第11話
「ねえ、三雲」
「はい、すみれ様」
ここのところ、三雲の様子がおかしい。
相変わらず世話を親切に焼いてくれてはいるけれど、目が合わない。あんなに遠慮なくべったりしていたのに、今では手が触れ合おうものなら、びくりと震える始末だ。
ちらちらとこちらを見ているから、興味がなくなったわけではないと思う、のだけれど。
「……ねえ、三雲」
「なんでしょう」
「どうしたの?」
「えっ?」
「いや、……本当はね、私は旅行者のようなものだし、変に口出すのもどうかなって思ってたんだけど、……主様と、なんかあったの?」
途端にみるみる水分が、三雲の美しい紫の瞳を覆って淡くなった。それはそれで良きかな、と思ったのも束の間、三雲はぐしょぐしょに泣いて、しゃっくりが止まらなくなってしまった。
「わっ、……私っ……はっ、」
過呼吸を起こしそうなほど、息が困難になるほどに泣いている。
普段、職場で冷静さに定評があるはずの私は、近年ないほどに狼狽えた。
「三雲、三雲」
おろおろと、名前を呼び続けることしかできない。久しぶりに頭が真っ白になった。
「どうしたの、主様に酷いことでも言われた?」
三雲の背中を撫でてやりながら、少しでも安心してもらえるよう、優しい声色になるよう努めた。
だが、獅子舞のように勢いよく三雲は頭を振る。儚く見える白髪はさすがに実体を持っており、速度を持って私の顔面を直撃した。
「主様はお優しいのです! ……わ、私は、主様の、じゅう、従者なのにっ、酷いことを言った上に、すみれ様の、味方をしてしまった! 手酷い裏切りです! なの、なのにっ……主様は、おやさじぐてっ……」
いつもは透き通るような白さなのに、泣きすぎと目をこするせいで、目の周りが赤くなっている。
私が話題になったせいであれば、責任を感じる。主様は随分と私がお気に召さないようだし、酷い物言いについ私の肩を持ってしまったとかだろうか。こんなに背中を丸めて号泣するなんて、よっぽど慕っているんだ。かわいそうに。
「だから、これ以上私と仲良くなるの、よそうって思ったの?」
なんの反応も返さないと思ったら、しばらくして小さく首肯した。
「ずみれ様と、一緒にいると楽しくて、……つい主様のことを忘れちゃうんです。主様のことが一番大事なのに、一番に考えていないといけないのに……でも、すみれ様が困っていないか気になるし、でもそしたら主様を……」
渇ききっていなかったのに、また三雲の涙が盛り上がった。三雲は見た目こそ儚げな勿忘草のようだが、中身はイノシシだ。短い付き合いの私でも、一度に一つのことしかできないタイプなのがわかる。ずっと一緒にいる主様は先刻承知だろう。
「ねえ、三雲」
目を潤ませた破壊力抜群の三雲がゆっくりとこちらを振り向いた。
「じゃあさ、私が思い出させてあげるよ。主様のこと忘れてそうだなって思ったら。それで大丈夫じゃない?」
きょとんとした表情で瞬きをすると、溜まっていた涙がこぼれ落ちた。私の言葉が頭に入ったのか、紫の目が輝きはじめる。これはやはり宝石、アメジスト。口角も上がり、とろけるような笑みを見せた。
「すみれ様! あなたは本当に女神様のようです! ご老人でなければ主様といいご夫婦になったでしょうに」
なぜ毎度毎度、優しい気持ちに水を差すんだ、三雲。
「ありがとうございます、すみれ様」
はみかみながら邪気の全くない顔でお礼を言われると、いつもながら心に湧いた苛つきも消えた。
「一緒にいるのが楽しいって言ってくれて、こっちも嬉しいよ。ありがとう」
微笑むと、頬を染めて笑い返してきた。生温かい雰囲気によほど照れたのか、突然勢いよく体を起こした。
「木地屋のところに行かなきゃいけないんでした! ちょっと行ってきます」
「木地屋? あの男の人?」
「会ったことありましたか?」
「あー、うん。木地屋さんて、どこに住んでるの?」
「山の麓です。ここからまっすぐ降れば着きますよ」
「ふうん。遠い? なにしに行くの?」
「近いですよ。茶碗を割ってしまったので、頼んでたんです。うちのものはほぼ木地屋に作ってもらっています」
「へぇ、そうなんだね。……私も着いていっていい?」
「いいですけど、ただ受け取りに行くだけですよ?」
「なんだかんだと、私ずっとお屋敷に籠りっぱなしだからね、たまには外にでたい」
「……そうですね。気づかなくて、ごめんなさい」
しょぼんとする三雲も可愛い。
「じゃあ、一緒に行こう」
背中を軽く叩くと、少し気を取り直したようだった。
玄関で久しぶりに靴を履くと、現実の感触を感じた。
三雲に手を引かれながら石畳を歩く。門扉代わりの対となった柱から屋敷を振り返ると、最初に見た景色と変わらない。これが過去で、異界の景色なんだ。私の現実と区別のつかない景色。
「すみれ様? 行きますよ」
「うん。……三雲? どうして手を引いてるの? ご老人だから?」
からかうように言うと、真剣な声色で返してきた。
「最初にお連れしたとき、はぐれたでしょう。私がいけないんですけど。実はあの後、珍しく主様に本気で怒られたんです。またはぐれたら嫌だから、離さないんです」
もー、かわいい。『離さないんです』だって。はー、ときめきすぎて若返りそう。
「木地屋! 木地屋、いる?」
雑な小屋の前に立つと、三雲が声を張り上げた。
私は疲労困憊だった。三雲の『近い』をそのまま信じるのではなかった。歩く速度を私に合わせてくれたせいか、一時間ほどかかった気がする。それに三雲は草鞋なのに、険しい道のりをものともしない足取りだった。これが脚力の差なのだろうか。足が痛い、今すぐに座り込みたい!
のっそりと戸口から現れた男は、やはり三雲誘拐事件の目撃者だった。
「お、三雲じゃねえか。べっぴんさんまで。三筋様に助けてもらえたんだな、良かったなぁ。茶碗が無駄になるかと思ったぜ」
「え? なんで知っているの? 千里眼? 木地屋って人じゃなかった?」
「ああ? おめえがヒの国に連れ去られたの見っけて三筋様にお伝えしたのは俺だぞ。なあ、べっぴんさん」
「そうですね」
「言うなれば俺はおめえの命の恩人だ。まあ、そのおかげで三筋様と話せたしな。ありがてえ」
「へぇ、人と話したんだ、珍しい。主様は木地屋の茶碗を気に入ってなさるからなぁ」
「なんだと! 三筋様が俺の茶碗を? 本当か? 俺なんぞの茶碗を? ……嬉しいじゃねえか、ありがてえなぁ」
がっしりした体つきの豪快な印象を受ける男が、子どものように喜んでいる。感情を素直に出して、泣き笑いになっている。この人もかわいい。三雲は三雲で、主様がそれだけ崇敬されていることに満足気で、頬を染めて誇らしさを抑えられない様子だ。あぁ、かわいい。ここは、かわいいの暴力がすごい。
「茶碗とりに来たんだよな? ちょっと待ってろ!」
だるい足を叱咤して屈伸やマッサージをしている間に、喜びではち切れそうな木地屋が戻ってきた。三雲は、受け取った茶碗を持参した布にくるむと、さっきとは打って変わって神妙な顔で話し合っていた。
来た道を戻りながら、足の痛みを忘れるために話しかけた。
「主様の名前、三筋様って言うんだね」
「あれは木地屋がそう呼んでいるだけですよ。一度遠目で主様を見かけたことがあるんです。お髪に灰色の束が三つあるでしょう? それで『三筋様』と。自分が見つけたお名前だって言って、他の者が呼ぶと不機嫌になるんです」
「へえ、あだ名か。じゃあ本名は? 秘密なの?」
「秘密ではないんですけど、木地屋は人ですから」
また出た。自分が知っていることを他人も知っていると思い込んで説明しないやつ。
「人だとなんで本名で呼ばないの?」
不思議そうにこちらを振り向くと、物忘れした老人を気遣うように優しく答えた。
「主様は祟り神ですから、人が本名を呼ぶと生気を吸い取られるじゃないですか」
「え」
『じゃないですか』って、忘れてるんじゃなくて、そもそも知らないから。それを置いておくとしても、爆弾発言がさらっと出たぞ。
「だからすみれ様もうっかり『鬼灯』なんて呼んじゃだめですよ」
「……三雲、今、呼んじゃってるじゃない」
「人限定ですもん。私は蝶の化生だから平気です」
「そう……」
情報の絨毯爆撃で、混乱した私の頭は足の痛みを忘れていた。屋敷に着くまでその効果は続き、部屋に戻り一人になると、じわじわとここが“異界”なのだという実感が湧いてくるようだった。
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