第十章 薔薇の花
アシュリンがルーカスと別れ、自室として使っている部屋に戻っていると、廊下でサミュエルとばったり出会った。サミュエルは目を真ん丸にしている。
「君は……アーリー!? どうした? すっかり見違えたな」
――あれ? サミュエルが驚いている。そう言えば、彼には私の今の格好を見せたことなかったかな。でもあの瞳で見られると何かちょっと恥ずかしいな。
サミュエルの真っ直ぐな視線にアシュリンは頬を赤く染め、視線を下に降ろすと、ふと彼の右手に目が止まった。サミュエルは彼女の視線の先に気付き、慌てて右手を後ろに隠した。花束を持っているようだ。
「君の部屋に行こうと思って。……体調はもう大丈夫か? 」
サミュエルはどこかバツの悪い顔をしている。少し焦っているような、今まで見たことのない貴公子の表情につい少女は破顔した。
「うん。お陰様ですっかり良くなったわ。もう大丈夫。色々どうもありがとう」
サミュエルは無言でアシュリンの目の前に右手を出した。すると、少女の目の前に桃色の可憐な薔薇の花畑が現れる。
「……これ……私に? 」
貴公子は無言で頷くが、どこかぎこちない。
「……兄から『女性に会う時は花束を持参せよ』と聞いたものでな。私はこういうのは不慣れで、君の好みとか分からないが……」
「綺麗! 私薔薇の花好きなの。サムどうもありがとう!! ケレースでは高くて中々買えなかったから、夢みたい」
瑠璃色の瞳の少女は花束を受け取り、弾けるようににっこり微笑んだ。花は優しく甘い香りを漂わせている。
「ところで、先程まで父と話しをしていたのか? 」
「ええ、そうよ。色々興味深い話しを伺ったわ。龍族のこと、エウロスのことをもっと知って欲しいって」
「……父のことだから、書斎に連れて行っていろんな本を読まされたのでは? 」
「その通りよ。ルーカス様は本がお好きなのね。私も好きだから、ついつい話しが止まらなくなってしまったわ」
サミュエルは目を大きく見開いた。
「父と共通点のある者は久し振りだな。人間で父の話し相手になれる者としては君が初めてかもしれない」
「あら、光栄ね。ルーカス様のお陰で私はエウロスのこと、月龍族のことをもっと知りたくなったわ」
サミュエルはふっと口元に笑みを浮かべる。
「ならば今から街に出るか? 少し早いが昼前だから食事を兼ねて。幸い私は今日はもう特に仕事の予定はない。君さえ良ければ」
貴公子の突然の申し出にアシュリンは瞳を輝かせる。
「良いの? 嬉しい! 是非お願いします」
「分かった。ではこの花をハンナにお願いして生けてもらおうか」
アシュリンは一度自室に戻ることにした。
今まで外出もままならなかった分、楽しみたい。
エウロスの街を知りたい好奇心と思いがけないサミュエルからの申し出に、アシュリンの鼓動は高まる一方だった。
一方、ガウリア家当主であるルーカスは、ヘスティアーにあるランドルフ家に足を運んでいた。
「アル。変わりはないか? 」
ルーカスが声を掛けると、その者は蜂蜜色の髪を揺らして振り返った。夏の青空を思わせる澄んだ色の瞳は旧友の姿を認めると、目尻を下げて笑みを浮かべた。彼がランドルフ家の当主、アラスター・ランドルフである。
「おお、ルークか! 久し振りだが、元気そうで何より」
数ヶ月振りの再開に二人は握手を交わす。
「先日はウィルが世話になった。息子から聞いたが、サミュエル殿はもうお相手を見つけなされたとか」
ルーカスは両手を振り、やや否定気味に答える。
「いやいや。龍族ではなく人間だが、昔息子が世話になった縁者で、訳あって現在家で保護し預かっているだけだ。だが気立てが良く出来た娘さんだよ」
「そうか。しかしご縁はご縁だからな。うちのウィルにも見習わせたいものだ。あいつは一体誰に似たのか飄々としていて、いつになったら私を安心させてくれるのか分からぬ。いい加減落ち着いて欲しい」
呆れ返り嘆息をつくアラスターに、ルーカスはすかさずフォローする。
「とんでもない! ウィリアム殿には昔から随分と世話になっている。本当はウィリアム殿位の活発さは必要なのに、うちのサムは大人し過ぎる。見習ってもらいたいものだ」
「しかし、子供達の結婚を考えねばならない時期になったことを考えると、お互い年をとったな」
「確かに」
二人の親たちは共に笑う。
今日は秋晴れだ。少しずつ冬に向かっている為か、時おり吹く風がこころなしか冷たい気がする。
「そう言えば昨今の事件についてだが、その後ヘスティアーではなにか変わりは無いか? 」
「今のところ、話しは聞いていない。戦争が終結して四百年以上経つのに、未解決なことが多いな」
人間と龍族の争い問題。
ルーカスやアラスター達現当主達が先代から引き継いでからもずっと継続している、大きな未解決問題の一つだ。
どうしても感情がつきまとうから簡単には消えぬのだろう。長命種である龍族が短命種である人間を蔑視する、人間が強大な力を持つ龍族を畏怖する感情を共にゼロにするのは不可能だ。感情は理論では片付けられないし、根絶するには余りにも長い年月が根を下ろしてしまっている。
人間と龍族の婚姻への敷居が下がっただけでもマシになった方ではないかと、最低でもこの二人は思っている。戦前から生きている者が少数となり当時を知らぬ者ばかりになっていても、きっと無くならない問題だろう。次世代にもそのままこの十字架は引き継がれてゆく。
「時々起こる事件になるべく早く対処し、戦争レベルにならないよう抑え込む――それが戦後を生きる我等の努めだ」
「……確かに」
そう、戦後人間と龍族の婚姻が認められて以来、圧倒的に純血種の龍族の人数は激減した。それと共に龍族の平均寿命も短くなっている。当時を知る龍族もどんどん減っている為、戦争のことを風化させぬようにもせねばならない。
「戦後の時代を生きる我等が若者に事業を引き継いだ際、彼等が苦労せぬようせねばならないことは、まだまだ山積みだな」
「隠居にはまだなれまい」
「隠居したら何をするか、考えながら互いにに頑張ろうではないか。まだまだ我等には時間がある。」
二人は互いの肩を叩いた。
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