第8話 走れタカシ②
ボクらは走った。
最初は夜に走るのが新鮮だったが、すぐに息が切れて苦しくなった。
「兄ちゃ…ごめっ…ちょ、ちょっと待って…もう少しゆっくり…っ」
「あと20分で閉まるぞ」と言いつつも、兄は足を止めてボクの背を撫でた。ゼイゼイいうボクを心配している。
「おんぶは無理だし…とりあえず歩こう」
「うん…」
ボクらがせっせと早歩きしていると、向かいから車が来た。
「タカシ君っ!どうした、こんな夜中に?」
車の運転席から顔を出したのは丸眼鏡だった。
「そっかあ、青春だねぇ。すぐケーキ屋に着くよ、お金はあるのかい?良かったら貸すよ」
丸眼鏡はボクらを後部座席に乗せ、運転しながら事情を聞いた。
(おぼっちゃんめ…)
ボクが素直になれずにいると、兄は「はい、お金は大丈夫です!助かりました」と丁寧に頭を下げた。
「じゃあ、待っててあげるから買っておいで」
どうやらミキの家まで送ってくれるようで、ボクは正直ほっとした。が、それは違うだろ?とボクの中のユンジュンが言った。
「ここからは歩きます。これ以上ズルしたらいけない気がして…すいません。目的地は近いので大丈夫です!」
ボクが意地を張って言うと、兄が心配そうにボクの瞳を覗き込んだ。黄疸は夏休みから出ていない。
「すいません、弟はこう言うと絶対曲げないのでここから歩きます。ありがとうございました」と兄が丸眼鏡にお礼を言ったが、ボクは、
「あの、兄だけ自宅に送ってもらえませんか?明日大事なピアノの授業があるんです」と頼んだ。
今、兄は年初めのコンクールに専念している。授業を万全の体調で受けて欲しいのだ。
兄は困った顔をしたが、諦めたようだ。
「…仕方ないな、タカシは言い出したら聞かないんだから。携帯を持ってって。暗証番号はお父さんの車のナンバーだ。お金はクリスマスプレゼントだよ」
「わかった。ありがとう。じゃあ、兄をよろしくお願いします」
ボクは兄からお金と携帯電話を受け取り、しっかり丸眼鏡に頭を下げて二人を乗せた車を見送った。
そして閉店間近のケーキ屋で店員さんに手伝ってもらいながらミキへのプレゼントを
店の外に出ると頬が火照っていたので冷気が気持ち良い。自分のペースで、でもボクの精一杯で夜を歩いた。
「はあっ、着いた…」
ケーキ屋から30分で彼女の家に着いた。しかし玄関灯しかついておらず、家屋は真っ暗だ。車もない。
(明日は終業式があるし帰ってくるはずだ。30分待ってダメならプレゼントと手紙だけ置いて帰ろう)
ボクは肩でゼイゼイと息をしながら玄関ポーチに腰をかけ、ふいに夜空を見上げた。いつもと違う角度に首がゴキリと鳴る。星なんて見るのは久しぶりだった。大通りから2本入った住宅地はとても静かだ。
「兄ちゃんは家に着いたかな…丸眼鏡だから大丈夫だと思うけど」
ボクは頼りない丸眼鏡チェロ野郎を思い浮かべた。
彼は少し兄に雰囲気が似てる。
二人の音色でシューベルトピアノソナタ・ト短調を脳内でイメージすると、心が落ち着いて緊張していた気持ちと身体が和らいだ。美しい音楽はこの世で絶対的な価値がある。
ふいに、車のライトがボクを照らした。まだ止まりきらない車から白い服の女の子がスタントマン張りに飛び出してきた。
「タカシ君、どうしたの、こんな寒いところで?!」
「ミキちゃん、そのカッコ…」
ボクは彼女の勢いに押されてのけぞった。
「とにかく家に入って!風邪ひいちゃうっ」
「いや、ここで…」
矢継ぎ早に質問する美樹はしんなりした空手着をカッコよく着ていて、ボクの心臓は
(は、反則に可愛いっ!)
遠慮するボクの腕をつかかんだミキは、力強く自分の家に押し込んだ。
「はい、
由樹はボクに甘さ控えめのココアを出した。
「いえ、すぐに帰ります。すいません、こんな夜分に」
ボクが頭を下げていると、ミキはふくれっ面で「で、なに?」と聞いた。
家に入るなりすぐに着替えて目の前で同じくココアを飲んでいる。ちなみに由樹は今も空手着だ。
「あのっ、この前はクリスマスプレゼントをありがとう。ボクから…これっ…」
嫌がられるかもなと思いつつ、ピンクの熊のキーホルダーが付いた生チョコレートのプレゼントを鞄から出して俯いたまま彼女のほうに突き出した。底にこっそり手紙も入れてある。
女の子にプレゼントを渡すなんて初めてだった。
「こ、この為にわざわざ夜に来て待ってたの?明日の塾で良かったのに……タカシ君のバカっ!」
怒られて顔を上げると、目が合った彼女は真っ赤な顔で急に立ち上がり、ひったくりの様に包みをひっ掴んで階段を踏み鳴らしつつ2階に上がっていった。
やっぱりボクみたいなデブスからプレゼントを貰って迷惑なんだと頭を抱えて絶望していると、由樹が笑った。それも盛大に。
「あはははっ、あの子照れてるのよ、ごめんなさいね。美樹は隆君の身体をとても気遣ってるの。あと、空手着が恥ずかしかったのね、一応女の子なのよ。さ、送っていくわ。もう9時だしお母さんには内緒でこっそり帰りましょう。どうもありがとう、私もとっても嬉しかったわ」
ミキは到底嬉しそうには見えなかった。由樹はボクに気を使って取り成してくれているのだ。その優しい心が沁みて、ボクは持ち直した。
「空手着が嫌なんですか?二人ともとってもかっこいいのに」
ボクは心底羨ましかった。
もし身体が強かったら、いや、普通だったら空手をしてみたかったのだ。
「隆君に見られるのが嫌だったんでしょ?あと、もう美樹の前では空手の話はしないようにね。どうも隆君には知られたくなかったみたいだし」
そうは言っても、彼女の空手着も帯も着心地がよさそうなくらいにくたっとしていた。家から出て車の助手席に乗せてもらい、空手の経験を聞いた。
「そうねえ、美樹は5年になるかしら。イギリスにいたんだけどね、近所に空手道場があったの。私も小さなころからやっていたのよ、あなたのお父さんたちは誘っても来なかったけど」
なるほど、確かに父は由樹が怖かったと言っていたが、そういう意味だったんだと納得した。
少し離れたところで美樹の母に降ろしてもらったのだが、家の前では母が門で仁王立ちしていた。
ボクがいないことはバレていて、理由も言わないボクは兄と二人並べられて母からお説教を受けた。怒られたのは夏以来だ。
しかし丁度父が帰ってきて取り成してくれたので助かった。
ボクは母のお叱りの後、兄とユンジュンに事の顛末を話した。
嫌われたかもしれないけど、ボクの気持ちが手紙とプレゼントで伝わったから後悔はしていないと正直に言うと、
「なんか追い抜かされた気分…」と兄が嬉しそうに呟いた。
ユンジュンは相変わらずニヤニヤしている。多分ボクの成長を軍師的に喜んでいるのだ。
手紙には『僕も美樹ちゃんと一緒の中学に行きたいです』と書いた。
(彼女はどう思うだろう?)
明日塾で会うのが怖くて仕方なかった。
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