第4話 メンデルスゾーンはお好き?②
夏休み最終日は模試だ。
総仕上げって感じでボクは好きだが、周りはそうでもない。
「なんだよ、タカシってば嬉しそうにしてさっ。模試が好きだなんて変わってんなぁ」と
「だって試験の点数は誰の操作も印象もない正確な評価だろ?」と答えた。
学校ではやれ『協調性』やら『リーダーシップ』『積極性』などが必要だときれいごとを言うが、結局は先生の言うことを聞く(要するに自分の手先になる)生徒に甘い成績をつける。
先生だって人間だから、なんてくだらない言い訳だ。AIに評価されるほうがいい。
実際ボクの学校にはわいせつ教師も先生同士のパワハラもある。それが日本の教育の世界だ。
ボクが4年生の時の同級生はミズノ先生の膝に乗せられて恥ずかしそうに授業を受けていた。先生が生徒をペット扱いだ。
その話が生徒から親に広がり、なぜか彼女が学校に来なくなった。
そのわいせつ教師は今も学校に来ていい先生を演じている。最近父親になったそうだ。
でも不登校になった女子はずっと引きこもっている。
ミズノを見るたびにボクは生徒の教育の機会を奪う先生などいらないと思う。
(公平なAI先生の方がいいという生徒もいるよね。大人は子供を何もできないと舐めて好き勝手して…許せないよ)
そんなことを考えていたら、教室の前の扉から長髪の女子が入ってきた。背筋が真っ直ぐ伸びている。
彼女は席番号を見てボクの前に立った。その子だけ周りから浮き上がって見える。
彼女はボクのむくんだ顔と太っている身体を見、眉をひそめるどころか軽く頭を下げて前の席に座った。
大人っぽい。初めて見る子なのは確実だった。
だってボクはこれほど綺麗な女子を見たことがない。
彼女は鞄から筆記用具と黒い髪ゴムを出し、長い髪をぎゅっと結んできちんと座り直した。その結び方にボクはドキッとした。揺れた髪からはふわりと柑橘系のいい匂いがした。
(どんな声なんだろう…)
彼女の声がボクにどのように響くのか知りたい、そんな感情は始めてだった。
ボクは誰か話しかけないか待ったが、彼女を誰も知らないようで声をかけない。周りは彼女を気にして少しざわついている。
(…たいがいの女の子ってボクを見て『残念、デブか』って顔をするんだけど、彼女はしなかった。いや、思ってるのかもしれないけど…)
その後の模試にまったく集中できなかった。
それでも心と頬がぽかぽかしてずっと試験が続けばいいのにと思った。
新学期が始まり、9月の末に模試の結果が帰ってきた。母はその点数を見て笑った。兄とユンジュンもだ。
「
母は伯父が亡くなったショックだと思ったようだ。
ボクは無性に伯父に会いたくなってきた。家族とユンジュンがいるおかげであまり寂しく感じなかったが、会いたい時は伯父の住んでいた祖母の家を訪ねていた。小学生がなんとか歩いて行ける距離だ。
「明日帰りに伯父さんの家に寄ってくるよ。きっと
キッチンにいたユンジュンが噴いたので、兄もつられて笑い転げた。
母は何が面白いのかわからないわ、という顔をしたが、結局一緒に笑ってから控え目にボクの心配をした。
「一人で大丈夫?明日は松崎さんが練習に来るし…ねえ、
「ごめん、オレもピアノのレッスンの日なんだ。タカシ、良かったら明後日に一緒に行こう。オレもばあちゃんと伯父さんに会いたい」
「明日は月曜日で塾が休みだから一人で行くよ。なんせ点数が落ちたから勉強して挽回しないと。二人とも心配しないで、何度も行ってるから大丈夫」
ボクが泣いてしまうかもしれないから一人で行きたいと感づいた二人は、静かに頷いた。
「あら、いらっしゃい隆。よく来てくれたわね」と祖母はにこやかにボクを古い日本家屋に招き入れた。
伯父が亡くなった時は頬がこけていた祖母も、2ヶ月近く経って頬がふっくらに戻っていた。伯父は治らない病気だったから覚悟が出来ていたのだろう。でもボクは伯父の死にうまく納得できない。
「伯父さん、来たよ。夏休みの最後に模試があったんだけど、それがもう散々で」
ボクはフカフカの若草色の座布団にすわりながら、仏壇に話しかけた。りんを軽く叩くと高い澄んだ音が座敷の空間をいつまでも漂う。この音が好きだ。
手を合わせて目を閉じた。
(心配してるよね、でもユンジュンがいるから大丈夫だ。彼がそばにいるようになって家がすごく上手くいってる。なぜだろう、話を聞いてくれるだけで全く何もしてくれないのに。でも、彼がいるとボクはとっても安心するんだ。伯父さんもそう思ってた?でもさ、実は悩みがあって…それはユンジュンや兄ちゃんでなく伯父さんに相談したかったな…だってユンジュンも兄ちゃんもハンサムだからボクの気持ちなんてわかっちゃくれなさそうで…って、伯父さんの顔が悪い、って言ってるわけじゃないんだよ…)
ボクがずっと手を合わせて話していると、いつの間にか隣に祖母がいた。
「隆、いつまでも泣くな…あの子は幸せやったでな…」
そう言う祖母もぼろぼろと涙をこぼしながら、ボクの背をそっとさすった。ボクが覚えているしっかり肉厚だった祖母の手はいつの間にか骨ばっていて、ボクの肉肉しい背中にめり込んだ。
伯父との泣かないという約束は、申し訳ないが当分守れそうにない。
ボクは祖母の家を出、駅までの道を歩いた。9月の夕方はまだ明るい。
すっきりした気持ちでいると、見慣れた濃いグレーのスバル車が3軒先の民家の駐車場から出てきた。エンジン音が独特だ。
(父の車にやたら似てるなぁ)
そう思っていたら、ナンバーを見て飛び上がった。
(えっ、1564?)
それは父の車のナンバーだった。シェイクスピアの誕生の年だから、間違いない。ちなみに母の車のナンバーは1616で、シェイクスピアの没年だ。
(父は会社にいるはずじゃ…)
ボクは動揺を隠してその家の前に立った。
外壁が薄いミントグリーンに白いサッシの可愛い洋風の家だ。休憩するふりでリュックから水筒を出してお茶を飲む。喉が渇いていた。
駐車場は2台分ある。1台残っている車は見たことのない外国の赤い車だ。父の浮気相手の車だと思ったら胸が苦しくなった。
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