第四十ニ章 記憶

「踏み込むぞ。準備は良いな?」


 テオドールの合図でサミュエル達は兵達を連れて屋敷内に入り込んだ。門を通ると待ってましたとばかりに門兵を始め黒装束の兵達が剣や槍といった武器を持ち出迎えた。


「我々の目的は殲滅ではなく、囚われているアシュリン嬢を救助すること。そしてハーデース・ラスマン自身がこれまでの事件に関与があるかを明確化することだ。殺傷は最小限にせよ」


 屋敷内外問わず、黒装束と青装束、緋色、緑色、褐色の装束が入り乱れての乱闘が始まる。

 屋敷外では攻撃魔術同士の戦いとなり様々な光が飛び交っては派手な衝撃音を立てていた。

 屋敷内では自然と武術メインの戦いとなり、始終金属音が鳴り響く。


 そんな中、サミュエルは何かを察知したのか、身体の周りに術で白い結界を張り、動きを止めた。

 彼の頭の中に、誰かの声が響いてきたのだ。それを聴き取ろうと全神経を集中させている。


“ハヤク……”

 ――……?


“ムカエニイッテアゲテ……”

 ――君は誰だ?


“カノジョ、マッテイルワ……アナタガクルノヲ……”

 ――……アシュリンのことか……そう言う君は何者だ?……


“ソノウチニワカルワ……アノヘヤニカノジョハイル”

 ――“あの部屋”? 一体何処だ?


“ワタシノコエヲズットキイテイテチョウダイ……アナタナラキットサガシダセルワ……”


 動きが緩慢になった弟にテオドールはいち早く気付いた。彼は襲ってきた剣を自身の剣で薙ぎ払いつつ、弟に声を掛ける。


「サム、どうした?」


 兄の声にふと我に帰るサミュエル。


「誰かに呼ばれている気がするんです。兄上。『アシュリンを早く助け出せ』……と、声が頭の中に直に響いてくるのです」


「お前だけにか。その者は一体誰だ?」


「……分かりません。ですが、何処かで聞いたことがある声です。私が忘れているだけなのかもしれません」


「ひょっとするとそれは打開策の一つかもしれぬな。但し、罠の可能性も否定出来ぬ。慎重に致せ」


 ウィリアムがそこでサミュエルの肩をぽんぽんと叩く。どこか力強さを感じ、若干緊張が解ける。


「サム、私達が警護する。お前はその“声”に従って早くアシュリン殿の元へ急ぐんだ! 勿論、警戒を怠らずにな」


「分かった。有り難う」


 入るのも歩くのも初めての建物の筈なのに、サミュエルの足が自然と動いている。ある方向に向かっているのが傍から見ても明らかだ。まるで誰かに操られているかのようにゆっくりとした動きである。花に誘われて飛んでゆく蝶の様だ。

 テオドールを始めウィリアム達はサミュエルの周囲を守りつつ、サミュエルが歩く方向へ進んで行った。




 右に左に上に下に。

 まるで迷路の様な屋敷内をサミュエルは歩いて行った。追ってくる兵達を気絶させつつ、奥へと進んでゆく。


 ある部屋迄辿り着くと、サミュエルの足が止まった。見た目何の変哲のない普通の部屋だ。扉は木製で、金属製のノブがついている。


 サミュエルは恐る恐るノブに手を掛けた。

 しかし鍵が掛かっているのか、ノブは動こうとしなかった。サミュエルは術をいくつか掛けてみて解錠を試みたが、いずれも不発に終わった。


「……本当にこの部屋なのか?」


 ウィリアムはどこか懐疑的だ。


「……此処だと“声”は私に告げている。扉を開けるのにきっと何かが必要なのだろう。少なくとも先程掛けてみた私の術では無い様だ」


 サミュエルは再び扉に手をあて、目を閉じた。頭の中に響いてくる“声”に全神経を集中させる。


“ワタシノコエヲキイテ、ココマデキテクレテアリガトウ。アナタハワタシヲシンジテクレタノネ……”

 ――この扉はどうすれば開く? 君は知っているのかい?


“ココロノナカデナマエヲヨンデ。カノジョノナマエ。ツヨクネンジルノ。ソウスレバヒラクワ”




 カチャリ……

 ギギィッ……


 突然戸が開く音がした。アシュリンは開いた戸の方に顔を向けると、その視線の先にサミュエルが立っていた。これ以上は開かないだろうと言わんばかりに瑠璃色の目は大きく見開かれた。


 アシュリンは彼の名を呼びたかったが、あっという間にきつく抱き締められ、口を開くことが出来なかった。ずっと待ち望んでいた腕に。


 背後で部屋の扉が勝手に閉まる音がした。しかし、この二人の耳にその音は聞こえていなかった。


 サミュエルは言葉を発さない。ただ無言でアシュリンを抱き締めている。その腕の強さがサミュエルの想いを物語っていた。肩が僅かだが震えている。彼の拍動と体温がアシュリンに伝わると、緊張の糸が切れたのか瑠璃色の瞳から涙がポロポロ零れてきた。サミュエルの傷だらけの背にゆっくりと腕を回す。腕の力が少し緩んだ時に漸く口を開くことが出来た。


「サム……良かった……無事だったのね」


「アーリー……怪我はないか? 少し痩せた気がするが」


「私は大丈夫よ。月白珠もきちんとあるわ。……傷は大丈夫なの?」


「傷は大したことない。それより私が不甲斐ないばかりに、君を危険な目に合わせてばかりで……すまない」


「そんなことないわ。昔お伽噺で読んだことが自分の身に起きてるのかと思ったら、怖いと言うより寧ろドキドキしてしまった位なの。あとこちらにきたお陰で色々なことが分かってスッキリしたわ。……ただ、貴方のことが凄く心配だった」


「君が無事で本当に良かった。君にもし何かあったら……私はきっと……生きていけない……」


 吸い込まれそうな琥珀色の瞳が輝いたと思ったら、雫がキラキラと輝いて零れ落ちてきた。

 瑠璃色の瞳が尚一層大きく見開かれる。


 ……サミュエルが……泣いている……


 涙が一粒、長い睫毛から溢れて白皙の頬を流れ落ち、アシュリンの首飾りの月白珠に落ちた。


 その途端


 月白珠から放たれた眩い光が部屋中を包み込んだ。それから足元の魔法陣から発せられた青白い、優しい色が二人を包み込む。

 身体の奥の何かが膨れ上がり、溢れんばかりの光が弾けた。温かい、ふわふわとした空気が止めどなく湧き上がってくる。


 すると、走馬灯のように様々な景色が二人の頭の中を駆け巡った。






 ――申し訳御座いません! 私としたことが、考え事につい夢中になってしまって、前を見ておりませんでした。失礼をどうぞお許し下さい――


 ――……わたくしは大丈夫です。どうぞお気になさらないで下さいまし――



 ――貴女は平気なのですか? 私は人間に恐れられているのですよ――


 ――リアム様は龍なのでしょう? わたくしはそのことを何とも思いませんわ。寧ろ龍としての姿を見てみたいのです。宜しければ是非わたくしに見せて下さいませ――



 ――……急な無礼を許して欲しい。私は貴女を手放したくない。私の傍にいて欲しいのは貴女だけだ。貴女の気持ちを聞きたい。今此処で――


 ――わたくしは……貴方にわたくしだけの龍でいて欲しいです、リアム様……――



 ――……クレア……何故……? ――


 ――……リアム……ごめんなさい。わたくしのせいで貴方にご迷惑を……――




 ――サム……貴方人間の言葉が分かるの?――


 ――分かるよ。分かるし、話せる――



 ――……気が付いたか? 危ないから、動かないで――


 ――……貴方は誰? 此処はどこ? 私は……生きているの……? ――


 ――君は生きている。今私と共に空を飛んでいる――







 ……これは……!


 光が落ち着いた時、二人は全てのことを思い出し、共有した。その途端、二人は互いを固く抱擁する。


「……クレア……やっと会えた……」


「……リアム……ずっとお待ちしておりましたわ……」


「ああ……私はずっと忘れられなかった。貴女にいつか又会えると信じていた……」


「姿形が変わっても、貴方は貴方ね。魂が同じですもの」


 二人共喜びのあまり声が震えている。喜びが後から後から心の底から溢れ、心と体を満たした後、外に溢れ出てしまっている。互いに何度も身体を擦り、自分の意思が身体を直に動かせることを確認した。


 肉体はサミュエルとアシュリンのままだが、その言葉はリアムとクレア本人だった。発動した月白珠の力によって二人の前世での記憶が全て蘇り、補完された。離れ離れだった二つの魂が四百年の時を経て、再び巡り会えたのだ。


 一度は失われた温もりが蘇り、互いの熱を伝え合うことが出来るようになった喜びに打ち震え、安堵感に包まれている。


 しかし、前世と現世の意識はまだ完全に融合仕切れておらず、現在前世の意識が前面に出過ぎている状態の様だ。もう少しで二人の唇がくっつくかという寸前で、現世の意識が一気に前面に出て来て、二人ははっと我に返った。お互い距離の近さに驚く。


「……すまない……私としたことが……君に無礼なことを……」


「ごめんなさい! 身体が勝手に……」


 二人共反射的に身体を離した。興奮のあまり声が震え、顔が薔薇のように真っ赤になっている。身体が燃えるように熱い。


 ――私……ひょっとしてサミュエルとく……口付けしようとしていた……!? 確かに前世ではお互い恋人同士だったのだから普通なのだろうけど……心の準備が……!!!


 ――前世の私は相当情熱家だったようだ。何て大胆なんだ。いくらなんでも現世では……アシュリンを驚かせてしまったに違いない。


 サミュエルは少しふらついた。アシュリンは慌てて駆け寄り支え、寝台に腰をゆっくりと下ろさせた。寝台の布団が静かに沈んだ。拍動が全身に響き渡るのを必死に堪える。


「サム!? 大丈夫?」


「有り難う……何故か目眩がしたんだ。まだどこかで目が回っているような、そんな気がしてならない。君は大丈夫か?」


「私は平気よ。エウロスに来たばかりの頃は私もそんな感じだったわ。あの時は衰弱していて殆んど寝ていたから、てっきりただの体調不良の所為だと思っていたけど、どうやら違った様ね。きっと昔の記憶に身体が馴染もうとする為に起きていたことだったみたい」


 前世の記憶が何年かあり、四百年空間があって現世の記憶と繋がる。吐き気はしないが身体の中で淀みを感じ目眩を起こすような起こさないような、奇妙な気分である。


 アシュリンは夢の中で何度か前世の記憶とシンクロしていたのもあって、順応が早そうだ。サミュエルは突然降って湧いてきた大昔の記憶と馴染むのに必死だ。


「……君は凄いな。今迄こんな気分を頻繁に味わっていたのか。私は慣れるのに時間がかかりそうだよ」


 サミュエルはアシュリンを頼もしく感じた。サミュエルの背中を擦りつつ、アシュリンは彼に問うた。


「ところでウィリアムさん達は? 一緒なの?」


「この部屋の外だ。私達を守ってくれている。早くこの部屋を出て君のことを知らせないと……」


「そうだったの。サムの目眩を早く止めなきゃ。何とかならないかしら」


 その途端アシュリンは何かを思い付いたかのような顔をし、月白珠を取り出した。サミュエルの右手をとり、それにあてたのだ。


「? ……アーリー? 一体何を……?」


 アシュリンは目を閉じたままだ。彼女が何をしているのか良く分からないサミュエルは首を傾げたままである。

 暫くすると、サミュエルは身体の中の“淀み”の様なものが引いてくるのを感じた。潮が引く様な感じだ。

 アシュリンは静かに目を開け、呆気にとられている琥珀色の瞳を優しく見つめる。


「気分はどう?」


「あ……ああ、大分楽になった。どうも有り難う。君は今私に何をしたんだい?」


「月白珠にお願いしたの。『サムの目眩を何とか鎮めてくれる様に』とね。そう祈っただけよ。効いたみたいね。良かった」


 アシュリンはにっこりと微笑んだ。



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