第20話 いまさらの告白
「悪い、出かけに電話が入ってしまって」
約束の時間に少し遅れてやってきた貴一は、急いだらしく息が乱れて顔が赤かった。カウンターの桃子の隣に腰かけるなり、貴一は、顔なじみのマスターにむかって桃子のためのソルティドッグを注文した。
「久しぶりだな、立木とこうして二人で飲むの」
「四か月ぶりぐらいですね」
「ペルソナ」には貴一と通った。間口が狭く店内にはカウンター席しかなく、十人も客が入ればいいほうだろう。静かに話ができるからと、仕事の相談にのってくれた貴一が連れてきてくれた。それ以来、仕事の相談は「ペルソナ」でするようになった。プレゼンが成功したり、商品が店頭に並んだり、企画した商品がヒットしたりすると、お祝いだといってやはり「ペルソナ」で飲んだ。貴一が彩花と付き合いはじめる前までは当たり前だった日々が遠くに思えた。
「プレゼンお疲れ。企画通ってよかったな」
「はい、先輩のおかげです」
貴一はジントニック、桃子はソルティドッグの入ったグラスを傾けて乾杯した。この一か月、桃子は貴一と一緒に手帳の企画を練り直した。自分が出したアイデアだというのに、遊び感覚の文房具を打ち出していくことに抵抗を覚え始めた桃子を叱咤激励し続けたのが貴一だった。
「いや、立木の実力だよ。俺は資料とデータ集めを手伝っただけで、プレゼンそのものを仕切ったのは立木だから。立木がプレゼンしている間に、部長の腕組みが段々とほどけていくのを見てるのが面白かった」
「プレゼン中、部長を見てたんですか」
「部長の腕組みがとけていくのにしたがって眉もこう上がっていってさ」
貴一は両手の人差し指を逆ハチの字にして自分の眉にあて、徐々に指を回転させていき、キレイな八の字をつくってみせた。プレゼンの内容に乗り気でない時、企画部長は両腕を組み、太い眉毛の眉根を寄せる癖がある。プレゼンの話に身が入っていくと、腕組みがとけ、眉があがっていく。その様子を再現してみせた貴一のコミカルな動きに、桃子は声をたてて笑った。
貴一も笑った。以前は――貴一が彩花と付き合い出す前までは、真剣な仕事の相談の合間にふざけたり、世間話をしたりしたものだった。仕事に対して真摯な貴一も好きだが、茶目っ気のある貴一の素顔をふと垣間見たりしているうちに、貴一に惹かれていった。
手帳の企画を手伝いたいといってきた貴一を、桃子は拒めなかった。彩花とのことがあってから出来るだけ貴一を避けてきたが、仕事に関しては貴一ほど頼りになる人間はいない。
あの夜のことについて貴一は固く口を閉ざしていた。彩花とどうなったのか知りたい気持ちを抑え、桃子も一切触れようとしなかった。
彩花が貴一と別れようと別れまいと、貴一の気持ちが自分にないことに変わりはない。いつまでも避けていられるわけではないのだから、仕事の先輩として尊敬する気持ちに切り替えていこう。
今晩も、仕事の話で終わる。その時まで、桃子はそう思っていた。
「別れたよ」
部長の真似を笑いあう中で、貴一はさらりと言ってのけた。何の話だろうと桃子ははじめのうち戸惑っていたが、やがて彩花のことだと気づいた。
「彩花から別れようって言いだしたんですか?」
「いや、俺の方から」
「それは、いつですか」
「三週間ぐらい前かな」
彩花を亮平の部屋の前で見かけた時期と重なる。
「会社から彼女をつけていったんだ。彼女、若い男と待ち合わせして、食事して……その後一緒にマンションに入っていくのを見たんだ。他に男がいたんだな。知ってた?」
ソルティドッグを飲んで首を横に振った。
「長谷川は、立木から聞いたのかって言ってた」
桃子は思わず顔を上げた。
「相手がたまたま隣の部屋に住んでいる男だったんです」
マンションで彩花に偶然出くわしたこと、その日は彩花を部屋に泊めたことなどを桃子はかいつまんで話した。
「浮気なんかするような子じゃないんです。そういうことになってしまったけど、悪気はなかったんだと思います」
「悪気がなかったら浮気していいとでも?」
「すいません……」
桃子がうなだれると、何で立木が謝るんだと言って貴一は笑った。それから頭の後ろで両腕を組んで何事かを考えこんでいた。
「結局、はじめから俺のことは好きではなかったんだろうな。告白したのも俺からだったし。好きになってもらえなかったというか……」
「好きになったからといって、好きになってもらえるのなら、苦労しません」
貴一は驚いたように桃子を振り返った。そして桃子の気持ちも知らずに笑った。
「彼女に他に好きな男ができて、結果として俺はフラれたようなものだけど……。ずっと好きだったわけだし、もっとひどく傷つくのかと思っていたんだけど、意外と平気なんだよね。まあ、自分から別れを言い出したっていうのもあるだろうけど。彼女に別に男がいるって分かってから別れの決断を下すのにも迷いはなかったし。何でかなって考えたんだ」
言葉を切り、貴一は天井を見上げた。まるでそこに答えがあるかというように。
「俺は彼女を好きじゃなかったんだと思う」
桃子は思わず、貴一がみつめていた天井の一か所を見上げた。
「言い方が悪いかな。好きだったことは確かなんだ。かわいいとも思ったし、社内でみかけるとドキドキもした。仕事以外の話もしたいと思った。でも実際付き合ってみてわかったんだ。俺は彼女のことを何も知らないで外見だけで好きになっていたってこと。彼女を知っていくうちに、魅力的だなとは思ったけど、無理してそういう女性を演じているような感じがあった。彼女自身じゃないというか、俺にあわせようとしていたんじゃないのかな。俺もかっこつけていた部分はあったし。お互いに被っていた猫の皮が剥がれてきたら、何か違うってなって……」
腕組みをほどいて姿勢を正した貴一はジントニックを一気に飲み干し、桃子の正面に向き直った。
「俺、立木が気になる」
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