第四十三章 想望は時を越えて

 少し落ち着いてきたサミュエルの顔を見てアシュリンはほっとしている。


「月白珠が久し振りに私の願いを聞いてくれて、何か安心したわ」


「そう言えば、君が危機に陥っているにも関わらず、反応しない時があったね」


「ええ、理由は良く分からない。今は普通のようだけど」


 二人の頭の中に、“声”が響き渡ってきた。二人にしか聞こえていない。顔を見合わせた二人は互いに無言のまま頷き、“声”を聞き漏らすことがないよう全神経を集中させた。


“ヤットデアエタワネ。フタリトモ……!! コンドハ『アノカタ』ノイルバショヘアンナイスルワ”


「此処を教えてくれて有り難う。助かった。ところで君の言う『あの方』って、ひょっとして……」


“アナタノソウゾウドオリヨ。ワタシノコエヲ、ズットキイテイテネ”


 どこか嬉しそうな声が二人の頭の中に響いてきた。




 サミュエルが部屋に籠もって一刻程経った頃、漸く扉がゆっくりと開いた。

 アシュリンを伴ったサミュエルがその部屋から出て来ると、小さな歓声が上がった。サミュエル達が見渡すと、黒装束の兵達がみんなのびて足元に横たわっているのが目に入った。


「アシュリン殿。元気そうで何よりだ」


 テオドールの穏やかな顔を見たアシュリンは目を潤ませる。


「テオドール様……! ご心配お掛けしてすみませんでした。私は大丈夫です。皆さんもご無事で良かった!!」


 カーテシーをするアシュリンのその立ち居振る舞いに優美さが加わっているのを見て、テオドールはほぅと溜め息をつく。


「……これは驚いた。素晴らしい。少し顔を見ない内に貴女は色々と磨きをかけられた様だ」


「……? どうも有り難うございます……?」


 本人であるアシュリンの頭上に疑問符が立っている。無意識の内にクレア姫だった頃の仕草が表に出ている様だ。


「サム、君も雰囲気が少し違う様だ。哀愁というか憂いが漂っているというか、いつもと違う気がする。一体何かあったのか?」


 ザッカリーの問いかけにサミュエルは軽く咳払いを一つして答えた。少し頬を紅く染めている。照れている様だ。


「……ええと、別に悪いことでは無いが話すと途轍もなく長くなるので、今回の件が一段落したらきちんと説明する。これだけは言っておくが、私達が私達であることに変わりは無い。それよりハーデースを探し出す方が先だ」


「そうだな。ひょっとして又君に聞こえてくる“声”が案内してくれるのか?」


「御名答。意外と直ぐ近くらしい」







 頭の中に響いてくる“声”に従い、サミュエル達は先程までいた部屋から上に移動していた。石造りの壁をずっと眺めながら階段を登っている。今登っている階段を登り切る先に一つの部屋の扉が見えてきた。


 ――此処がひょっとして「彼」の居る場所なのか?


“エエ、ソウヨ。ココガ『アノカタ』ノイルバショヨ”


 ――私が入室して大丈夫なのか?


ナラダイジョウブヨ”


 ――『今の私』なら問題無いだと? どう言うことだろうか? 良く分からないが、入ってみよう。


 サミュエルはノックをした。


「入れ」


 部屋の中から声が響いてきた。どこか凍り付きそうな、温もりを一切感じない声だ。


 サミュエルがその扉を開けると、窓際の方に一人の男が立っていた。どこか物寂しそうな背中をしている。彼はゆっくりとサミュエルの方に身体と顔を向けた。


 彼は紛れも無く、ラスマン家主家の現当主である、ハーデース・ラスマンだった。エレボスの様な大きな息子が居る割には若く見えるが、その灰白色の瞳は光が映っておらず、まるで氷の国の住人の様な目をしていた。


「……!?」


 ハーデースの顔を見たサミュエルの身体が一瞬強張り、急にアシュリンの手を強く握った。アシュリンはその強さに驚く。


「サム、どうしたの?」


 若干間が開いた後、サミュエルはゆっくりと口を開いた。


「ハーデース・ラスマン……否、久し振りだな。アルビー」


 サミュエルの急な呼び掛けにハーデースは思わず目を剥いた。瞳に光と熱が一瞬戻るのを感じる。何百年振りに聞いたその懐かしい呼び名。あまりにも昔過ぎて記憶の欠片から抜け落ちそうになっていたが、辛うじて留まってくれていたらしい。自分をそう呼ぶ者は、この世でたった一人しか居ない。


「……サミュエル……否、私をそう呼ぶのは……リアか?」


 サミュエルは改めてハーデースの顔を見る。サミュエルとしては初めて見る顔だが、リアムとしては四百年振りに会う懐かしい顔だった。


 今は亡きセヴィニー家の元嫡男、アルバート・セヴィニー。彼の四百年後である現在の姿がハーデース・ラスマンだったのだ。

 戦争で最愛の妹であるアデル・セヴィニーを喪い、表舞台から姿を消した彼は死んだと思われていたが、名と身分を変え、ずっと生きていた。


 純血種の龍族であれば容易に老化しない為、何百年経っても容貌は二十代の頃のままでいられるが、彼の場合、元は輝く銀色だった髪が凍てつく様な雪色になっていた。


 ……そうか……それがお前の「痛み」の現れか……


 サミュエルは魂に染み透るような痛みを感じた。一瞬目を閉じ、静かに開いた後、決意した様に口を開く。


「アルビー。私に言う資格は無いのかもしれぬが、今お前に伝えたいことがある」


 ハーデースは無言のままだった。肯定も否定もしない。少し間を置いてサミュエルは話し出した。


「確かに私は間接的とは言えお前から妹を奪うことをし、その結果生命まで失わせてしまった。幾ら謝っても許されることではない」


 そう、幾ら謝ってもアデルはいない。


 アトロポスの泉に落ちたリアムとクレアは奇跡的にも転生を果たし、月白珠の力を以て記憶を蘇らせることが出来た。全てアデルの守魂術のお陰である。


 でも、幾ら感謝したくてもアデルは此処にはいない。その思いが鋭いナイフの様に心臓を抉る。


「それでも、私は謝らねばならない。すまないことをした。お前の想いを受け止めることしか出来ぬ」


「……」


 ハーデースは変わらず無口のままだ。この膠着状態をむず痒く感じていたアシュリンはどう声掛けて上げれば良いのか分からず、苛々する。


 そこへ、再び“声”が聞こえてきた。


“ヨンデ……”


 ――?


“ワタシノナマエヲヨンデ……イマヨ。フタリトモ。モウワカッテイルノデショウ?”


 サミュエルとアシュリンは手を繋いだまま顔を見合わせ無言で頷く。そして二人は声を合わせて“声の主”の名前を呼んだ。


「「アデル」」


 すると、アシュリンの胸元にある月白珠が再び輝きを増し、一筋の眩しい光が天井を貫いた。

 その光は徐々に人の姿を表し始める。


 月の光のような長く煌めく銀髪。

 灰白色の瞳。

 青いドレス。


 それは四百年前に時が止まってしまったアデルの魂魄だった。実体はないが、生前と変わらぬままの姿で立っている。


「……兄上……!!!」


「……その声は……アディ……!?」


 ハーデースは目を大きく見開き、声が大きくなった。どうやらアデルの守魂術は術を受ける者のみならず、術者自身にも少なからず影響を及ぼすもののようだ。リアムとクレアのみならず、術者であるアデル自身の魂をも守ったのだ。


「アデル様……」

「アディ……」

「……リア、クレア様……。ここまで時間がかかるとは思わなかったけど、どうやら成功したようね」


 アデルはしてやったりのドヤ顔である。実体はないのに存在感は半端なく大きい。


「アデル様……」


 アデルとアシュリンは向き合う。


「クレア様……ええっと、今はアシュリンと呼べば良いのかしら? 肉体は別人でも魂が一緒なら分かるみたいね。貴女達が私の名前を呼んでくれたら、私は術から開放されて今のように自由になれる、どうやらそんな術だったみたいなの。誰も成功させたことのない禁術だから術の効果までは謎だったんだけど、二人共魂が壊れてなくて本当に良かった!」


 アデルはとても嬉しそうである。


「もし失敗したら……なんて考えたことはなかったの?」


「あの時は熟慮する時間も余裕もなかったからね。一か八かの大勝負にでてみたの。上手く行けばそれで良し、失敗したら仕方ない。でも、私は自分の腕を信じていたからね! 必ず成功する! って。流石に自分のことまでは無理だろうと思っていたけど、この結果は成功に値する程の価値があるわ」


「もし私が貴女の名前を呼ばなかったら……て思ったことなかった?」


「それは考えなかったわ。だって、クレア様だった頃から、私は貴女とお友達になれそうな気がしていたんだもの」


 随分と信用の高い。アシュリンは驚きの余り声が出ない。


 アデルとアシュリンが話しをしている傍らで、サミュエルはハーデースと向き合う。


「アディに止められていたからずっと話さなかったが、今話そう。四百年前の約束だったし一度死んでいるからもう時効だろう。アルビー、お前はアディをどう思っていた?」


「どうって……」


「アディは、アデルはずっとお前のことが好きだったんだ。兄妹としてではなく」


「……え……?」


「アディは知っていたんだ。お前と自分が血の繋がらない兄妹だということを。彼女が本気で結ばれたいと思っていた相手はお前だったのだ」


「嘘だ! そんなことって……!」


 殆んど表情は変わらないものの、ハーデースが珍しく狼狽している。


「ジュード王はお前達二人には直接話して無かったようだな。アディから聞かされた私は知っていたが」


 その時アデルはハーデースに駆け寄り抱き付いた。実体がない為重みはないが、温もりだけは直に伝わってくる。声が震えていた。


「兄上……!」


「アディ……!」


「兄上……会いたかった! ずっとずっと……!」


「アディ……」


「あの時は勝手なことばかりして本当にごめんなさい。兄上をずっと独りぼっちにしてしまってごめんなさい。でも、あの時はこうするしか方法が無かったの。本当は私……私……兄上の傍にずっといてあげたかった……!」


 ハーデースはぽろぽろ涙を流すアデルの頭を優しく撫でる。実体がない為、振りしか出来ないのだが、アデルには兄の掌の温もりが直に伝わっているようだ。


「アディ……君の気持ちにずっと気付いてあげられなくて済まなかった……。辛かったであろう。四百年も知らなかっただなんて、私はどれだけ鈍いのだろうな」


「兄上……」


「私は、自分の慢心の為にこれまで色んな者達を傷付けてきてしまった。アディ、こんな罪深い私でも良いのか?」


「ずっと見ていましたから全て知っています。甥のエレボスのことも。兄上は兄上です。私の大切な兄上です」


 アデルの瞳に映るハーデースの瞳には、光が戻って来ていた。


「アディ……これからはずっと傍にいてくれるかい?」


「こんな形でなら……問題ないかしら?」


「君は私の妹ではあるが、今の君に肉体はない。今の私はセヴィニー家とは無関係なハーデース・ラスマンだ。現在セヴィニー家は存在しないし、アルバート・セヴィニーでなければ何の問題もなかろう。あと私は純血種の龍族だ。まだたったの四百十七年しか生きていない。混合種の肉体に転生したリア達とは異なり、あと五百年以上は軽く生きられよう。時間は幾らでもあるし、私達を邪魔立てする者は誰も居ない」


「兄上……!」


 アデルは再びハーデースに抱き付いた。実体はないが、温もりと共にアデルの想いが焼け付くように伝わってくる。


 アデルの長年の思いを受け入れたアルバート。四百年の時を越えて結ばれた想いが、ここにもう一つあった。




 ――ここのところ、久し振りに平和な日々が続いているな――


 ――そうだね。こんな日々がもっと続くと良いよね――


 ――僕達これからもずっと一緒にいられると良いな――


 ――そうだね――




 それは、気の遠くなるような時を待ち続けた彼等の願いが、極僅かではあるが漸く叶った瞬間だった。

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