第19話 突き放す時

「桃子!」

 桃子を見るなり、彩花は体を投げ出すようにして桃子に抱き付いてきた。酔っているらしく、息が酒くさい。彩花はひとりではなかった。彩花の背後に亮平が立っていた。

「あれ、知り合い?」

 亮平は手にした鍵を、彩花と桃子とにかわるがわるむけた。

「うん、同じ会社の同期。桃子、このマンションに住んでるんだー」

「世の中って狭いのな。そいじゃな」

 部屋の鍵を開け、彩花の背中を押して部屋の中へと入れようとする亮平と彩花との間に、桃子はすかさず立ちはだかった。

「何してんの?」

「何してんのって、それはこっちのセリフ。そっちこそ、何してんの」

「ねえ、部屋にあげてくれないの」

 とろんとした目で彩花が亮平をみつめていた。相当酔いがまわっている。今にも廊下に崩れ落ちそうな彩花の体を抱え、桃子は自分の部屋の玄関へと引きずっていった。痛いと言って抵抗してみせた彩花だったが、酔った体に力は入らず、あっさりと玄関口におしこまれてしまった。

「おい、何すんだよ」

「ナンパしたのか何かしらないけど。酔っぱらった彩花を部屋に連れ込んで何かしようっていうんでしょ。そうはさせないわよ」

「連れ込むって、何言ってんだか。彩花はオレの彼女なんだぜ」

 桃子は息をのんで亮平と見合った。

「い、今、何て」

「だーかーらー、カ・ノ・ジョ。今夜ちょっと飲みすぎちゃってさ。うちに泊めてやろうと思って連れてきたっての」

「彼女って、付き合っているっていう意味の彼女?」

「そーだよ。それ意外に何があんの?」

「合コンのお持ち帰りとか、ナンパしたとか、そういうんじゃなくて?」

「ちげえよ。ちゃんと付き合ってんだよ」

「付き合ってるって……い、いつから?」

「なんでそんなこと言わなきゃなんねえの?」

 亮平はいぶかし気に腕を組んだ。

「いいから、いつから付き合ってんのよ」

「二か月、ぐらいだよ」

 桃子の勢いに気圧され、亮平はそう答えた。

 ニか月――貴一との付き合いは三か月。頭の中で素早く計算をし、桃子は亮平の目と鼻の前でぴしゃりとドアを閉めた。

 ベッドに背をもたれかけて床に両足を投げ出している彩花は、まるで溶けたアイスクリームのようだった。桃子は、コップの水を彩花の目の前に突き出した。

「あいがとー」

 ろれつの回らない舌でそう言うと、彩花は両手でコップを受け取り、ちびちびと舌先で水を舐めていた。

「ねえ、リョーヘイは?」

 彩花はぼんやりした目であまりを見回した。どうやら、亮平の部屋、六〇七号室にいると勘違いしているらしい。

「彩花、彼と付き合っているんだって?」

 こくんと彩花はうなずいてみせた。貴一と付き合っていながら亮平とも付き合っているというのに、彩花には悪びれた様子がまるでなかった。穏やかに話をするつもりだった桃子だったが、つい声をあらげ

「二か月前からってさ、二か月前は彩花は先輩と付き合っていたでしょ? てか、今も付き合っているでしょ。それとも、別れたの?」

 うなずいたり、首を横に振ったりしてみせているが、酔って体全体がふらふらとしているので、イエスともノーとも取れない。桃子は彩花の肩を両手で押さえた。

「彩花! 先輩とはどうなってるの?」

「付き合ってるよー」

「先輩と付き合っていて、どうして別の男と付き合っているの? それって浮気ってことでしょ。浮気されてきて散々泣いてきたっていうのに、どうして同じことを先輩にするの?」

 思わず彩花の肩においた両手に力が入った。桃子の手を払いのけ、彩花はベッドの隅に置いてあったぬいぐるみをひっつかんで胸に抱きしめた。

「これ、かわいいねー」

「ぬいぐるみなんか、いいから!」

 取り上げたものの、彩花は別のぬいぐるみを物色して部屋の中を歩き始めた。

「なんか、桃子のイメージ変わっちゃうなー。ぬいぐるみ、いっぱいあるね。好きなの?」

「そんなことどうでもいいから、ちょっと、座って。ちゃんと話しよう」

 ぬいぐるみを二、三個抱えた彩花をベッドに座らせ、桃子はその横に腰かけた。

「ねえ、何で浮気なんかしたの」

「浮気って……そういうつもりじゃなくて」

「これが浮気でなくて何なの? 彩花は先輩と付き合っているんだよ。彼は彩花に彼氏がいるって知ってるの?」

「知ってるかもしれないし、知らないかもしれない」

「ねえ、ちょっと!」

「そんなこと、どうでもいいじゃない」

「どうでもよくないでしょ! 彩花には先輩っていうちゃんとした彼氏がいるんだよ!」

「選べなかったの!」

 彩花の大きな目がいつもにも増して潤んでいた。

「佐野さんは素敵な男性。浮気しないし、お金貸してくれなんて言わないし、体だけの関係でもないし、私のことをすごく大事にしてくれる。リョーヘイとは、街で声かけられて、知り合った。彼ね、私のタイプなの。好きで好きでのめりこんでしまうタイプの男。泣かされるだろうなとわかってて、それでも好きになった。私、リョーヘイみたいな男がやっぱり好きなの。佐野さんのこともあって、桃子に相談したかったけど、自分で決めろって言われてたし……。いろいろ考えたけど、どうしたらいいかわかんなくなっちゃって……」

 彩花はぬいぐるみを抱きしめたまま、ベッドの上に寝転んだ。

「ねえ、桃子、私、どうしたらいい?」

「どうって……」

 枕を涙で濡らし続ける彩花を見ているうちに、桃子まで泣きたい気分になった。裏切られた貴一の立場を思うと、彩花に対する怒りはあるのだが、それ以上にフラッシュバックしてきた失恋の思いに胸がしめつけられる。

 貴一のケータイから聞こえてきたサイレンの音と、窓の外から聞こえてきた音とは重なっていた。おそらく、貴一は彩花をマンションまでつけてきたのだろう。亮平と一緒にマンションに入って行く彩花を見て貴一は何を思っただろう。

「先輩とちゃんと話しなよ」

「しないとダメ?」

 枕から顔をあげ、桃子を見上げる彩花の瞳が赤くなっていた。桃子は深くうなずいてみせた。

「どうするかは、彩花が決めるの。今度こそ、ちゃんと考えて」

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