かわいそうな子豚と慟哭のウィンナー
ださい里衣
第1話
不幸体質というのは、きっと私の様な人間のことを言うのだと思う。
手芸作家の私は、一日のほとんどを自宅兼アトリエで過ごす。
家や職場を行ったり来たりする必要も、煩わしい人間関係を保ちつつ、同じ空間で仕事をしなくても良いのは大きなメリットなのだが…。
唐突にピンポーンと能天気な音を出すインターホンに私は眉をひそめる。
(……また来た。)
そう、私には家に居るからこそ遭遇する‟天敵”がいる。
「はい。」
私は出来るだけ冷たくそっけない声で返事をし、強い意志と闘志を持って玄関のドアを開けた。ドアを開けると、そこにはニコニコと貼り付けたような笑顔を浮かべる老婆が立っていた。
「あなたは今、幸せですか?」
老婆は私がひょこりと顔を出した瞬間、満面の笑顔でそう問いかけてきた。その口調は不自然なまでにゆっくりで、それでいて今すぐにでも走って逃げだしたくなるほどの猫撫で声であった。
お分かりいただけただろうか――
この老婆の正体は紛れもなく、昼下がりに訪れる‟宗教勧誘”の人である。
無神論者の私は、連日訪れるこの宗教勧誘に悩まされていた。対応に困るくらいなら居留守を使えばと思う人もいるかもしれない、無論私も最初はそうしていたのだが、いつしか延々とインターホンを鳴らされ続けるようになってしまった為、今日はハッキリとお断りしようと決意した次第である。
「幸せです…。」
震える私の声に老婆は笑顔で首を横に振った。
「いいえ、あなたは幸せではないわ…。私には分かるの…あなたが抱えているその苦しみが…本当は苦しいのよね?今すぐにでも逃げ出してしまいたいのでしょう?」
(うん、あなたの前からね!)
「い、いいえ。私は十分幸せです…御用が無いのでしたらこれで…。」
私は早々にドアを閉じようとすると老婆は「嘘よ‼」とさっきまでの笑顔が嘘の様な剣幕で大きな声を上げた。
「あなたは勘違いしているわ、あなたの感じている幸せは本当の幸せではないの!いい?人間の存在自体が罪、その罪は主しかお赦しになれないの。つまり人間は主に赦されて初めて本当の幸せを手に出来るのよ!」
(……本当の幸せ、確かに奥深いテーマだなぁ。)
私は一瞬考えて、老婆に微笑みかけた。
「確かに、そうかもしれませんね。しかし、私が幸せなのは事実です。大切な家族に、友人、私を必要としてくれるからこそある仕事。少なくとも、私はこれで十分なのです。」
(ほんとに、もう大丈夫だから帰ってくれぇ~~!)
私は心の中で強く念じながら老婆を笑顔のまま見つめるが、残念ながら老婆はそこから一向に動こうとしない。
「そう…今はそれでいいかもしれないけれど、裁きの時は近いのよ?その時になったらあなたもきっと後悔するわ、主を信じる者は救われ、信じない者は裁きを受けなければならないのだから。きっと世界が混乱しているのも、その前兆なんだわ…。」
(……これは…脅しなのか、それとも信仰心が故にこの言葉が出てしまうのか…どっちなんだろう。)
神妙な面持ちで私を見上げる老婆に私は「ああ、そのことなら大丈夫ですよ?」とにぃっと歯を見せて笑った。
「え…?なにが?」
怪訝そうに眉を寄せる老婆。
「え?だから、世界ですよ?」
あっけらかんと言う私に老婆は不愉快そうに「だからなんであなたにそんなことが分かるの?」と詰め寄ってきた。
(おお!なかなか良い反応。)
老婆の予想通りな反応に私は楽しくなってきて内心一人で盛り上がりながら表ではにやけそうな顔を強靭な表情筋力でなんとか抑え込み、キョトンとした顔を作り出す。
「なんでって、私が神だから???????」
「あ!あなた何を言って⁉」
私の突拍子もない発言にさすがの老婆も後ずさった。
(おお~!いいぞ!そのまま立ち去れぇ~‼)
怯む老婆に私は心で喜びながらも追い打ちをかけることにした。
「なにって、だから私が神なんですってば。だから世界も救いますし、全人類も救済します。」
「そ…んな、出来るはずがないわ!全人類の救済だなんて、嘘よ!」
「はぁ…それはどうして?」
目を丸くして老婆を見つめる私に、老婆は言葉を失った。
「あなたは最初に言いましたね、主に赦されて初めて本当の幸せを手にすると。ですから私はそのようにします、私の信者であろうとなかろうと。あなたの描く私への理想像をどうこう言うつもりはありませんが…人の幸せを否定するのは良くないと思いますよ?私の信者なのであれば、他人に対して思慮深く寛容であって欲しいですね…。」
最後に私は困惑する老婆に悲し気に微笑んで見せる。
(決まったぁ~!最後はなんだかもう、本当に神が降りてきた気さえするわ。)
「か、かえりますっ…!」
「はい~、どうもごめんくださぁ~い。」
相当怒りながらツカツカと足音を立てて立ち去っていく老婆の後ろ姿を見送り、私は晴れ晴れとした気持ちで家の中へと戻った。
「はぁ~!スッキリしたぁ、これでストレスフリーに仕事ができる。」
普段からこんな感じで面倒なことに巻き込まれがちな訳だが、久々に上手く回避できたと思う。
「いやぁ~、だてに芸能事務所で演劇やってただけあるなぁ~。途中でめんどくさがらなければ大女優になってたかもしれんなぁ~。」
意気揚々と廊下をスキップし、作業室のドアを開けると納品前のぬいぐるみ二体がハサミと待ち針を持って向かい合い、お互いに刺し合っていた。その様子はまさにぬいぐるみ同士の決闘さながらであった。
って、ちがぁぁあああああああああああうっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
「なんで動いてんだよおおおおおぉおおおぉおおぉおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!つーか、納品‼納品しなきゃいけないのに‼もうボロボロじゃねーかああああ‼」
部屋の中心で頭を抱えて叫ぶ私の声など聞こえていないかのように尚も二体のぬいぐるみ達はグサグサとお互いの腹にハサミや待ち針を突き刺し、その体から敷き詰められた綿を零している。
「ああ…!やめろぉ…、なんでこんなことに…仕事増やすなぁ‼」
とにかく戦いを止める為、双方から武器を取り上げ道具を一旦箱の中にしまおうと一瞬目を離した隙に二体は再び体から綿を出しながら殴り合いを始めてしまった。
「ねぇええええええ~、やめてぇ?なんで私が作ったのにそんな感じなのぉ?喧嘩しないでぇ。」
二体をそれぞれ左右の手で持ち上げた瞬間、私の脳に一瞬電流が走り、数分前の自分の言葉が浮かんだ。
‟私が神だから”
「ああ…。」
私は両手にぬいぐるみを持ったまま、床にガクンと膝を付いた。
「わたしが…神…なのか…?」
私は震えながらも暴れる二体のぬいぐるみを握る両手を見つめた。
生み出してしまったのだ、とうとうこの手で。
私は無機物に魂を宿らせる所にまで行き着いてしまったようだ。
ああ…、自分の才能が怖い。
『神を名乗るか、良い度胸だな小豚。』
「うぃ⁉」
艶やかで凛と響く声が唐突に私の背後から背中に突き刺さる。
この家には私以外の住人はいない、誰もいるはずがない。
恐る恐る振り返り、見上げるとそこには白い着物を着た白髪の男が立っていた。
男は涼しげなアクアブルーの瞳で床に座り込む私を無感情に見つめている。男と目が合った瞬間、私の肌が一斉に泡立ち、脳が頭蓋骨の中で激しく揺さぶられるような感覚に襲われ、私はその場で意識を失った。
(……なんでうちに…コスプレイヤーが…。)
朦朧とした意識の中で最後に私はそんなことを考えた。
「うんがっ!」
きっと呼吸も忘れて眠っていた私はソファーの上で目を覚ました。
あ、もしかしてさっきまでの夢?と胸を撫でおろそうとした時、『起きたか子豚。』と先程の男がソファーに寝転ぶ私を覗き込むように視界に入ってきた。
「こっ!」
コスプレイヤーの人っ!と言おうとしたが、男の瞳を見た瞬間、再び脳が揺れて強い疲労感が体にどっとのしかかる。
そんな私を見た男は細く長い指を顎に当て、『ふむ、その体、相当私との相性が良くないようだな。』と首を傾げると長い白髪の髪を翻して視界から消えていってしまった。
まったくこんなことでは仕事どころの話ではない。
宗教勧誘の人をなんとか退いたと思ったら納品前の作品が決闘していたり、気が付いたら家に知らんコスプレイヤーの人いるし。
(これ、不幸体質とかそんなもんじゃない気がしてきたぞ…。)
今思い返してみれば私の人生トラブルばかりだ。
記憶にはないが幼稚園児の頃大きな交通事故に巻き込まれたらしいし、小、中、高と学生時代にはどこを振り替えってみても執着心の強い同級生に依存され続け、おかげで今となっては胃潰瘍が癖になってしまっている。
外を歩けば外国人に絡まれ、しまいには顔をベロベロされる始末。一つ一つは大したことではないのだ、しかしそんな小さなトラブルでも日々続けば疲れもするし嫌にもなる。もし本当に輪廻転生というものがあるのなら、もしかしたらこれはカルマというものなのかもしれない。前世の私は一体どんな悪人だったのだろうか。
(いや…前世と言ってもあくまでも私だ…そんな大それた悪行なんて出来る度胸ないだろ…多分。)
『子豚だ。』
「うわぁ!」
体を脱力させながらぼーっと思考を巡らせていると、再び男が顔を出した。
『いい加減なれろ、お前の前世は子豚だ。』
「子豚…?」
『ああ、生まれながらにして尻の穴が無かった為に一週間で窒息死したがな。』
「尻の穴が無いっ⁉」
『ああ、どうした?覚えてなのか?』
「覚えてないですぅ!というか前世私、一週間しか生きてないの⁉酷くない⁉つかアンタ誰だよ!勝手に人が作った服着んなよ‼」
私は尚も揺れる脳を支える様に頭を両手で押さえながらツッコミどころ満載の男に全てツッコんでやった。
しかし当の男はというと私が愛してやまないゲームの推しキャラの制服を着て『ああ、分かった。』と呟いてこちらに手を伸ばしてくる。
「分かったって、なになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになになに⁉」
『覚えてないんだろ?思い出させてやる。』
ジリジリと近づいてくる男の手から逃れようと私は体を起こそうとするが、目が回り、体に力も入らない。
「いやいやいや、いい!大丈夫!つかマジでアンタ誰だよ‼警察!警察呼ぶ‼」
『じっとしてろ。』
ギャーギャーと声を上げる私の額を男が片手でガシッと掴んだ瞬間、バチバチと何かが弾ける音とピりつく一瞬の痛みと共に、前世の記憶が一気に呼び起こされる。生まれた豚小屋の匂いと、母豚の鳴き声、日に日に増していく息苦しさと食欲不振。くるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしい。
「ぶぅへぁ~‼」
体に溜まった二酸化炭素を一気に吐き出し、私は涙目でソファーから起き上がった。
『思い出したか?』
「思い出したかじゃないだろ!死ぬかと思ったわ!思い出させるならもっと穏やかな記憶を選ぶとかあんだろ‼つか私ほんとに豚だったの⁉」
『ああ。』
今度は困惑で頭を抱える私を男は無感情に見降ろす。
「いやまぁ…良いんだけどさぁ豚でもぉ…じゃなくて、帰って⁉申し訳ないけどあなたは帰って⁉なんで家にいるの⁉どこから入ったの⁉そもそも誰なの⁉」
『神だ。』
「…………………………………………………………………………え?」
(今なんて?)
『神だ。』
ポカンとする私の心の声が聞こえたのか、男は言い直すように二度、同じ言葉を繰り返した。
「え………………………………………………証拠は…?」
『証拠など必要ない、事実だ。』
「いや、その事実を私にも受け入れやすいように証拠を示して欲しいんです!」
『なるほど、人間に生まれ変わって多少は知恵が付いたな。』
フッと一瞬優し気に微笑んだ男は、スッと片手を上げ、部屋中を何か探し当てるかのようにぐるりと一周手をかざすと、どこからか「ぎぇぇええええええええ。」と鳴き声のような悲鳴の様な声が聞こえてきた。
「???????」
『これでいいだろう。』
「な、なにが?」
『神の力とは、命を創造し与えること。お前は俺に証拠を要求したな?だからそれを創造したまでだ。』
「ええ⁉」
ソファーにゆっくりと腰を下ろした男は横目で私を一瞥すると、『証拠が欲しいのだろう?はやく行かないか。』と私の足をトントンと叩いた。
男に叩かれた足はまるで操られているかのようにすくっと立ち上がり、信じられない程速い歩調で冷蔵庫へと向かっていく。
(……なんで冷蔵庫?)
怪訝に思いながらも、足は自然に冷蔵庫の前で止まった為、私は冷蔵庫を開ける。するとその中から「ぎゅいぎゅい。」と聞き覚えのある鳴き声がして、ガサゴソとその声の元を探していると、一袋のウィンナーを発見した。
その袋は「ぎゅいいぃいいぃいいいぎゅいぎゅい。」と鳴き声を上げながら不自然にボコボコと動いている。
「これは…もしかして…。」
私が青ざめた顔でソファーを我が物顔で占領している男を見ると男は無表情のまま『お前の母豚だ。』と短く言い放った。
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