第八章 行動開始

 窓から吹き込む風が、季節が秋から冬へ移動していることを知らせてくる。


 ――私……こちらに来てからどれ位経つのかしら? お医者様からは昨日健康的にはもう大丈夫と言われたし、包帯も取れたし。そろそろ外に出たい。身体をもっと動かさないと。


 部屋でアシュリンが身を起こした時、戸が叩く音がした。返事をすると、侍女達を連れたハンナが箱を運んで入ってきた。


「起きていらっしゃいましたかアシュリンさん。大分回復なされたようで良うございます。着替えを幾つかお持ちしました。どうぞご試着なさいませ。着付けをお手伝い致しますわ。お履物も、履いていらっしゃったものを参考にサイズを選んでお持ちしておりますので、どうぞお試し下さいまし」


 ハンナに言われてアシュリンは初めて気付く。着の身着のままで出てきてしまい、何一つ持ち物さえなかったのだ。あまり裕福な家ではなかったとは言え、アシュリンの生まれ育った家。その家は今や跡形もなく、何一つ残ってもいない。


 思い出も、何もかも。


 両親の形見のものすら全て燃えてしまった。苦労ばかりで楽することなくこの世を去った両親と今の自分の待遇を比較すると、申し訳ない気持ちが鎌首をもたげてくる。


 表情暗くうつむきかけのアシュリンに、ハンナは蓋を開けて箱の中身を見せた。アシュリンの瞳に驚きの光が映る。


 箱の中に入っていたのは、肌触りの良い薄藍うすあいを基調とした生地を用い、リボンやフリルをあしらっているものの、華美になりすぎない上品なデザインの美しいドレスだった。ハンナに手伝って貰い着てみると、臥せっている間痩せてしまった分少し大きく感じるものの、そこまで問題ないサイズだった。不思議と寸法も申し分ない。パンプスも大きすぎず小さすぎず、問題なかった。これ位のヒールであれば多少駆けてもこけることはないだろう。


「大変良くお似合いです。少し大きいようですが、おやつれになっているせいですから、全快なさればきっと丁度良くなる筈。良かった! サイズも多少融通の聞くような仕立てになっているものです。お履物も丁度良さそうで、良かった! 」


 他の箱をいそいそと開けて、他の衣装を出そうとしているハンナの傍で、アシュリンは目を真ん丸にしている。


 つい最近まで一人ぼっちで齷齪あくせく暮らしていた時と、エウロスに来てからのこの真逆な環境の変化は一体何なのだろう?


「……何だか夢みたいです。自分が自分じゃない気がします。ハンナさん、これ本当に私が着て宜しいのでしょうか? 」


「当然ですとも! アシュリンさんの為にご用意させて頂いたものですわ。その内正装用のご衣装などの寸法も測らないといけませんから、それまでにはもっとお元気になっていただかなければ」


 ハンナは実の娘におめかしをさせる母親のように、どこかうきうきしている。


「私……何一つ持たないただの人間だから、なんだか申し訳ないです」


「とんでもございませんわ! 坊っちゃまの命を助けて下さったんですから、謙遜なさる必要はありませんよ。他にもお持ちしておりますから、是非ご試着下さいな。きっと気が紛れますわよ」


 アシュリンはずっと気になっていたことをハンナに尋ねることにした。


「ところでハンナさん、サミュエルのお父様、ガウリア家のご当主様は普段どちらにいらっしゃるのですか? 一度ご挨拶に伺おうと思っているのです」


「ルーカス様でしたら、普段は書斎にいらっしゃいますが、事前にお声掛けした方が宜しいかと。宜しければ私からお伝えしておきますわ」


「どうもありがとうございます」


「ルーカス様とご面会なさるのでしたら、お持ちしているこのご衣装が丁度良さそうですわ。折角ですから合わせてみましょう! こちらも、あれも! 」


 アシュリンは暫くハンナの着せ替え人形状態になった。

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