違いじゃないから」
「初対面の人に抱く感情として正解ではないでしょ、絶対」
「でも間違いじゃない」
「はぁ・・・・・・」
ため息をつかれてしまった・・・・・・。
「あたしが嫌だって言ってるのに」
「そんなに嫌なら、これで最後にするよ。その代わりちゃんと聞いてね。・・・・・・ねぇ、ひよりちゃん」
「ッ!?」
私がその名前を口にした瞬間、彼女は大きく目を見開いて私を見た。やっぱり。
「さっき荻川くんからのメールを受け取ったときに、ついでにメールボックスを覗いたの。そしたら『ひよりちゃん』って私の知らない連絡先があって、しかも私はその人と何度かやりとりしてた。なんだろうって思ってたんだけど、ねぇ。その名札とはなんの関係もないのかな」
彼女はよほど急いで出勤してきたのだろう。脇に制服を挟んだままだった。そしてそのまま私から逃げてここまで持ってきてしまっている。しかも名札がぶら下がっていて、そこには確かに『
それを隠すようにする彼女だけど、もうその時点で答えを言っているようなものだった。
「それも含めてお話ししようって思ってるんだけど、ダメ?」
「・・・・・・」
はじめて彼女は迷うように視線を動かした。
けど、私の決意が固いように、彼女の意志もまた固い。
「だめ」
「がーん! 今の流れでもダメなの!?」
「当然でしょ」
あくまでクールに、彼女は振る舞う。その鋭い瞳で私を見据えたまま、感情を押し殺すように、辛そうに、苦しそうに。
それなら、私だって対抗してやる。徹底的にやりやってやる。頑固なのは私だって負けていない。だって、後悔したくないから。
「そんな顔されても説得力ないよ。ねぇ、悩みがあるんだったら相談乗るよ。私に出来ることならなんでもするし、してあげたいって思う」
ああなるほど、と荻川くんの言葉を反芻する。
「もし、気に入らない所があるんだったら私直すよ! 好きになってもらえるように頑張る! 髪を切れって言われれば切るし、性格変えろって言われればもっとおしとやかになる! 声が嫌っていうのならもう黙るし! 男になれって言われれば男になる! 私はどうなっても構わない!」
彼女の瞳が緩む。星空に希望を探すように、私を見上げる。
「そのくらい好きなの! どんな困難だって乗り越えられる、どんな苦痛だって耐えられる! 好きな人の為なら、私迷いなんてないよ。だから・・・・・・ひよりちゃん――」
「――どうせ忘れるくせにッ!!」
「えっ」
泣き叫ぶような声が、空に轟く。
「もうやめてよ! もう辛いの、見たくないの! あたしの目の前で誰かが死んで、誰かが悲しむのを、もう見たくないの!」
「え、え? 死ぬって、どういうこと?」
「だってそうだ。過ごした思い出も、今も、未来も消える。それって・・・・・・死人と一緒だ」
彼女、もといひよりちゃんの言っていることが理解できなかった。
私が、忘れる? なにを? 誰を?
「さっき、あたしのこと好きって言ったでしょ」
「う、うん」
「じゃあ、もう長くない。あと少し経てば、あんたはあたしを忘れる」
「どういうこと? 好きになったら、好きな人のことを忘れちゃうってこと?」
ひよりちゃんは私から目を逸らして、小さく頷く。
そんな。そんなことって、ある?
だって私はひよりちゃんのことをこの前初めて見たし、初めて喋って、初めて好きになったはずなのに。じゃあ私は、こんなことを何回も繰り返して、そのたびにひよりちゃんのことを忘れてたってこと・・・・・・?
「だから、私とは、仲良くできないって」
「もう、誰にも悲しい思いはして欲しくないから。蜜葉ちゃんにも、明日原さんにも、それに・・・・・・」
その先を言わないひよりちゃんだけど、さすがの私でも察することができた。
一番辛いのは、ひよりちゃんだ。
だからあんなに必死に、怯えて、私から逃げたのだ。
「ごめん・・・・・・本当はこんなこと直接言っちゃダメだって、分かってる。タマちゃ・・・・・・あんたが一番、不安になるってことも、分かってる。ごめん・・・・・・」
「そういうことだったんだ・・・・・・」
そっか、だからひよりちゃんは私に事実を隠しながら関係を断ってしまえる拒絶を選んだんだ。
そっか。
それって・・・・・・・・・・・・。
「なんだ、そんなことかぁ」
私はホッと安堵の息をつく。
「じゃあ私が忘れなきゃいいだけじゃん」
「・・・・・・え?」
「だってそうでしょ? 私が忘れずに、ずーっとひよりちゃんのことを覚えていればいいだけでしょ? カンタンカンタン」
「そんな、こと・・・・・・できるわけないでしょ」
「いいや! できる!」
ドン! と擬音がついた気さえしてくる。私の迫力! 私は本気だ。
「そもそもね、ひよりちゃん。私は今、私が憎い。だってこんな可愛い子を忘れるって、夜な夜な思い出しておかずにすることもできないってことでしょ!?」
「何言ってるの・・・・・・」
ドン引きされた。
「あ、そっか。でもあれか。記憶から消えるからこそ何度も新鮮な気持ちで興奮できるのか」
「何言ってるの・・・・・・」
またドン引きされた!
ドン引きされたら、こっちがドン押しするまでよ。ドン押しってなに?
「とにかく! こんなエッチな光景を目の当たりにしておきながらそれを忘れるこの能天気な脳みそが許せないの! だからこれは私の問題! ねぇひよりちゃん、一度でいいからさ、鎖骨触らせてくれない?」
「さ、鎖骨」
「うん。鎖骨!」
一瞬迷って。
数秒迷って。
数分迷って。
数十分迷って。
「って長くない!?」
「だって鎖骨って、なんかヘンタイっぽいし」
「紳士だよ!」
「女は紳士になれないと思うけど」
「ぐぬぬ・・・・・・!」
完全に警戒されてしまった。
「じゃ、じゃあ写真で・・・・・・せめて写真に収めさせてください!」
「え、ええ・・・・・・」
「おねがーい!」
「それなら、いいけど」
なんとか、本当になんとか承諾を得られたので私は急いでスマホのカメラアプリを起動させる。
画面越しにでも伝わるその綺麗な曲線。出発地点は首元、そこから胸へ伸びていき、窪みが作る影とそれを伝う汗が胸の奥を官能的な熱で滾らせる。
荒い息を押さえながら、震える手でシャッターを押す。
「ありがとうひよりちゃん。これで私、絶対に忘れない」
「・・・・・・本当に?」
ひよりちゃんの声色が一瞬だけ、柔らかいものになった気がする。
「あ、いや。違う。あたしはもう、甘えない・・・・・・。そう、精々頑張ることだね」
と思ったらすぐに冷たくなっちゃった。あらら。
「じゃあ勝負しない? 一週間後にひよりちゃんに電話する。もし私が忘れてたら電話はいかないはずだから、そしたらそのまま自然消滅でも構わない。けどもし私から電話がかかってきたら、絶対出て。そしたら私、ひよりちゃんの名前を呼ぶから」
「・・・・・・分かった」
ひよりちゃんの表情は不安に塗れていた。
私だけが浮いてるような、重苦しい空気が辺りを囲う。
「大丈夫、信じて」
精一杯の笑顔を向けて、ひよりちゃんに言う。
「私、空気をぶっ壊すのは得意だから!」
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