第五話 ほんのちょっとの小さな前進

「いってきまーす」


 私は私服に着替えておでこにできたこぶをさすりながら家を出た。


 スマホを開くと今は夜の九時。外もだいぶ暗くなり風も冷たくなってきている。私は小屋から自転車を取り出して駅へと向かった。


「彼女、今日もいるかなぁ」


 昨日彼女と出会ったのは夜の十一時。彼女はバイト帰りと言っていたし今日も同じシフトならあそこで待っていれば必ず会えるはず!


 駅に着いた私は自転車を止め、切符を買って無人の改札口を通る。まもなくして電車はやってきて仕事帰りのサラリーマンや飲んだくれのおじさんがいる中、私はあの子と会った時のシュミレーションをしながら次の駅に着くのを待つ。


「……金払ったらヤらせてくれるかな」


 何度シミュレートしてもエッチな展開にならないので、金で解決という最悪な考えにたどり着く私。それを見計らってか電車は止まり、駅に着いた。


 これまた無人の改札口。切符を入れるような機械はなく、出口に置かれた木箱に切符を置く。中にはそのまま駅を出て行く人もちらほらといるようだけど、まぁ見なかったことにしておこう。


「よいしょっと」


 駅から歩いて約五分。薄暗い路地に着いた私は腰を下ろして壁に寄りかかった。


「あと一時間半かぁ」


 スマホの時計は九時半。十一時までにはまだ時間がある。少し早く来すぎたかもしれないけどあの子がバイトを早上がりする可能性も無きにしも非ず。


 私は持ってきたブランケットを体に巻く。近くの換気扇から出てくるほのかな温もりも心地いい。


「あ、あー……エッチさせて! んー? 違うな、エッチな事……しよ? これも違う。おじさんとエッチな事しようや……」


 発声練習をしてみるけど、どうもしっくり来ない。やっぱりお金しか無い? 財布を開けてみるけれど、如何にも高校生といった手持ち金に涙が出てくる。


「バイトするのもありかな」


 面接で志望動機を聞かれた際、不運な動機が口を滑ってしまわないか心配。


「あ、やばい。眠い」


 ふと、気を抜いた瞬間にやってくる眠気。あんまりにもくだらない事ばかり考えていたものだから脳が呆れ果ててしまったのかもしれない。


「ふわ……」


 私は小さくあくびをすると首の力を抜き、重力のまま地面を見た。


「ちょっとだけ、ちょっとだけ……」


 人間、最悪一分寝るだけでも脳は十分に休めるらしい。メラトニンだかなんだか忘れたけど、原理なんて私にはどうだってよかった。


 一分目を瞑るだけ。そう思って瞼を閉じた私が人間の堕落さを舐めていたと実感するのは、随分先の事だった。




「んん……」


 目を覚ます私。一分だけ寝たはずが頭はかなりスッキリしていて、何故か肩や背中が凝っている。あれれ? おかしいな。


 嫌な予感というのはいつだって当たるもの。スマホを取り出して時間を見てみると、夜の十一時半。


「うわあああああああ!」


 やってしまった、と学校に遅刻した時よりも大きな声を出し一気に目が冴える。

 どうしよう! あの子、もう帰っちゃった!?


 慌てて辺りを見渡す。だけど、高速で移動する私の視界に映った人影は、どこかで見たことがあって、私の脳裏に最も焼き付いていたシルエットだった。


「ん、起きた?」


 私と目が合うと、昨日の彼女。私が会いたかった彼女が向かいに座って私に声をかけてくれた。


「あ、あれ? まだ夢?」


 状況がイマイチ掴めない。私はさっき寝たはず。そして目が覚めたらあの子が目の前にいる。なにこれ? エッチな夢でも見てるのか私は。


「随分熟睡してたようだけど、ヨダレ。垂れてるよ」


 唇に手を当ててみると濡れた感触。その感触に私はこれが現実なんだとようやく認識する。


「あ、あれ!? どうして、その、あれれ?」


 現実なのは分かったけど、なんで彼女が私の目の前に座ってるのかが理解できない。もしかして寝てる間に口説きおとしちゃった?


 そんな都合のいい自己解釈をしていると。


「あんたね、そんな大股開いて寝てたら危ないよ。この辺人通りは少ないけど治安はそんなによくないんだから」

「大股……あっ!」


 私は彼女に向けてなんとも破廉恥な体勢をとっていた。


「わ、私……視姦されてる!?」


 あの子に私の大事なところ見られてる! 何この感じ! 背筋がゾクゾクして気持ちいい!


 すると彼女は立ち上がると呆れたように。


「はぁ……それじゃ起きたようだし私帰る」


 踵を返して路地を去ろうとする彼女。


「あ、待って!……ぐへっ!」


 私は彼女の腕を掴もうとするもノールックで避けられてしまい勢いのまま地面に顔から突っ込む。


「……なに?」

「あの、もしかして……私が起きるのずっと待っててくれたの?」

「まぁ」


 彼女はそっぽを向きぶっきらぼうに答えるけど、その優しさに私の胸がいっぱいになっていくのを感じた。


「うぇへへ、ありがとぉ」


 もう少し爽やかなスマイルでお礼を言うつもりがにへらと緩んだ頰で気の抜けた声を出してしまう。


「ね、ねっ。少しお話していかない?」

「しないよ」


 きっぱりと断られてしまう。


「好きな食べ物は?」

「人の話聞いてた?」


 だけどせっかく会えたんだもん。引き下がる訳にもいかず果敢にも質問責めを開始する私!


「好きな食べ物を教えてください!」

「……納豆」

「好きな飲み物は!?」

「ほうじ茶」

「か、可愛い服だね! どこで買ったの?」

「忘れた」

「……」

「……」

「スリーサイズは?」

「帰る」


 私が必死に会話を繋ごうとするも彼女は無慈悲にも帰路に着こうとする。


「わー! 待って待って! あ、えっと……」


 言葉を探す。そしてフル回転させた脳内から見つかった言葉は、私が一番聞きたかった事だった。


「あなたの名前、教えてくれる?」


 昨日断られたこの質問。私はもう一度彼女に問う。


「……教えられない」

「だ、大丈夫だよ!? 私あなたの名前を聞いて住所を特定し、通っている学校を調べてストーキングしたあげく家まで着いていき寝込みを襲うとかそういうのはしないよ!?」

「あんたの計画を一部始終教えてくれてありがとう。じゃ」


 やっぱり帰ろうとする彼女。


「あ、私の名前教えるから!」

「……安藤珠樹でしょ。知ってるよ」


 切り札と言わんばかりに出した私の案も一閃、切り捨てられた。


「あれ? 何で知ってるの?」

「昨日、あたしが帰るときにあんた叫んでたでしょ」


 あー、そういえばそうでしたね。半分消えかかってた自分の記憶を何とか辿る、


「そっかそっか。じゃあ私の自己紹介は終わりだね。というわけで私のことは珠樹って呼んでね? あ、なんならマイハニーとかでもいいよ?」

「そう、で。安藤」

「どちらでもない方が来た!?」


 どこか距離を置くような苗字呼び。だけど彼女に名前を認知されたことは嬉しいしこれは確かな前進と言える。


「安藤は、なんであたしにそんなに付き纏うの」


 彼女は私の方を見ないまま、無機質な声色で問いを投げてきた。


「なんでって、うーん……エロいから?」

「……」

「って、ああ! 口が滑っちゃった! い、いいいまの無し! 無しだから! 聞かなかったことにして!?」


 また悪い癖。君のことが好きだからさ、と紳士にカッコよく行こうと思ったのにこれだ。いやでもエロいのは事実……ではなくて! なんとか弁解を!


「違くて! 私、初めてその……誰かに会いたい、とか思ったっていうか……私にもよく分からないんだけど、友情とは違って、これが好きってことなんじゃないかなぁって思っちゃったりなんかして、だから私!」


 私は精一杯、胸の内を告げる。彼女にドン引きされるかもしれないけど、伝えたいことはしっかりと伝えないといけない、そう思った。


「私、今まで好きっていうのがどういうことか分からなかったんだけど、初めて人を好きになった気がするの! 今は、本当に気がするだけだけど、いずれは!」

「無理だよ」


 私の告白に、やはり彼女は浮かない顔で、沈んだ声色でぼそりと呟く。


「無理って、どうして?」

「だってあんた強姦魔じゃん」

「グサっ」


 言葉の通り、何か鋭いものが私の胸に突き刺さる。


「あ、あれは……ほんとに、ほんといっときの過ちで! 今は本当にあなたのことが好きで!」


 そんな私の言葉も彼女の心には一ミリたりとも響いていないらしく蔑むような視線を向けられる。むむ、ならばここらで証明しなければいけないようだ。


「だってこんなにエロい女の子初めて見たんだもん! 足は細いしくびれも綺麗。適度に膨らんだおっぱいと健康的な太もも。それに鎖骨は私のどストライクの形状で滴る汗が鎖骨を伝うたびに動悸が止まらないの! こんなの恋以外のなにものでもないよ!」

「帰る」

「あれえ!?」


 よくよく考えれば強姦魔のただの言い訳でしかなかった。いや、言い訳にすらなっていないかもしれない。どこか捻れた私の熱弁は一方で彼女を冷めさせてしまったようだ。


「あ、待って……!」


 縋るように手を伸ばすけれど、私にはもう彼女を引き止める手札が残っていなかった。


「あたし明日も学校あるし、バイト帰りで疲れてんの。悪いけど何もないなら帰らせて」


 だけど彼女は足を止めてくれる。帰る気満々なのは変わらないけれど、私の言うことには聞く耳を持ってくれているようだ。やっぱり彼女は優しい。


「えっと……」


 もうすでに十二時を回っている可能性もある。さすがに彼女の言い分は正しくて、今の私はただの迷惑な女だ。私は何とか、次に繋げようと言葉を探して。


「明日も、ここに来てくれる?」


 そう、聞いた。


「来ないけど」

「ガーン!じゃあいつなら来る? 私一日会えないだけでも禁断症状で吐血しそうだよ!」


 私がほぼ白目を剥きながらそう言うと彼女は一つため息をついて、だけど宥めるようなそんな言い方で。


「来ないけど、明日もバイトあるから帰りに通るよ」


 その瞬間、私の心が晴れ渡るように輝いた。


「そっか、そうなんだぁ……えへ、えへへ」

「……またここで待ってるつもり?」

「ぅえ? そうだけど、あ! もしかして顔に出てた!?」

「はぁ……別に勝手にすればいいけど、また大股開いて熟睡してるのだけはやめてよね」


 彼女はそれだけ忠告をすると、今度こそ歩みを始め、暗闇の向こうへと消えていった。


 一人寂しくなった路地。


「明日も、会う約束ができた……!」


 約束というにはあまりにも一方的かもしれないけど、これは確かな前進のはずで、きっとあの子も心を開いてくれたんだと思う。


「でもなんで、あの子は私にこんな優しくしてくれるんだろう」


 ふと疑問に思う。私はいきなり襲いかかってきた強姦魔で、どう考えてもあの子にとっては赤の他人よりもレベルの低いほぼ最底辺に位置する人種のはずなのに。寝ている私を待っていてくれたり、嫌ならすぐにでも私を振り切って帰ればいいのに、そうはせずに私の言うことを聞いてくれる。


 ……どうして?


「まあ、エロい子ってだいたい優しいし」


 そんな疑惑も少し経てば私の自己解釈によって解決完了。


「やっぱりね〜性格って体に出るんだよねぇ、性格悪い人は体も貧相になるけどあの子みたいに人を思いやれるいい子はああやってツルツルフワフワな健康的なエッロい体になるわけよ」


 うんうんと頷く。とりあえず明日も会える約束はしたし、あの子。私の名前を覚えてくれた。呼んでくれたのは二回か三回だけだけど。それでも今日の収穫は十分あったと、満足した笑みを浮かべながら私も帰路に就くのであった。


「あれ……ていうか終電逃した?」


 恋の道は険しい。

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