片想い
あべせい
片想い
「ガッシャンッ!」
家の前の道路から、大きな物音が聞こえる。その家の主婦、清水弥生(しみずやよい)が窓を開けて外を見ると、宅配用トラックが停止していて、背後の荷室の扉の前で、若い男が、路上を見下ろしている。路上には、木箱が落ちていて、その周りに真っ赤な液体が流れだし、その液体の縁が徐々に広がっていくようすが見える。
「あの子、またやったのね。しょうのない坊や」
弥生は、ホウキとチリトリ、水の入ったバケツをもって、外に出た。
とその物音で、トラック運転手の駒込恭二(こまごめきょうじ)が振り返り、
「アッ、奥さん、すいません」
と頭をかいた。
「それ、うちのなのね」
路上に落ちているのは、ワインのボトルが入った木箱だ。12本入り。1本3千円はするから、かなりの損害だ。
「ちょっとどきなさい。いま掃除するから……」
「は、はい」
弥生は、路上に散乱した木箱のくずと、ボトルの破片をてきぱきとチリトリにとって、半分壊れた木箱に戻した。
「全部持って帰らないと叱られるでしょ?」
「はい……」
弥生の無駄のない動きに見惚れていた恭二は、慌てて視線を木箱に移した。
「ほかにも配達があるンでしょ。早く行きなさい」
弥生は最後に水を撒いて道路の汚れを洗い流すと、自宅に引き返す。
「奥さん……」
「なァに?」
弥生は、まるで、呼びかけられるのを待っていたような、タイミングのいい受け答えだ。
「奥さんにお話があります」
「こんなときに? お仕事中でしょう?」
「実は、ぼく、近くこの仕事をやめます」
恭二は思い詰めた表情で、弥生を見つめている。
「エッ、そんなッ……」
突然のことで、弥生は言葉を失った。
「奥さんにはいろいろお世話になって。何のお礼もしていません。それで……」
「それで?」
弥生は、こんな事態は予想していなかった。もっと楽しい展開を描いていたのだ。恭二という青年を少しも理解していないのだということを思い知らされた。
「借りているお金をお返ししなければいけません」
恭二は直立不動で話す。元々、律儀な男だ。
「そんなことがあったかしら?……」
恭二は作業衣の内ポケットから、茶封筒をとりだす。
「すべてには足りません。足りない分は今月中に必ずお返しします」
深く頭を下げ、封筒を弥生の前に差し出す。
「待って」
弥生は封筒を手に取ったが、まだ納得できない。しかし、ここは路上だ。こんな形で長話はできない。恭二も仕事がある。
「キョウちゃん、仕事が終わったら、うちに来て。夕食つくって待っているから。ねェッ」
「は、はい」
恭二は戸惑っている。
「絶対よ。そうでないと、あのこと、バラすから。わかった?」
「ハイ」
恭二は覚悟を決めた。
弥生の家は、私道を囲んで5戸が建つ建売住宅の一戸だ。公道からみれば、左側の最も手前の家。結婚した当初の家は、ここから車で20分ほどの新築の一軒家だった。ところが、愛する夫が、7年前、車で高速道路を走行中に大型トラックに追突され、死亡した。夫は役所で福祉関係の仕事をしていて、当日は隣県の姉妹都市との共催イベントの打ち合わせに行く途中だった。
結婚4年目の悲劇は、弥生の人生を大きく変えた。当時弥生は携帯電話会社のカウンター窓口で受付業務をしていた。そろそろ子どもを作ろうと夫と話し合っていた矢先だったため、弥生に子どもはいない。
弥生は夫の急死とともに仕事をやめた。多額の賠償金と保険金が降り、質素にやっていけば20年は食べていける。それよりもなによりも、人生設計の立て直しが必要だと感じた。
若い未亡人は、近所でも好奇の目で見られる。そこでまず夫と購入した家は売り払い、築25年の現在の建売中古住宅に、リフォームして転居した。それから7年。弥生は35才になった。再婚する道もある。しかし、これといった出会いがない。やがて弥生は、インターネットを操作しているうち、株式投資に興味を持った。1億数千万円の預貯金のうち、1千万円はなくしてもいいと考え、手堅い銘柄から始めた。勿論、リスクのある信用取引だ。
周囲の眼をごまかすため、週に3日、一日3時間ほどスーパーへパートに出かけていたが、ネットで株取引を始めるようになり、すぐにパートはやめた。気持ちの余裕がなくなったからだ。
買い物は日常の食料品以外は、ネットショップに頼る。そのため、さまざまな会社の宅配トラックが頻繁にやってくる。恭二はその中の一人だった。
恭二は28才。大手の配送業者に就職して約1年になる。その前は、フリーターとしてさまざまなバイトをしていた。ウエイター、ビル掃除、洋菓子店の店員、建築現場の警備員などだ。
恭二が初めて弥生の家を訪れたのは、ほぼ半年前。弥生の家がある地域の担当ドライバーになったからにすぎないが、彼はその地域の担当を入社当初から希望して、ようやく叶えられたという事情があった。
というのも、恭二の勤める配送会社の本社総務課に、彼が片想いする女性がいたためだ。女性の名前は、日暮五月(ひぐれさつき)。研修で本社に行った際、彼のテーブルにコーヒーを出してくれたのが五月だった。コーヒーを出しただけではない。五月は、彼がそのとき取り組んでいた運転教本の答案用紙をチラッと見て、人差し指でその箇所を示し、そっと間違いを指摘した。そして、彼がハッとして顔を上げると、五月は白い歯を覗かせ、ニッと微笑んだ。
恭二はそうした触れ合いで、五月にグイッとハートを掴まれた。急いで彼女のIDカードを覗いて名前を知ると、社員名簿から住所をつきとめ、異動願いを提出した。
そして彼女の住まいが、弥生の家に向かって右隣であることを知った。弥生との交流は恭二が望んだことではない。偶然の産物といってよかった。五月がどんな環境で暮らしているのか、知りたい一心で、その地域の担当ドライバーを志願したにすぎない。
しかし、恭二が五月の住まいの近くを走っても、五月と出会うことはこれまでほとんどなかった。考えるまでもなく、それは至極当たり前のことだった。月曜から金曜までの昼間、五月は本社総務課にいる。通勤に要する時間を考えると、あさ7時頃に自宅を出て、帰宅は早くても午後6時を過ぎる。
恭二の宅配は、営業所を出発するのが、早くて午前8時半、戻るのは午後5時過ぎ。それに、五月の家の前の道ばかりを走るわけではない。一日1度、近くを走ればいいほうで、彼女とのニアミスを期待して配達ルートを変えているにもかかわらず、成果は得られていない。
宅配は土日も休まずにある。恭二もローテーションで土日に出勤する。しかし、土日の配達は物量が少ないため、配達エリアが広くなり、五月の家近くを走るのは極めて困難な作業になる。
しかし、弥生がネットショップを始め、彼女宛ての宅配荷物がふえるにつれ、恭二にとっては幸いなことに、弥生の家にトラックを走らせる機会が格段に増した。少なくても月に2度、多いと週1で弥生の家を訪れる。すなわち、少なくても月に2度は、弥生の家の隣にある五月の自宅を眺めることになる。
五月の自宅は、弥生の家と外壁の色こそ異なるが、敷地面積がほぼ同じだから、間取りも似たようなものだろう。
五月は、父との二人暮らし。この情報の出所は、弥生だった。そして五月が、ことし恭二と同じ28才になることも弥生から教えられた。
五月の自宅宛ての荷物は、この半年1つもないから、中のようすがわからない。3ヵ月ほど前、恭二はバカな考えを起こした。配達先を間違えたふりをして、五月の家を訪ねることを決意したのだ。その日は日曜日。日曜の午後なら、五月が家にいるに違いないと踏んでのことだった。しかも、幸いなことに、空は朝から雨降りだった。煩わしい雨天なら、配達ミスも仕方ないと許してくれるだろうとの思いがあった。
本社でのドライバー研修で出会って以来、五月には2度会っていた。1度は、研修の翌週、本社に研修での新人ドライバーテストの結果について問い合わせに行ったときだ。本来なら直接行かなくてもテスト結果は各自に届けられるのだが、納得いかない者は出向くようにとあったので、恭二はそれを活用した。そして用もないのに総務課に顔を出し、デスクで仕事をしていた五月の前に行った。
「この前はありがとうございます」
五月は突然現れた恭二を見て、一瞬体を引いた。記憶になかったのだ。
「あのう、先週の新人研修の際、アドバイスをいただいた駒込恭二です。その節は本当に助かりました」
「そうだったわ。あなた、駒込さんね……」
「はい。西部エリアを走っています」
「そう、西部……また会える機会があるといいわね」
「楽しみにしています。西部の営業所に来られる機会があればお知らせください。ご案内します」
思ってもいない言葉が不思議とすらすら出た。
「わたし、自宅が……まァ、いいわ。そのうちにね」
机上の電話が鳴り、五月との会話はそこで切れた。
2度目は4ヵ月前、荷物の配達中、彼女の自宅から10分ほどのスーパーの外で、すれちがった。午後6時前後だったから、会社からの帰り道、立ち寄ったのだろう。手に小さなレジ袋を下げていた。
恭二は10メートルほど通り過ぎてからトラックを止め、走って後戻りすると、前を行く彼女に追いついた。前回話をしてから、半年以上経過している。恐らく、忘れているに違いない。
「五月さん、恭二です」
後ろから、声を掛けた。忘れているのなら、アピールしたほうがいいと考えてのことだ。
五月は振り返ると、脇を通り過ぎた自社のトラックを見ていて、連想が働いたのかもしれない。それほどの驚きは見せず、
「あ、あなた……駒込さん、ね」
恭二は、駒込の姓を覚えていてくれたことに感激した。
「こんど、こちらのエリアの担当になりました。五月さんは、こちらにお住まいですか?」
知っていることはオクビにも出さずに尋ねた。
「えェ、まァ……」
五月は急に声をひそめ、言葉を濁した。自宅については言いたくない事情があるのだろうか。恭二はそう感じ、そのままその場で別れた。
4ヵ月前の、スーパーの表で会ってから1ヵ月が経過したあの日、恭二は弥生宛ての荷物を持って、五月の家のインターホンを押した。そして、家の中の気配をうかがう。
「ハーイ」
五月の声だ。鈴をころがすような甘い響き。
「宅配便です」
「どちらから、ですか?」
シマッタ! 恭二はこんな応答を予想していなかった。ふつうは、すぐにドアを開けてくれる。仕方ない。恭二は、荷物に貼りつけられた配達票の差出人の名前を読み上げた。
すると、
「それ、お隣のじゃないかしら?」
五月は賢明な女性だ。これが宅配業者への正しい対応の仕方だ。
「アッ、すいません。失礼しました」
恭二はそう言って踝を返し、弥生の家のインターホンを押した直後、隣の五月の家のインターホンから、
「いまのひと……」
と、つぶやくような五月の小さな声が漏れた。恭二はすぐにそれに応えたい衝動に駆られた。「はい、恭二ですッ。五月さん!」と。
しかし、目の前の弥生の家のインターホンから、
「待ってね、すぐ行くから」
弥生の、元気で、がさつな声がした。彼女は宅配便が来たことを知っているッ。恭二はいやな予感がした。そして数秒後、ドアが開き、弥生の豊満な体が現れた。
「駒込クン。お待たせ。それ待っていたの」
と言いながら、弥生は荷物を捧げ持っている恭二の手首を掴んで、彼の体ごと中に引っ張り込んだ。
アッという間もなかった。
「見たわよ。あなた、お隣の五月さんに片想いしているのね」
恭二が配達伝票を差し出し、印鑑を要求する動作をしているにもかかわらず、弥生は無視して続けた。
「あなた、わざとこの荷物、お隣に持って行ったでしょ……」
と言って、ニヤリッと笑った。
「そんなこと……しませんよ」
恭二の声には力がない。元来、ウソのヘタな男だ。
「わたし、居間の窓からすっかり見ていたの。一度、わたしの家の前に来て、インターホンを押そうとしてやめた。それから、お隣に行った。おかしいじゃない。これ、会社には内緒にしたほうがいいわよね」
恭二は無言を通そうと決めた。
「いいのよ。だれでも異性を好きになる権利はあるもの。でも……」
でも? 弥生は気になる接続詞を使った。
「お隣の五月さんには、ね……。いいわ。これ以上は、個人情報だもの」
あれから3ヵ月になるこの日、恭二はうっかりウイスキーの木箱を落として中身を台無しにした。そして、弥生には勤務後、自宅に来るように命じられた。来ないと、3ヵ月前、荷物の配達先をわざと間違えて五月の自宅を訪ねたことを、会社にバラすというのだ。それは困る。仕事中に、そんなことをしている男だと五月には思われたくない。そして、もっと気になるのは、弥生が言った、「でも……」だった。
恭二は通勤に使っているバイクを駆って、弥生の家の玄関前に行った。到着したのは、あと10分ほどで午後7時という頃だった。
と、背後で物音がしたので、バイクにまたがったまま振り返ると、会社から戻ってきた五月が、自宅の玄関ドアを開けようとして、恭二のほうを不審げに見ている。距離にして約5メートル。
恭二はフルフェイスのヘルメットを被っている。まずい。こんな時刻に、弥生の家にやってきたと思われては誤解のもとだ。恭二はヘルメットを被ったまま、バイクを降りて弥生の玄関ドアを拳で叩きながら、
「パイク便でーすッ」
と言ったあと、すぐに、小さな声で、「シマッタ、間違えた」
さらに、声の調子を戻すと、
「ごめんなさい。間違いです」
恭二は再びバイクにまたがり、次の角を曲がると数10メートル先にある公園の脇にバイクを止め、息を整えた。恭二がバイクで弥生の家の前を去るまで、五月は怪しげなバイク便から視線を外さなかった。
10数分後。恭二は弥生のダイニングキッチンのテーブルで、弥生と一緒にステーキを食べていた。彼がこの家に入るのは、これが2度目になる。前回は、2ヵ月前、この日のようにワインの木箱を路上に落として指をケガしたため、見かねた弥生が治療のためにリビングにあげてくれた。そのとき、互いに手を握り合い、きわどい瞬間があったことを恭二はよく覚えている。危なかった。あとで思うと、あのとき自制したことが、いまにつながっている。もうあんな事態は招くまい。彼はそのとき、そう固く心に誓った。
そのリビングには、ノートパソコンが3台並ぶパソコンデスク、ワインクーラー、ドレッサーなどがあり、その一室で弥生の用事がすべてすませられるようになっている。
「おいしい?」
「はい、おいしいです」
「わたしが焼いたのじゃないわよ。あなたが届けてくれたの」
「エッ」
「だから、お取り寄せ。わたしはお皿にのせてチンしただけよ」
そうかッ。弥生の家にチルド便や冷凍便が多いのは、そういうわけか。だったら、遠慮することはないか。愛情がこもっているはずもない。恭二は、美味さが半減するのを感じた。
「そのワインも……」
弥生が目で示す。
テーブルにワイングラスがあるが、その中身も恭二が配達したものだ。この日壊したワインボトルは、結局前回同様、会社と恭二が半額づつ負担にすることになる。
「でも、うまいです」
しかし、声が低い。恭二は本当のことを言っていない。
「本当? そんな顔していないけれど……」
だったら、どういう顔をしているというンだ。恭二は弥生の相手をしているのが面倒になってきた。食べ終えたら、すぐにおいとましよう。
「キョウちゃん、どうして会社をやめるの?」
弥生が、へばりつくような視線を寄越しながら言った。
「どうして、って……」
勿論、理由はある。
「さっき、妙なバイク便が来たンだけれど、キョウちゃん、ここまで何で来たの?」
恭二は、もうバレているのだと悟った。しかし、打ち明けたくない。そんな関係ではないからだ。恭二はナイフとフォークを置くと、
「奥さん、キョウちゃんと言うのはやめていただけますか」
弥生がギョッとしたように恭二を見た。
「なんで? わたし、そんなにいけないことを言った?」
「奥さん。ぼくは意志の弱い男です。ギャンブルがやめられず、奥さんから借金しています。そして、隣のお嬢さんを振り向かせようとして小細工をしています。でも、もうおしまいです。全部会社に知られてしまい、会社の服務規程に反するということで、近く解雇されます」
一気にしゃべった。もういい。恭二は、出直せばいい、と考えている。
「借金はダメなの?」
「奥さんは会社にとってはお客さまです。顧客から借金するのはルール違反です。それに、仕事中、スマホで馬券を買ったことが上司に知られ……」
「はい、飲んで……」
弥生がワイングラスを恭二の口の前に持ってくる。彼は仕方なく飲んだ。
「もっと、もっと……」
弥生も飲み、空になるとすぐに注いだ。10分近く、恭二はワインを飲みつづけた。元来、アルコールは強いほうではない。
「五月さんが振り向いてくれないンでしょ」
弥生が恭二の脇まで椅子をずらし、ねっとりと顔を寄せて尋ねる。
「五月さんは……ぼくには高嶺の花です。もうあきらめました。だから、会社をやめるンです。解雇はウソです。ぼくから退職を申し出たンです」
「やっばり……そうだったの」
弥生は、恭二の手を握る。
「あなた、お隣の五月さんはダメだと言ったでしょ」
「はい」
恭二は息がかかるほど接近してくる弥生が心底イヤになった。
「五月さんはお父さんと暮らしているのは知っているでしょ?」
知っている。勿論だ。だから、あのオヤジが邪魔をしていると思っている。
「お父さんのお年、いくつか知っているの?」
「まだ、お会いしたことがありません」
五月が28才だから、若くて50代前半だろう。
恭二が無言でいると、
「あの方、48才よ。イイ男よ。わたしが惚れたくらいだから。でも、あなたと同じ。振り向いてもくれない。わかるでしょ」
「わかりません」
弥生は、恭二の顔を、手を使って自分のほうに向けさせた。
「わたしは自慢じゃないけれど、お金持ちよ。それでいろいろ手を尽くして、誘ってみたの。それでもダメ。どうして?」
そんなことがわかるはずがない。
「恋人がいるンでしょ」
恭二は乱暴に答えた。
「そう。よくわかったわね、と言いたいところだけれど、あなたは鈍い、鈍過ぎる。だから、振られるの。わたしもそうだけれど……」
恭二には弥生が何を言っているのか、わからない。
「あなた、わたしで我慢しなさい。五月さんより年はクッているけれど、お金は持っているわよ。それに、まだ35よ。まだまだ、若い……」
弥生はそう言って、唇を突き出す。恭二は、顔をそらす。この誘惑に負けては、ダメなのだ。
「ぼくは、まだ五月さんを諦めていませんッ!」
弥生がハッとして、姿勢を正した。
「言ったわね。やっと、本音を言った。あなたは大バカよ。トラック運転手だから相手にされないンだと思って、こんどは取引先の会社に就職しようとしている。もう面接は済んだのッ!」
「どうして、知っているンですか!」
だれにも言ってないことだ。いや、五月さんには手紙を出した。「こんど、カーディーラーの営業に転職します。トラックの整備等のご相談で、貴方のいる本社に行くことになりましたら、どうぞよろしくお願いします」と。五月さんは、迷惑だから注意してもらおうと、あの手紙を弥生に見せたのか? まさかッ!
「あのね。もう言ってあげる。お隣のお父さんの恋人、っていうのは……」
そのとき、恭二に天啓のようなひらめきがッ。そんなことはありえないッ!
「やめてください!」
「そう、五月さんよ。2人は親子なンかじゃない。歴とした夫婦なの!」
親子ほどの年の差夫婦は世間にいくらもあるが、どうして、彼女が……。
「だから言ったでしょ。わたしのほうがいい、って。わたしもあなたで我慢することにしたから。はい、飲ませてあげる……」
弥生はそう言ってワインを口に含むと、恭二の頬を両手で挟んで迫る。
恭二にはそれを拒否する力は、もうない。どうすれば……。彼は朦朧とする頭で、年増女に篭絡される自分の姿を妄想する。
(了)
片想い あべせい @abesei
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