第十二章 黒龍

 アシュリンは目の前に広がる壮大な景色に興奮し、はしゃいでいた。街の住人達が砂粒レベルに見える。


「凄い! 上から見るとエウロスはこんな景色なのね。青い屋根に白の壁の建物、木々の緑! 空の青と海の青の境界線が光輝いているわ! 本当に宝石みたいね。何て綺麗なの! 」


 瑠璃色の瞳がきらきら輝いている。隣でサミュエルが満足気に頷きつつ答えた。


「エウロスは空から見る景観がとても素晴らしい。特に今いる地点からの眺望が一番だと私は思っている。日の出と日の入り時はまた一味違う」


 アシュリン達は今セレネーの上空にいる。アシュリンがサミュエルの肩に手を回し、サミュエルがアシュリンの腰に腕を回して支えた姿勢だ。今日は雲一つない晴天。サミュエルが言うには、セレネーを中心にエウロスの街が一望出来るスポットに今居るらしい。昼食後、サミュエルの案内によりセレネー付近のエウロス内にある店周りをしたあと、空中散歩をすることになったのだ。


「サム、貴方龍体じゃなくても飛べるのね。飛ぶのはてっきり龍体の時だけだと思っていた」


「ああ。人型だろうが龍体だろうが、どちらでも飛べる。種族によっては龍体じゃないと飛べない者もいるが、我が一族はどちらでも飛べる。ただスピードは確実に龍体の方が速い。後は攻撃力と回避力も龍体の方が上だ。龍の肉体に比べると、人間の肉体は遥かに脆い」


 その時、ふと何かを察知したサミュエルはアシュリンを支える腕に力を込め、一気に急降下した。辛うじて黒い影から難を逃れる。アシュリンは反射的にサミュエルにすがりついた。サミュエルの右手にはいつの間に抜いたのか、剣が握られている。


「……サム? ……あれは……!? 」


 アシュリンは息をのんだ。サミュエルは前方を睨みつつ、アシュリンに指示を出す。


「……動くと危ない、アーリー。私にしっかりつかまっていなさい。私から絶対に手を離したら駄目だ。良いね」


「黒色の……龍……!? 」


 息をのむアシュリン達の目の前に大きな一頭の黒い龍が現れた。その背後にも二頭の黒い龍達が控えている。自分一人なら兎も角、人間のアシュリンが腕の中にいる以上サミュエルは龍体に変化へんげしにくい。龍体のサミュエルがアシュリンを振り落としてしまう危険性が高いからだ。その上いくら月白珠を持っているとは言え、まだその“力”の詳細が不明である以上、月白珠はアシュリンの守りとしてはあまりあてに出来ない。サミュエルはアシュリンを連れたまま何とかこの場を上手く逃げ切る方法を考えていた。


 先頭に立つ一頭の黒龍が真っ黒な雷を落としつつ、真正面から突進してきた。サミュエルは黒龍の攻撃を素早くかわしつつ呪文を唱えると、真っ白い盾のような結界がサミュエルの周囲に現れた。結界は降り注ぐ雷を弾き飛ばし、サミュエル達を守っている。サミュエルは剣で反撃するが、全て防御されてしまう。


 結界で周囲から狙って来る攻撃を防ぎつつ、サミュエルは主に光の魔術で応戦していた。黒い雷と白い光が飛び回りながら激突を繰り返している。黒龍は中々手強い相手だ。





 サミュエルが攻防戦を開始してどれ位の時間が経ったのか分からないが、いつの間にか他の二頭の黒龍がサミュエル達の背後に回ってきていた。完全に囲まれている。何も出来ずただサミュエルに縋りついているだけのアシュリンは必死になって考えた。


 ――このままでは危ない。魔術も何もない私はただのお荷物じゃないの! 一体どうしたら良いのかしら? 何とかしてサミュエルを守りたい! 月白珠。私の願いを聞いて欲しい。サミュエルを助けて!!


 ……とその時、アシュリンの胸元から眩い光が迸り、アシュリンとサミュエルを守るかのように包み込んだ。あまりの眩しさに他の黒龍達も目潰しを食らったかのように身動きが出来ずじまいである。


 そこへ緑色の龍と褐色の龍が割り込んできた。彼等がそれぞれ二頭の黒龍達と対峙し、空中戦が再開される。雲一つない青空を背景に繰り広げられる四頭もの龍達の戦いは、傍から見れば荘厳の舞を見ているかのように華麗だ。





 緑色の龍は自身の周囲に風を巻き起こして一頭の黒龍を跳ね飛ばし、褐色の龍は体当たりで別の一頭の黒龍を地面に叩き落とした。


 すると、サミュエルと対峙していたリーダーらしき黒龍が動きを止めた。


「……中々面白い。誉れ高き我が一族が月龍族と風龍族と土龍族と、三種族と同時に戦える日が来るとは思わなかった。火龍族が居ないのは残念だったが、変わった人間も見られたことだし、今日は手慣らしにしておく。近い内にまた会おう。次はないと思え。お前達、何をぐずぐずしている。帰るぞ」


 捨て台詞を吐くとあっという間に三頭の黒龍は引き上げ、蒼天の彼方へと飛び去っていった。サミュエル達を包んでいた光がすっと消え、アシュリンとサミュエルはお互いの顔が見えるようになった。サミュエルは驚きのあまり言葉一つ出ないようだ。アシュリン自身もきっと同じ表情をしているに違いない。


 ――ひょっとして月白珠が“サミュエルを守って欲しい”という私の願いを聞いてくれたのかしら……?


 サミュエルとアシュリンが地上に降りると、緑色の龍と褐色の龍も地上に降りた。すると、二頭の龍は二人の青年の姿となった。線が細く淡褐色の瞳を持つ無表情の青年、ザッカリーと、燃えるように鮮やかに輝く赤金色あかがねいろの巻き毛で翡翠ひすい色の瞳を持つ青年、エドワードだ。


 人型になった二人はサミュエルの所に駆け寄って来た。


「サム! 大事ないか!? 君からの手紙を見て、一度話しをしに君の所へ行こうと思っていた」


「サム〜! 偶然とは言え間に合って良かったです〜! 君に何かあったら僕はどうしようかと思いましたよ〜! 」


 エドワードに至ってはやや半泣き状態でサミュエルに抱きつく始末である。


「ザック、エド、二人ともありがとう。助かったよ。私は大丈夫だ。……エド、泣くな。大丈夫だから。君が涙脆いのは変わらずだな……」


「エド、気持ちは分からなくはないが、誤解を招くような言動はよし給えよ」


 呆れ顔のザッカリーは苦笑するサミュエルからエドワードを引き離した。エドワードはふと我に返り、照れ隠しに自分の後頭部をかき始める。


「丁度二人でエウロスに向かおうと思っていた矢先だった。奴等は純血の龍族、ラスマン家のものだ。しかもリーダー格はエレボス・ラスマンのようだ。君達を狙っていたようだが、サム、何か心当たりはあるか? 」


 サミュエルは柳眉りゅうびひそめる。


「純血の龍族……いや、心当たりも何も、今回が初見だ。ラスマン家の者に今まで会ったことはない。今のところ特にこれと言う噂も聞いていない。昨今の話しを聞いてはいたが、まさか何の知らせもなく真っ向から攻撃してくるとは思わなんだ」


 ザッカリーは首をかしげる。


「最近妙な事件が続いているな。私もまさかエウロスのセレネー付近で起こるとは思わなかった」


「ノトス、ボレアースでも充分起こりうる事件です。国に帰ったらまた新たな対策を練らないといけませんね」


 ザッカリーがチラリと、サミュエルのやや後ろに立っているアシュリンに目をやった。


「それにしてもサム、婦人連れとは珍しい。場が悪かったな」


「彼女はオグマ国のアシュリン・オルティス殿。ご覧の通り龍族ではなく人間だ。私の昔馴染みなのだが、訳あって今うちに当主公認で滞在してもらっている。街を案内していたのだ。偶然とは言え、用心がもっと必要だと分かった」


 ザッカリーとエドワードはアシュリンに自己紹介する。ザッカリーは真顔のまま、エドワードは笑顔を振りまいている。


「私はボレアースの土龍族、ザッカリー・デルヴィーニュだ。サムとは学院以来の旧友だ。以後お見知りおきを」


「可愛らしいお嬢さんですね。僕はノトスの風龍族、エドワード・ピュシーです。ごめんなさい。先程はお見苦しいところをお見せしました。僕もザッカリーと同様学院以来のサムの旧友です。アシュリンさんにお怪我がなくて、何よりです」


 アシュリンはテーカシーをした。


「私はオグマ国ケレースのアシュリン・オルティスです。今日は危ないところを助けて頂き、どうもありがとうございました」


 サミュエルはアシュリンの肩を軽く叩いた。アシュリンが振り返ると、サミュエルが申し訳なさそうな目をしている。


「怪我はないか? すまない。君を危険に晒すつもりは毛頭なかった。まさか彼らが直接私達を狙って来るとは予想外だった。私としたことが……油断した」


「サム、気にしないで。景色を見たいと言ったのは私よ。私が軽率だっただけ」


「君に一度見せたかったのだ。上空からの景色は中々見る機会がないだろうから」


「ええ、とっても綺麗だった。ご飯も美味しかったし、今日はとても楽しかったわ。どうもありがとう、サム」


 アシュリンはにっこりと優しく微笑む。サミュエルは少し表情を緩めた。


「今日のことは父と兄に報告し、対策を考えるつもりだ。私の兵士にも知らせねばなるまい。私が月龍族の者と知って手を出す者が出て来ているのか、それとも君を狙ってきたのか、調べる必要がある」


 そこへザッカリーが提案する。


「私とエドはルーカス殿とテオドール殿に急ぎお知らせしたいことがある。私の瞬間移動術で直ぐに君の屋敷に参ろうかと思うのだが、良ければ一緒に如何か? どうするか決めてくれ給え。私の“力”ならば四から五人位なら同時に移動可能だからこちらの心配は無用。杞憂に過ぎないかもしれないが道中襲われる危険性のことを考えると、そちらの方が望ましいと思われる」


 先程の戦いで体力と“気”を消耗していたサミュエルは快諾した。


「そうだな。気遣いに甘えて有り難くそうさせて頂こうか。ザック、恩にきる」


 アシュリン・サミュエル・エドワードはザッカリーにつかまると、一瞬で四人の姿が消えた。

  

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