第三十九章 エレボス

 ウィリアムに左肩を軽く叩かれ、サミュエルは友の方に顔を向けた。


「サム。体調は大丈夫か?」


「……? ああ、大丈夫だが。ウィル。どうした?」


「これからエレボスとの対決だから、万全の体制で向かわないとな」


「……ああ。みんなのお陰で私は体力も“気”も殆んど使わずに此処まで来れた。感謝しているよ」


 近付いてくる足音の方角に顔を向けると、黒のリブレアとジャボタイが目に入った。


「皆様、お疲れ様でした。エレボス様から許可がおりましたので、今から指示を受けた場所へご案内致します」


 ヨゼフのゆっくりとした硬質な声がサミュエル達をいざなった。






「……?」


 外の物音に気が付き、アシュリンが窓を覗くと、何か見える。防音効果が施してあるのか、然程喧しく感じない程度であるが、何か聞こえる。どうやら誰かが戦っているようだ。あの青色の衣装は見覚えがある。久し振りに見るガウリア家の兵士だ。


「ひょっとして……サム達が来てくれた!?」


 アシュリンは心臓が飛び上がりそうになるのを必死で抑え込んだ。


 対する黒い衣装の者達はきっと此処、ラスマン家所属の兵士達だろう。その他緑、褐色、緋色の衣装の者達の姿も見える。四大龍族の家の者達だと直ぐに分かった。


 ――ああ、やっとこの日が来たのね。まだ一週間程度位しか経っていないのに、何なのだろう、この身体の奥底から込み上げてくる感覚は。震えが止まらない。駄目駄目! 落ち着かなくては。


 アシュリンは待ち侘びた救助の到来に興奮のあまり、後ろの戸が静かに開いたことに気が付かなかった。背後に人の気配を感じてハッと身を固める。


「……失礼」


「……え……? 貴方は……うぐ!! 」


 何者かによって突然羽交い締めにされた挙げ句、布で口と鼻を押さえつけられたアシュリンは身動きがとれない。手から本が滑り落ち、床の上でトサリと音を立てた。


「う〜っ……! ん〜ん〜っ!!」


 鼻から強引に入り込んできた甘い香りが、アシュリンの意識を無視し、乱暴にもぎ取ってゆく。彼女が幾ら抵抗しても徒労に過ぎなかった。


 ――何……この匂い……ひょっとして睡眠薬?


 香りを身体全体に行き渡らせようと自ら動き出してしまい、頭の中に僅かに残る理性が根こそぎ奪われてゆく。抗え無い香りに支配され、脳が危険信号を発していても身体が言うことをきかない。

 ふわふわと身体が軽くなり、真っ白い雲のようなものに意識がゆっくりと飲み込まれてゆく……


 ――……サム……!!


 アシュリンはじたばたと藻掻いた。が、次第に動きが緩慢となり、後ろに立つ者の腕の中へと倒れ込んだ。甘い夢を見ているかのような、穏やかな顔をして……。


「……眠ったな。悪いが貴女には此方に来て頂く。暫くの間眠って頂こう」


 彼女の胸元に隠された月白珠は、何故か無反応のままだった。床に落ちた本だけがこの出来事を見ていた。






「……アーリー……!?」


 何故か熱い火箸を背中に当てられたような痛みが身体中に走ったサミュエルは、反射的に後ろを振り返った。しいんと静まり返った廊下でサミュエルの声だけが静かに木霊する。薄気味悪い沈黙が戻ったところでザッカリーがサミュエルに声を掛けた。


「サム、どうした!?」


「彼女が私を呼ぶ声が聞こえた気が……嫌な予感がする。先を急ごう」


 サミュエル達はヨゼフの後に続いて階段を登っていく。ただ階段を登っているだけなのに、過ぎてゆく時間をとても長く感じた。早くアシュリンを助け出しに行きたいが、エレボスを倒さねばその願いも叶わない。焦燥か底知れぬ不安か得体の知れない不吉な何かが彼の心を押さえつけてくる。息が詰まりそうだ。


 ――アーリー……。


 ヨゼフには案内された場所は屋敷の最上階である屋上だった。上からの眺めは黄色い屋根の建物が建ち並び、青空と緑の木々のコントラストが素晴らしいものだ。もし此処が戦いの場でなかったら、いつまでも眺めていたくなる。


 景色を鑑賞する為なのか、屋上には物は特に置かれて居らず、腰掛ける為石で出来たベンチの様なものがあちこち点在する位だった。お陰で広大な敷地に見える。


 其処で一人の青年が佇んでいた。

 黒装束を長身に纏い、輝く銀色の髪、切れ長の目で瞳は灰白色。ブラックホールのように吸い込まれそうな美貌の青年だ。


「……来たな。遅いぞ。もっと早く来ると思っていたのだがな。待ちくたびれたぞサミュエル・ガルシア。前回は手加減したが、今回は手加減なしだ。父からの命により、今度こそ貴殿の息の根を止めてやる」


 サミュエルは拳にぐっと力を込めた。


「そうはいかない。私はお前を倒し、私を待つ者を迎えにゆく」


「ふん。そう簡単にはゆかぬぞ」


 エレボスは龍体に変化した。対するサミュエルも龍体に変化する。


 エレボスと同じ位の体格で水晶の様に光り輝く角と琥珀色の瞳、月白色の鱗を持つ美しい龍が瞬時に現れた。


 黒檀色と月白色

 二体の龍が佇む様は壮観だ。


 二体は一気に急上昇し、空中で間合いを取り始めた。


 シャアアアアアアアアアアアア!!!!


 エレボスは口から黒い稲妻を吐き出した。

 サミュエルは真っ白な光を吐き出し、防御壁を張る。


 ビカビカと黒光りする落雷が周囲に飛散し、幾つかは屋敷の屋上にも到達する。樹木に到達したものは瞬時に全てを焼き尽くした。骨まで劈く様な轟音が鳴り響き、石で出来たベンチが砕け散る。二人の対決を見守っているその他の面々は術で防御壁を張ったり結界を張ったりし、己の身を守っている。


 黒と白。

 二体の龍が互いに体当たり攻撃を始めた。

 鋼の様な鱗がその度に接触し、刀が重なり合うような激しい音が鳴り響く。

 片方が屋上に叩き落されては相手の喉元に食らいつき、もう片方を引きずり降ろして叩きのめす。

 その度に石畳が弾け飛び、岩の様なものが空中に飛散する。


「幾ら空中戦だからと言って、サミュエル達ある程度手加減しないとこの屋敷崩壊しかねませんよ」


 エドワードがヒヤヒヤしながら口走る。自分の傍にある壁に深々と記された大きなひびが彼の体感温度を一気に下げている。


「……その点はご心配なく。私が先程からきちんと見ております」


「ヨゼフさん?」


「この屋敷を守るのは私の使命の一つでもありますから」




 漸く屋上に降りてきた二体は人間の姿に戻った。全力で体当たり攻撃を延々としていた二人は共に肩で息をしている。


「……はあ、はあ、はあ、はあ……」


 今の内にとヨゼフは右手で円を描くような仕草をした。あっという間に屋上の惨状が修繕されてゆく様を目の当たりにし、エドワード達は目が点になった。先程迄の破壊振りが嘘のように元に戻っている。


「……成程」


「そういうことです」


 ヨゼフは淡々と答えた。


 二人共暫く息が荒かった。共に少し落ち着いてきたあたりでサミュエルはエレボスに話しかける。


「エレボス。質問に答えて貰いたいことがある」


「一体何だ。手短にせよ」


「ここ数年オグマ国やエリウでも人間が絡む謎の事件が多発しているが、兵を含め、此処の屋敷の者が関係していると聞いている。それは本当か?」


「貴殿がそんなことを知ってどうする? ああ、貴殿の“宝珠”が絡んでいるからか」


「勿論それもそうだが、何故謎の事件がこうも絶えず起こり続けるのかを知りたいからだ。見たところ、此処の屋敷の者達は人間と龍族半々だと言うだけで、それ以外は一見他の屋敷の者と変わらない、至って普通の者達に見える。だから調べで聞いている話しだけを鵜呑みに出来ない」


「知りたければ教えてやる。但し私が知っている範囲内のみだ。すっきり出来なくて戦いに集中出来ないと駄々をこねられても仕方がないからな」


 エレボスによると、オグマ国での事件は全て傍系ラスマン家に従属する龍族と人間達が関わっているとのことだった。この屋敷に居る者達は殆んどが四百年前の戦争で住む場所、仕事や家族を失った者達の末裔である。その中にはディーワン家含めた王族に恨みがある者達も含まれている。彼等はハーデース・ラスマンの尽力により九死に一生を得た者達ばかり。生きる場と糧を与えてくれた恩人にあたるハーデースに忠実な下僕になっても無理もない。

 ただ、何故ハーデースはエウロス、オグマ、エリウで事件を起こすのか? そこまではエレボスも知らないということだった。


 ――四百年前の戦争の傷跡が癒やされることなく現在にも残り続けているということか……


 サミュエルは言葉が見付からなかった。名前の付けようもない様々な感情が居場所を見付けられず迷子になっている。


 吹き込んで来た風が骨に染み入る程やけに冷たく感じた。


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