第55話 閑話 気になるあの人は いま?

 空気が緩み、大地に春の息吹が満ちる頃。

 王都の聖教会聖堂で、シーマの結婚式が執り行われた。


 積極的に通いつめるロレイン・ワームウットに絆され、恋する乙女になったシーマは、女神のように麗しい淑女へと進化した。

 いまや嫉妬や妬みでシーマに対抗しても、身の程知らずな女と揶揄やゆされるほどだ。


(女神は無敵よ! )


 仁王立ちしかけたヴィバロッテの腕をさり気なく抑え、アレンは笑顔で冷や汗をかく。

 外れかけたを修正し、女男爵の体裁を保つのに細心の注意を払う。まるで保護者か、悟りを開いた聖職者の行動だ。


 開け放たれた聖堂の扉から姿を現した新郎新婦に、花びらのシャワーが降り注ぐ。

 クチュール・フォフリーの威信にかけて縫い上げたウエディングドレスは、純白に銀糸がまばゆい、天上の花嫁衣装だ。


 昨年までは、身体のラインを強調した細身のドレスが主流だったが、シーマのドレスは流行を覆す真逆のシルエットだ。


 デコルテを強調しながらも、総レースで首元から手首まで覆った慎ましやかな上半身。その胴体部分をダルジア織りが、上品に引き締めている。

 純白と銀糸のバラを織り込んだ、繊細で細密な図柄だ。


 うなじから腰まで、一直線に背中を飾る海泡石のボタンも美しい。

 ウエストで切り替えて大きく膨らんだスカート部分は、軽量化したクリノリンで形成し、重ねた極上のシフォンは、心地よい風に煽られてふわりとなびいた。

 髪飾りで留めたベールが淡く滲むさまは、女神の後光かと錯覚する。


 花嫁のとなりで新郎は、見ているこっちが恥ずかしい。

 まったくシーマ以外は、目に入っていない。


(うぅ。貴公子が、顔面崩壊してるよ)


 幸せで頭の中が薔薇園になっていそうだが、魔窟を抱えるロウド領の領主は、筋骨逞しいでなければ務まらない。


(がんばってください ね)


 前途多難にならねば良いなと、領地の面々強面を思い描く。

 周りが見えないくらいに、惚れ込んだシーマだ。に負けず、シーマを大切にしてくれるはず、きっと。と、遠い目で思う。


 領地の特産品を取り入れた花嫁のドレスが、これからの流行を想像させた。 

 幸せを表現する衣装は、若い世代の貴族から、富裕層の平民へと流れて行くのだろう。

 流行の先駆けを担う、クチュール・フォフリー。


(いい仕事です)


 ダルジア織りと海泡石の価値も、今以上に上昇するはず。。

 男爵家の馬車へ移動する新郎新婦が、目の前を通り過ぎる。


「おめでとう! シーマ」


 ヴィバロッテとジェーンは、空に向かって祝福の花びらを放った。

 折しも吹いてきた風に、放たれた花びらが舞い上がる。ふと、遥かむかしの儚い花を思い出して、ひとひらの行方を目で追った。

 今はもう薄れてしまった記憶の先に、空も山も彩った祝福の花吹雪を思い出す。


(入学式の花だったなぁ。ハァァ、王立学堂の入学まで、あと一年。だいじょうぶかな、わたし)


*****

「何よ。なんで侍女風情が、こんなに、祝福されるの。泥棒猫の小娘が、なんで、わたくしより、綺麗なドレスを着ているのよ! なんで」


 聖堂の階段脇は植え込みで隠されているが、使用人や修道女見習いが通る裏階段に、直接つながっている。

 成婚の儀式を終えた会場の掃除は、修道女見習いの仕事だ。今は人がいなくなるまで、植え込みの影で待機中だった。

 手が届きそうな場所に、馬車へ向かう新郎新婦と、参席した賓客がいる。


 こんなに近くで高貴な身分の貴族を見るなど、掃除を割り振られた者たちの役得だ。

 げんに数人いる見習いたちは、憧れで目をキラキラさせていた。


「もぉ! 厄介者の孤児のくせに、聖女になったくらいで、偉そうだわっ」


 花嫁一行を見送るのに扉から出てきた教皇と聖女を見て、もうひとりの修道女見習いも、悔しそうに拳を握りしめる。

 偶然か隣り合っていたふたりは、思わず顔を見合わせてビクついた。


「こらっ。コーラルもアニスも、不敬な物言いは止めなさい。上に知られたら、ひどい罰を受けるわよ。あんたたちのせいで、わたしも叱られるんだからね」


 キツい先輩の物言いにコーラルは顔を歪め、アニスは口を尖らせる。


 コーラルより年下のロビン先輩は、弱いながらも癒しの力が使える巫女見習いだ。

 たとえ小さな切り傷を癒す力しかなくとも、巫女見習いと修道女見習いでは、雲泥の差がある。


 聖教会が探し出した治癒の力を持つ見習いと、自分から職を求めて雇われた、なんの力も持たない見習いの差だ。


 一般的な修道女見習いは、十二、三歳までに教会へ雇われる。

 大抵は聖教会付属の孤児院育ちや、家を継がない平民の子供だ。

 稀にアニスのような商家の娘が、行儀見習いとして期限付きで雇われた。

 それは聖教会の御用達商人や助祭などと、よしみを結ぶ目的で送り込まれた子供だ。


 コーラルは、祖父のモスコー伯爵が強制的に修道女見習いとして送り込んだ。その為、十八才という異例の年齢での就職だ。


(平民のくせに、生意気な! 魔法さえ使えれば、わたしの方が身分は上よ! なのに、どうしてお爺様は、こんなことを)


 そっと押さえたコーラルの胸元には、封印の陣が刻印されている。

 教皇直々に施された陣は、完全に魔力を封じて拡散させた。これが無ければ、巫女見習いになれたのにと、コーラルは腹立たしく思う。

 水魔法が使えるコーラルなら、目の前で先輩面するロビンより、治癒力は上のはずだ。


「ロビンさん、キツいなぁ」


 ポロっと漏れたアニスの不服に、ロビンは当て付けがましいため息を吐く。


「あんまり反抗的だと、テナ《助祭》様に報告するよ? ほら掃除! 早く行くっ」


 追い立てられて裏の階段を登りながらも、アニスはずっとぼやいていた。


「あんなのが聖女になれるなら、従姉妹のわたしだって聖女になれるわよ。わたしのほうが、ずっと可愛いじゃない。どうしてあのブサイクが聖女なの。ほんと、理不尽よ」


「あんたねぇ、いくら従姉妹だって、聖女の素質もないのに、よく言うわ」


 アニスは聖女メアリを追い出したポンド商会の、新しい商会長の娘だ。

 両親は聖女メアリに取り入る駒として、娘のアニスを送り込んだが、本人はまったく理解していない。

 むしろ自分のほうが聖女に向いていると、変な妄想に取り憑かれている。

 昨今の恋愛戯曲や、吟遊詩人が紡ぎ出す聖女伝説に、すっかり染まっていた。


「わたしは特別だって、父さんも母さんも褒めてくれるわ。そうよ、きっとわたしってば、なのよ」


 世迷言を聞き流していたロビンが、呆れかえって鼻を鳴らした。


「ほんと。頭がかもねぇ」


 ふたりの頓珍漢とんちんかんな会話を聞きながら、コーラルはずっと、さっき見たヴィバロッテの事を考えていた。

 最新流行のドレスを着て、すっかり貴族子女らしくなったヴィバロッテを、腹の底から妬ましく思う。

 できるなら、あの時のように、力いっぱい突き飛ばしてやりたい。


「あたりまえよ。わたしは悪くないのだもの。何もかも、のせいよ。が悪い」


 平民に落とされたのも、母親コルネリアと引き離されたのも、すべてヴィバロッテ親子のせいだと、強く思った。

 そう思わないと、立っていられない。


「それにしても花嫁やモナイト女男爵は、飛び抜けて素敵だったわね。聖女なんか霞んでいたわ。ほんと、あのブサイク聖女って、救いようがないったら」


 思い切り従姉妹聖女メアリを貶めたアニスに、コーラルは射殺いころしそうな目を向ける。


「あなた、来期から聴講生で王立学堂へ行けるのよね」


 寄付を積んだアニスの親に、聖教会は王立学堂への聴講生枠を振り分けた。

 突出した才能がない限り、王立学堂は平民を受け入れない。ただし、将来的に聖教会の利益に結びつく巫女見習いや修道女見習いには、聴講生の資格を与えていた。


 来期は飛び級で入学する聖女が、あまり目立たないよう、平民の聴講生枠を広げている。

 聖女の血縁である事と寄付の多さで、アニスも侍女科の聴講が許されていた。


「モナイト女男爵には、充分に気をつけなさい。アレは汚らしい泥棒猫だから。油断すれば、何もかも盗まれるわよ。汚い手を使って、罠に嵌めてくる。だから、気をつけて」


 親切で言っている口調ではない。

 妬ましくて、悔しくて、腹立ちをぶつけて、とことん壊してやりたい。

 自分ができなくとも、他人を利用しても、ヴィバロッテを傷つけたいと願った、コーラルの怨嗟だ。


(そうよ。わたくしは悪くないのだから)


 鬼気迫るコーラルに、アニスは後退さる。

 甘やかされて自己中心的に育った単純なアニスは、コーラルから滲み出す悪意に鳥肌をたてた。

 思い込みが激しく、人から言われた事を自分に都合よく受け取るアニスも、濁りきった悪意の不気味さは、怖いようだ。


「負けないでね。あんな、薄汚い泥棒猫なんか、あなたが叩き潰してね。他人の物を平気で取り上げる小娘に、思い知らせてやって。あなたは、聖女の身内なのでしょう? 」 


 どんどん追い詰められたアニスが、階段に尻餅をつく。

 覆いかぶさるコーラルをみあげ、胸元を握りしめた手が震えていた。


「コーラル さん。なんか、変だわ」


 何かに飲み込まれそうなアニスは、ロビンの怒鳴り声で我に返った。


「いきましょ。でも、忘れないでね。わたしの忠告を……」


 どうしようもなく怖かったのか、転がるようにアニスは階段を駆け上がる。


似非えせ貴族なんか、潰れればいいのよ。粉々に……ね」


 誰もいなくなった階段を、コーラルは踏み潰す勢いで登って行った。

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