四等星のファンファーレ(9)

 「なにやってんだよ。」



 自転車小屋まで連れてきたテルシマは、少し列からはみ出た自転車を蹴飛ばした。自転車はがしゃん、と大きな音を立てて倒れ、隣にあった自転車二、三台も倒して止まった。シャツは制服からだらなしなく出ていて、腰にはピンク色をしたシリコンの楕円形の小銭入れがついている。



「いやぁ邪魔だったからさ。それにオレ今苛ついてんのよ。」



 中学生のような理屈をこねてテルシマはにやりと笑った。



 テルシマと二人になったのは久しぶりだった。七瀬さんと二人で歩いているところを見られてからはテルシマのほうから距離をとってきた。最初のうちは気にしていたが、次第に悪口を言われるようになって、俺ももうどうでもよくなった。ぎこちなく距離をとりながらここまで来たが、テルシマと二人でいる空間の居心地の悪さは、一年生の頃と変わらなかった。



「日比野ってさー、沢村と話したりする? 」



 テルシマの口から沢村が出てくるとは思わず、一瞬誰のことなのかわからず戸惑った。



「クラスじゃ話すほうだな。」



「じゃあさー、彼女いるとか聞いたことある? 」



 沢村はサッカー部だけど大人しくて真面目で、弱弱しい隆也といったイメージだった。話すときはだいたい俺のほうからで、俺の話をいつも頷きながら聴いてくれる優しいやつだった。自分の話なんてテストの点数と自分も昔からサッカーをしているというぐらいで、自分のことをほいほいと語るほうじゃなかった。



「知らないな。自分の話なんてするほうじゃないし。」



 本当に知らなかったが、「早く教室にもどりたい。お前と話したくない」みたいな言い方になってしまった。テルシマもそれを感じ取ったらしく、眉間に皺を寄せてからいやらしく笑う。



「じゃあお前は? 最近彼女できたりしてない? 」



「いたら祝ってくれんのか? 」



「それは相手によるな。で、誰なんだよ。」



 テルシマの顔から笑顔が消えた。いつもはどこから来るのかわからないが、自信に満ち溢れた顔をしているが、ベテランの刑事のような一つの嘘も見逃さないような顔に変わった。



「なにが言いたいんだよ。俺帰ってウイイレしたいんだけど。」



「知ってると思うけど、あ、お前はあの時オレの話聞いてなかったな。オレ一組の七瀬が好きなんだよね。あのエロい感じたまんないしょ。背が低い女の子ってエロいっていうじゃん? 最近沢村が放課後七瀬と帰ってるって言ってるやつがいてさ。お前もなんか七瀬と仲いいっぽいじゃん? さっきも言ったけどオレ苛ついてるからさ、どっちかが七瀬と付き合ってるってなったらオレ何するかわかんないからさ。もし付き合ってるなら・・・。」



 俺は、すべてのことに恋愛を絡めてくるやつが嫌いだ。そういうやつは人の話を聞こうとしないから。多分、テルシマには俺が敵に見えている。いや、テルシマは自分の思い通りにならないやつは敵として排除しようとしている。あの日、階段の下から俺を見ていたあの目は今まで見てきたどんな刃物よりも尖って見えた。仲村や七瀬さんが持つナイフとはまた違う、相手を傷つけるためだけのナイフの様だった。



 もしかしたらテルシマは臆病なのかもしれない、と思った。金髪もピンクの小銭入れも、返答を待たずに話し続けることも、矢鱈と攻撃的な口調も。一年の頃からテルシマの周りには人が絶えず、文字通り色んな人で溢れていた。見る度に連れている人や人数、髪型は変わっていたが、テルシマがその中心にいることだけはいつも変わらなかった。テルシマは気付いていたんだ。そいつらはいつか自分の周りからいなくなってしまうことに。けれどテルシマは自分を守ることを選ばず、相手を攻撃することを選んだ。相手を抑え込むことで自分を守ることにしたんだ。それに慣れることで今のテルシマが生まれてしまったんだ。それに気づいた瞬間、テルシマのことを少しだけ理解できたような気がしたが、少しだけ悲しくなった。



「お前ミカいるだろ。」



「最近うまくいってねぇからなぁ。次の相手探そうと思ってよぉ。あいつも浮気してるっぽいし。」



 高校生の恋愛で浮気なんて言えるテルシマを、俺はなんだか羨ましく思えた。こいつは高校に来て何も悩んでなんかいないだろう。無知、最強説だな。



「拓矢さ、俺らもう中学生じゃないんだ。苛ついて何するかわかんないやつが怖いとは思わねぇよ。なぁ、俺たちあと半年で高三だぜ? もう少し大人になろうや。」



 キレてくるかと思ったが、拓矢は意外にも落ち着いた表情してから大きな声で笑った。



「何がおかしいんだよ。」



「俺とお前で何が違うんだよ。」



「は? 」



 眉間がぐっ、と熱くなって目じりが引っ張られるように気がした。一気に上げられた沸点を急に下げることができず、頭に浮かんできた言葉が重力に引っ張られるようにそのまま口から吐き出た。



「どこが同じなんだよ。」



「同じだろ。オレと同じで部活もしていなければ髪の毛も茶色だ。目的もなくいつもだらだらしながら一日を終えるだけじゃねーか。オレとお前で違うところは目だけだな。確かに高校生活は退屈だよ。オレもほんとになんもしてねーし、目的もなくだらだら過ごしてるよ。でも、それを受け入れて生きてる。オレはそれを受け入れた目をしてる。自分で言うのもなんだけど光なんてない目をしてるわ。けれど、お前は違う。なんもしてねー自分を受け入れてないくせに、いっちょ前に抗おうとする目をしてやがる。前からむかついてんたんだよ。『俺は他のやつとは違う』みたいな俯瞰した目が。自分が本気を出せばいつでも変われるんだって態度が。お前は自分の茶髪を『これは染めているんじゃなくて地毛なんだから』とか思ってんだろ? そんなもん他のやつから言わせれば同じだよ。あの時片山にお前だけが注意されたのは、オレよりお前のほうが不良だと思われたからだよ。お前が今のオレをを不良だと思ってるなら、お前だけ注意されたのはそういうことだろ。」



 自分はキレてしまうと思っていたが、意外と黙って拓矢の話を聞いていた。



 


 拓矢は噴火するように話し続けた。俺は覚えていないけど、多分拓矢は俺が無視したその時からずっと不満をため込んでいたんだろう。無視したこと、階段で俺と七瀬さんを見かけたこと、俺が拓矢と接する態度。ゆっくりと時間をかけて暖められた不満が、俺の一言をきっかけに拓矢から噴き出した。拓矢から流れ出た不満のマグマは俺の足元で固まって、その場から動けずにいた。



 拓矢が言っていることは正しい。教室にいるときの俺はそんな感じだ。教室では仲村や沢村、教室の外じゃ隆也や樹のようにみんなそれぞれ何かに頑張っているのに、俺は何もしていない。それどころか、教室で時間を無駄にしているやつらをくだらないと思っている。自分は自分がバカにしているやつらと何も変わらないというのに。髪型のこともそうだ。染めているか地毛かなんて関係ない。注意されるのが嫌なら、黒染めすることだってできたんだ。なんなら髪型を変え続ける拓矢のほうがずっと前向きなのかもしれない。



 いつの間にか部活が始まっていて、遠くの方から野球部の金属音や、サッカー部の大きな声、ブラバンの演奏が聴こえてくる。仲村はまた先生のところに質問しに行ってるんだろうな。隆也はグラウンド走ってるんだろうし、樹は新しい曲を作っているんだろう。俺って案外打たれ弱いんだな。



「今の言葉、お前にだけは言われたくねーよ。」



 そういって、拓矢は静かに去っていった。途中列からはみ出た自転車があったが、拓矢は何もせずに通り過ぎた。

 


 俺の知らないところで、誰かが一生懸命頑張っている。俺が想像もつかない努力を。想像もつかない時間を費やして。勉強なんて、学校で生活していればみんな頑張ってる。この学校で何もしていないのは俺だけだ。


 


「なにやってんだろうなぁ。」



 プラタナスの木に飾られている絵はまた変わっていた。今回の絵は夕日をバックに向かい合って手を繋ぐ恋人同士の絵だった。二人は満面の笑みで、とても自由に見えた。名前のところには「涼野 詩音」と書かれている。あ、またこの人だ。これで絵が飾られるのは四度目かな。

 


 俺は嫌なことがあったり、憂鬱な気分になったりするとここに来るようにしている。この不自由で退屈な学校の中で、唯一ここだけは自由でいつも新しいからだ。季節とともに姿を変えるプラタナスに、月ごとに変わる絵。七瀬さんとここで話したあの瞬間、確かに俺の高校生活が始まったような気がした。根拠なんてなんにもないけど、ここに来れば何か新しいことが始まって、俺の世界をがらりと変えてくれるような気がしてたんだ。



 でも実際はそんなに簡単に世界なんて変わらない。七瀬さんとのあの一瞬は奇跡のようなものだったんだろう。人生に一回あるかないか、巡り合えただけで祈りを捧げて感謝しなければいけないほどの出来事なんだろう。俺は一回でも巡り合えたんだから幸せ者なんだろうなぁ。確かに沢村はいつも死にそうな顔してるしな。あの一瞬が俺の高校生活のピークで、残り一年半はこのまま何もないままだらだら過ごすんだ。どうだ颯汰? なかなか悪くないじゃないか。仲村にちょっかいをかけて、沢村とサッカーの話して。文化祭が終わればまた隆也と樹と話せるようにもなる。勉強なんてみんなやってるっていっても学年四位って結構な順位じゃないか。三位以内に入れば七瀬さんがデートしてくれるんだから。え、俺の高校生活めっちゃ順調じゃん。



 それでも極稀に、本当に稀にどうしようもない不安に駆られる瞬間がある。仲村は実は怒ってるんじゃないか? 沢村は俺と話すより音楽を聴いていたいんじゃないか? 隆也と樹と並んで歩けるほど、俺は何かに打ち込んでいるか? ウイイレ頑張ったところで何になるんだ? 俺は七瀬さんとデートしてどうしたいんだ? 



 しばらく絵を見続けていた。見れば見るほど胸に孔が空くような気がした。今日はもう帰るか。帰ったってすることなんかないだろ。



 立ち上がった瞬間、木の後ろから誰かが出てきた。その人は背中を丸めて、目の下を真っ赤に腫らしてもなお涙を流し続けていた。いつもはきれいに整った黒髪は少し乱れて、いつものような切れ味は微塵も感じなかった。



「こんなとこでなにしてんのよ。なんであんたなのよ。」



 わけもわからないまま、仲村はそのまま去っていった。慰める気も、事態に対処しようつする気もおきないまま、ただただずっと仲村に言われた言葉受け止めようとしていた。受け止めようとして、受け止められないでいた。



 こんなところでなにしてんのよ。



 ナイフが刺さる音がした。

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