第二十話 なにかがおかしい、ような

「薫ー!」


 手を振ると、向こうから少し背丈の大きめな影がこちらへ、こちらへ、ものすごいスピードで走ってきた!


「うわあ!」

「おっすどかん」


 さすがは陸上部・・・・・・。これでラグビー部も兼任していたら私は今頃吹っ飛んでいた。そもそも女の子ってラグビー部に入れるの? いや入らないでほしい。女の子は全員もれなくソフトテニス部でいい。ユニフォームがえっちだから。ぐえぇほっほひへ。


「なぁ、今すげぇキモい笑い方しなかったか?」

「え? してないよ?」

「あ、そう」

「変な薫」

「変態なタマ」

「なにをー!?」


 まったく何度言えば分かるんだろう。私は変態じゃないのだ。健全で、純粋で、目の前のものに真っ直ぐなだけなのだ。日本語って便利。


「映画って何時からだっけ?」

「2時からだな」

「あと1時間かぁ。どっか寄ってから行く?」

「うんやもう向かおう。フードコートで待ってようぜ、映画の予告もあそこで流れてるし。あれ見んの好きなんだよなー」

「あーわかる! あれいいよねー! これ面白そうあれ面白そうってなるし、これから見るやつの予告見るとわー楽しみ! ってなるし! あーワクワクしてきた! 早くいこ! 薫!」

「おいバカ引っ張んなってどうせお前」

「ぎゃあっ!」

「転ぶんだから」


 もう少し早く行って欲しかった。顔は打つ付けなかったけど、受け身をとった手が痛い。


「高校生にもなって転ぶのって逆に難しくね?」

「知らないよぉ・・・・・・しくしく・・・・・・」

「うわガチ泣きしてる」

「うぅ・・・・・・痛い・・・・・・」

「擦りむいてんじゃねぇか。ったく、あそこにコンビニあるから、そこで絆創膏買ったほうがいいな」


 なんて言いつつも、薫が奢ってくれた。絆創膏って、奢るものなのかどうかは分からないけど、まぁ。なんだかんだいって薫は優しいのだ。


 なんだか私の周りは優しい人ばかりな気がする。


「あ、疲れた。薫、動けな~い」

「そっか。じゃあなぁ~」


 そういうわけでもないらしい。すぐ起き上がってとっとこ追いかける。


 映画館まで向かう道中。二つの影が伸びて、意気揚々と縦に揺れる。楽しみだなぁ映画。ずっと見たかったっていうのもあるし、やっぱり薫と出かけるのは変に力も入らないし楽でいい。


「そういえばよ、タマ」

「んあ」


 だからこんな気の抜けた返事だってできちゃうのだ。


「今日、よかったのか?」

「え、なにが?」

「なにがって、今日土曜日だろ? 最近よく用事があったみたいだから珍しいなって思ってさ」

「そうかな? そうだっけ?」

「ああ、どうせろくな用事じゃないんだろうけどよ」

「なんて失礼な!」

「うわ、バカこっちくんな!」

「ぎゃあ!」

「どうせ転ぶんだからよ」


 絆創膏二枚目。ぺたぺたと貼る。痛い。


「用事はないから大丈夫だよ。ていうか、映画より優先する用事なんてない! あーはやくポップコーン食べたいなー!」

「食べ物目的かよ」

「どっちも!」


 映像と、食べ物、淡い光と、誇りっぽいにおい。きっとそんなようなものを全部ひっくるめた、空気が好きなのだ。


 それに私はなによりも身体を直接揺らすような重い音が好き。


「えへへ」

「うわ! 急に笑うな!」

「いいじゃんいいじゃん!」

「まぁ、いいけどよ。タマが幸せそうにしてくれたら」


 ふと、薫を見た。


 すごく嬉しそうに、笑っていた。


「私が幸せだと薫が嬉しいの?」

「あ? あ、あぁ。てか誰だって幸せな奴を見てたいだろ」

「んー、それもそっか。えへへ、薫は優しいね」

「んなことたぁない」


 なんて言いながらも、薫は赤くなった頬をかいていた。


 薫は優しい。それに、やっぱり、私の周りには優しい人が多い。


 蜜葉も私の心配ばっかりしてくれるし、荻川くんはこんな私を好きになってくれたし、響ちゃんは制服を貸してくれたし。


 私が頼りないからかもしれないけど、それでも私は恵まれているんだと思う。


「しょうがないから私も薫に優しくしてやるかぁ~!」

「いやいいよめんどうなことになりそうだから」


 ひどい信頼度の低さだった。いったい私って・・・・・・。


 とはいっても、優しくするとはどういうことなのか、具体案が見つからず。考えながら歩いていたら頭がくらくらしてきたので私はこのままでいることにした。


 優しくはなれなくても、平行線は辿れるだろう。


 白い線を、よっほっと跨いで歩く。子供か、と薫に言われたけど。まだ大人じゃなくていいよ、とおどけて返した。


 映画館を楽しむのに、童心は必要だろう。背が伸びれば景色も変わるんだろうけど、私にそれほどの好奇心はない。


 地面を蹴るこの足も、考え事をするこの頭も、今のままでいい。


「あれ?」


 薫と歩く街の中。ふと目が引かれるものがあり、そのまま視線を流した。


 艶のある黒い髪が風に靡いて、まるで教室で揺れる黒いカーテンのようだった。日差しよりも夕日を思い浮かべる。


 綺麗。うん。それはそうなんだけど。


 どこか懐かしいような、すごく遠くにあるような。不思議な感覚に包まれた。


「どうした? タマ」

「えっ? あ、いや、なんか・・・・・・めっちゃかわいそうな子がいた」

「なんだそのかわいそうって」」

「絶対かわいいんだけど、後ろ姿しか見えなかったから、だからかわいそう。かわいいそう?」

「ほーん」


 また始まったと言わんばかりに薫がすぐに興味をなくす。


 私も一度振りかえるけど、さっきの彼女はもうどこかへ行ってしまったようだった。


 あーあ、絶対かわいいのに、今の子。


 多分同い年ぐらいだよね? 背丈は私よりも少し大きめで、足も長くて、骨格もシュッとしてた。首筋は細くて、肌も白い。


 ああ、鎖骨は、鎖骨はどんな形をしてるんだろう! 見てみたいなぁ、触ってみたいなぁ、舐めて・・・・・・それはまずい?


「あー、鎖骨舐めたい!」

「それはまずいだろ」


 まずいみたいだった。


 映画館に入ると、チケット売り場へ向かうのより先にポップコーンを買った。そんな私の食い意地を薫は笑っていた。


 映画の内容自体もなかなかよくて、私も薫も満足した。


 帰りもファストフード店に寄り道して、映画の感想を言い合って、学校の話もしたりした。荻川くんと薫いい感じだよね、と冗談を言ったら鼻にポテトをねじ込まれた。


 そこからは服を見たりゲーセンに寄ったりして、ヘトヘトになるまで遊び歩いた。


「ばいばい薫! また明日ねー!」

「おう」


 温度差はあったけど、表面的なものだけだ。薫もきっと、内面には熱を帯びている、気がした。そうであってくれればいい。


 家までの夜道、星空を見上げた。


 北斗七星と呼ばれる星座があるらしいけど、あれは昔から鎖骨座にしか見えない。昔から鎖骨が好きなのか私・・・・・・。


 自分の胸の上を撫でてみるけど、その感触に納得はいかない。


「いつか出会えるかなー」


 私の理想の女の子。


 もし見つけられたら、どうしよう。


 この広い世界だ。


 逃がしてしまったらもう二度と会えないかもしれない。おおうふ、恐ろしい。


 じゃあきっと正解は、襲いかかることなのかもしれない。


 なんて、その時はその時の私に任せよう。


 そんな、襲いかかってしまうほどに大好きな女の子を求めて。


 私は今日も、幸せに生きていく。


「うおー! 待ってろ鎖骨ー!」

 

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