文学少女は照れ隠し、文学少年は意地を張る

巫女服をこよなく愛する人

1.文学少年は不平を嘆く

「真鍋君。恋愛相談をしてあげましょう」


 空調もない時代遅れの文芸室。

 風通しの良い窓際を陣取り腰掛ける少女が、上から目線で提案した。

 彼女は長い黒髪の上に、これまた黒いカチューシャを乗せており、加えて、その眼鏡の縁も、瞳の色も日本人らしく黒という、黒マニアックな姿をしている。

 膝の上には布地のカバーで包装された本が一冊置いてあり、いかにも文学少女といった佇まいだった。


「……また唐突だな、香芝」


 香芝巴。

 僕こと真鍋利一と同じ、樫葉港南高校に通う二年一組の同級生。


 文学少女と言ったけれど、彼女の場合、世間一般で言うそれとはまた毛色の違った特色を持つ―――本ばかり読んでいるというところは変わらないけれど、本を読むだけで終わらないのが香芝巴という女子だった。

 運動だってできてしまうのが彼女であり、バスケではスリーポイントシュートくらいは楽々と決めてしまうし、フットボールではハットトリックをかましてしまうし、ついこの間の水泳の授業では、50メートル28秒96を記録していたりする。


 勉学に至っては、一年のころから常に一位という成績を残している。

 僕だって二位だけどな! たまにタイだし!

 こほん。


 まあ―――、一言で言えば、才女。

 器用貧乏を超越したという意味で、超器用貧乏というやつだ。


 ただ、そんな彼女にも欠点があるようで、端的に言ってしまえば、人との付き合い方というものが全く持って分かっていなかった―――放課後に遊びに誘われても部活があるといってこの文芸部の部室にやってくるし、お昼ご飯に誘われればもう約束があるといって部室にやってくるし、文化祭で任された仕事でさえも部室でやろうとするような、文芸部の引きこもり。


 僕がなぜそんなことを知っているかって? 僕が文芸部員であって、彼女と同じ、文芸部の引きこもりだからだ。

 彼女と違い、常に僕の方が早くに部室へとやって来て、早くに鍵を開けて、早くに窓を開けて、早くに本のカバーを開き、遅くにカバーを閉じるといった一連の動作を、この一年間やってのけている―――つまりは、僕の方が引きこもり的には先輩である。


 水泳の記録をなんで知ってるかって?

 クラスの連中が言っていた。

 バスケやフットボールの成績をなぜ知っていたかって?

 クラスの連中が言っていた。


 つまるところ、僕自身は彼女に対して興味なんて一ミリもないし、たとえあったとしても、それは部員に対する好奇心という枠組みに収まるものでしかないのである。

 ないのである!


「恋愛相談というが、僕に好きな相手なんていない」

「あら、本当かしら? その証明は貴方にできるの?」

「当然だ。僕がお近づきになっている女子は、ただの一人もいない。これこそが、僕が他の女子に恋心などという曖昧かつ不合理な感情を持っていないという証拠に他ならない」

「あら―――――それなら、近くに女子がいれば、恋心を持っている可能性があるということかしら?」

「それは―――――」


 僕の馬鹿。女子ならいるじゃないか。

 目の前に。

 失言だった。


「私、これでも女の子なのよ?」


 皮肉である。

 言われなくても、知っている。わかっている。

 知りすぎるほどわかっている。


「けれど、それはイコールで僕が君を好きでいると言うことにはならないだろう? どうやって証明する?」

「恋愛感情の証明方法と言えば、いくつかあるみたいだけれども。その方法自体が不確かなものだから、証明といえるほどのものではないわね」

「それなら、不可能と言わざるを得ないな」

「いえ、それでも、確かな方法があるわ」

「ほう―――――教えてもらおうじゃないか。もしもそんなものがあるというのなら、喜んでやってみせるとも」

「言ったわね?」

「ああ、二言はない」


 僕は少しだけ、そう、ほんの少しだけ香芝の言葉に興味を持って、開いていた本を閉じると、椅子の脇に置いてあるカバンにしまい込んだ。

 ついでに、暑いので水筒を取り出しておく。

 緊張で喉が乾いたとか、そんなことではない。


 ―――恋愛感情の証明


 世間一般に言われる手法としては、5秒間相手の目をじっと見続けられなければ好きだとか、手を握った際に手汗がどれくらい出るかだとか、そんなものがあげられるだろう。

 でも、嫌いな相手でも目なんて逸らすだろう。

 手汗なんて、ただの個人差だ。

 恋愛感情の完全証明など、できるものではない。

 僕は香芝の言葉を待ちながら、水筒の蓋にお茶を注ぐ。


「私と、キスをしましょう」

「ぶふぉっ!?」


 お茶に口をつけていなくてよかったと、心の底から思った。


「き、君は何を言っているのかわかっているのか!?」

「ええ。唇、つまりは口唇同士での接触。主に恋人同士で行われる行いであり、愛情の証明方法として使われてきた、古典的かつ現実的な手法の一つよ?」

「それはそうかもしれないが、普通、君の言う通り、恋人同士でやるものだろう!?」

「あら、これは科学的実験であって、本来の意味なんて何一つとしてない、いわばただの証明の中の工程でしかないのよ? それとも、貴方はそれ以上の意味を見出しているということかしら?」

「それは――――そう、僕は非検体であって、僕がその意味を見出していなかったら、そもそも実験が成り立たない!」

「なるほど、一理あるわね―――でも、二言はないんじゃないの?」

「言った、確かに言ったが! そういう問題じゃ―――」

「それなら」


 香芝は口元に手を当てて、不敵に笑う。

 彼女は日ごろから妙なことを言う――今日の恋愛相談もその一例。

 けれど、今日はまた随分とアグレッシブ……もとい、変態的な趣向が御好みらしい。

 悪趣味ともいえるだろう。


「怖気づいたの?」

「は?」

「怖いんでしょ?

「は??」


 怖がる? 僕が?

 この、僕が?


「そこまでいうならいいだろう、受けて立とうじゃないか」


 はん!

 この僕を、本気で怒らせたようだな?

 いいだろう。

 受けて立つ。

 証明なんてできやしないだろうがな!


 僕は椅子から立ち上がると、香芝の元へと歩み寄る。

 香芝もまた、椅子を引いてその場で立ち尽くした。

 やがて僕達は拳二つ分ほどの距離を開けて、睨み合う。

 決して見つめあってなどいない。


「…………」

「…………」


 息の音さえも聞こえるほどの至近距離。

 こうして改めて見ると、二重だし、目は透き通るように綺麗だし、肌もすべすべしてそうだし、唇も艶があって柔らかそうだし――いやいや、そうじゃなくて!


「おい、キスするんじゃないのか?」

「あら、して欲しいように聞こえるのは気のせいかしら?」

「はぁ? 僕が、君と? 金魚が空を飛ぶくらいありえないな」

「そう。別にどうとも思わないなら、あなたからしてみなさい? こういうのは男性がリードするものよ」

「なっ……ぐっ……」


 不味い。

 僕からしてしまえば、「させられた」という言い訳が効かなくなり、後々の関係に不利が生じてしまうだろう。

 だが、ここで「してくれ」などと宣えば、それこそ僕が香芝を好きと言っているようなもの。

 ――好きでもないのに!


「ほら、どうしたの? そんなに焦っちゃって。まあ、どうしてもして私から欲しいというのなら、キスしてください、くらいは言って欲しいわね」

「誰がいうか、そんなこと!」

「それなら、ほら―――」


 香芝はより一層顔を近づけて、


「やってみなさいよ」

「っ………」


 呼吸の音どころか、香芝が吐いた生暖かい息が顔にかかるのがわかる。

 多分、僕のものも、香芝にかかっているだろう――、心臓の音さえも聞こえているかもしれない。


 ええい、こうなれば、覚悟を決めるしかあるまい。


「い、いくぞ?」

「ええ、どうぞ?」


 1ミリ、2ミリと、少しずつ近づく僕達の唇。体温さえも、薄い空気の膜を隔てて伝わってくる。


 このまま本当にしてしまうのか。

 脱キス童貞が、よもやこんなところで――――


「あ」


 ………?


 香芝が短く声を上げると、僕からパッと離れていった。

 おい?


「そうだわ。証明のためにも、心拍数を測らないといけないわね」

「……それもそうだが、そんなものがあるのか?」

「ええ。偶々、持ってきているわ」


 香芝はカバンから心拍計を取り出した。手で持つタイプで、固定のいらないものだ。


「随分と限定的な偶々だな……まあいい」


 僕はそれを受けとると、右手に握った。


「よし、するぞ」

「ええ、いいわよ」


 再び至近距離で見つめ合う僕と香芝。

 今度こそ、僕は香芝とキスをする。

 落ち着け、落ち着け。緊張すると、それだけ心拍数にでてしまう。

 そうだよ、相手は具志堅だと思えばいい。

 それならば、心拍数も上がらないというものだ。

 なんて考えていると、


「あ」

「……今度はなんだ?」

「動画も撮らないといけないわね。証明のためには必要よ」

「……それはよくないか?」

「ダメよ。こういうのは、きちんとやらないと」


 僕の水筒を壁のようにして、スマホを立てかける香芝。


「これでいいわね」

「よし、今度こそ、するぞ」

「ええ、いいわよ」


 よし――――、


「あ」

「今度はなんだよ!?」

「いえ、カメラに心拍計の画面が見えるようにしないといけないわ」

「〜〜〜〜〜〜っ!! あー、もう、いいだろ、そんなの!」

「え、きゃっ!」


 カメラの位置を調整しようとし始める香芝の腕を掴み、僕の方へと引き寄せる。


「するぞ」

「っ………!」


 正面からじっと見つめると、香芝は明らかに同様したように目を泳がせる。

 はんっ!

 緊張しているのはそっちの方じゃないか!

 自らの胸の奥の鼓動が激しくなっているのはわかっているが、これは男子高校生ならば当たり前の反応で、当然の帰結。

 決して、緊張しているわけではない。


 少しずつ唇を近づけると、やがて香芝は覚悟を決めたように、強く目を閉じた。


 それを確認して、僕もゆっくりと目蓋を下ろし、顔を近づけていった。

 そして。


「…………」


 柔らかい。

 暖かくて、少しだけ湿っていて、それでいて気持ちがいい。

 これが――、香芝の唇の感触か。

 なるほど、確かに世の中の恋人がしたがるわけだ。心なしか僕の鼓動が激しくなっているような気もするし、これでは証明されたようなものだな。


 カシャっ!


 ………………カシャ?

 あれ、動画を撮ってるのではなかったか?


「真鍋くん」


 んんん????


 唇を重ねているはずの香芝の声が、少しだけ離れた場所から聴こえてくる。

 おい、まさか……。


 僕は恐る恐る目を開ける。

 僕の唇に触れていたのは、香芝の掌だった。

 もう片方の手にはスマホが握られており、こちらにカメラのレンズが向けられていた。


「おい!!!!」

「あら、どうしたのかしら?」

「どうしたのかしら? じゃない! お前、人のことあれだけ煽っといて、なに逃げてんだよ!」

「貴方とキスなんてするわけないでしょう?」

「この………っ!!」

「それより、貴方ってこんなに私のことが好きだったのね」

「あ?」


 香芝の掌に握られているのは、僕が握っていたはずのはずの心拍計だった。

 こいつ、いつの間に取りやがった。


「心拍数186ですって。随分とまあ、緊張してくれていたみたいね?」

「なっ――――っ!! そんなもの、機械の故障だ!」

「残念ながら、買ってきたばかりで、壊れていないのも確認済みよ」

「ぐっ……」


 ……そうか。

 そうか、そうか。

 つまり君は、そういうやつだったんだな。


 ―――君がそうくるのなら僕にだった考えがある。


「それなら、今度は君の番だな?」

「え?」

「当たり前だろう? 実験とは比較対象がいて初めて成立する! キスするときは、誰でも心拍数が上がるだけかもしれない!」

「そんな屁理屈、あるわけないでしょう!?」

「おいおい、まさか怖気付いたのか?」

「ぐっ……!」


 香芝は悔しそうに僕を睨みつける。

 ハハハ! 君が馬鹿にされたまま引き下がることがないのは、よくわかっているぞ!

 などとやっていると、


 ――――キーンカーンカーンコーン


 こんなタイミングで、部活動終了の予鈴だと……!

 だが、こんなところで引き下がれるものか! 幸い、閉門までには時間の余裕が―――、


「あ、ああ、もうこんな時間ね! それじゃあ、戸締りは任せたわよ!」

「あ、おい、逃げるな!」


 香芝はご自慢の瞬発力を発揮して、カバンを持つと、僕の静止も虚しくそそくさと部室から出ていった。

 僕の足では、香芝に追いつくことはできないだろう。追いかけても無駄だ。


「くそ、仕方ない、僕も帰るか」


 その前に、乱れた椅子と長机を戻して行こう。


「――ん? あいつ、忘れていってるじゃないか」


 見れば、心拍計が床に落ちている。

 仕方ない、明日返すが――あれ?

 僕の心拍計は186とかいっていたけれど、190と表示されている。

 おい、これはまさか……








「――――壊れてるじゃねえか!!!」

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