第2話 帰還3時間前、そして


「だあー疲れたあ」

「疲れた……」

「懐かしきお城、あたしの部屋……」


情けない声と共に、ミイナは床へと崩れ落ちた。踊り子服の飾りがしゃらりと、澄んだ音をたてて擦れる。


「ミイナ起きて、王様に謁見するまで時間無いからシャワーだけでも」

「無理やだ寝たいもう限界」


女子部屋とはいえ、ミイナの格好は大胆だ。膝から手、そして顔、毛足の長いカーペットへ埋もれるように伏せて、腰だけを高く突き上げたままぴくりとも動かない。


「その体勢だと逆に辛くない?」

「一周まわってヨガ的な気持ち良さがある」


肩甲骨が伸びるよお、と間延びした声を発するミイナはどこからどう見ても限界だった。


とても、厳しい凱旋だったのだ。

魔王が死んで魔物が消えたら、今度は人間たちの権力争いが始まっていたのだ。おかげで随分無駄な戦闘を重ねてしまった。


山賊、流民、果ては村人。あらゆる人間に襲われながらやっと王都へ戻って来れた。強いと分かっている勇者ご一行なんか狙われるのか? これが狙われるのだ。なぜなら私達は魔王の洞窟で、この世にふたつと無いお宝を手に入れてしまったので。


「王様なんかいいじゃん、時間になれば神様が帰してくれんでしょ? 眠りながらばっくれようよー」

「だめ。帰る時間ほんと迫ってるみたいでお城の人かなり焦ってる。“輝ける宝玉たち”、さっさと納めないと私達が盗んで帰ったと思われるし」

「あんなんただのビー玉3個じゃんかあ」

「それを決めるのは王様なんだよ」

「なにそれえ」


眠そうな声で悲鳴をあげるミイナの貴重品袋から、ひと粒の宝玉を取り出す。

やわらかな緑色をしたまん丸の石は、確かにどこからどう見てもビー玉ではあったけど、仰々しい宝箱に入っていた以上は成果として持ち帰らねばならなかった。


「私先にシャワー浴びるよ。右の部屋使うからミイナ浴びるとき左に行ってね」

「あたしも浴びたい……でもほんと疲れたの」

「動けるうちにやっちゃいな。魔王の返り血まだ残ってるんでしょ」

「そうだったあ」


ミイナの叫びは悲痛だ。髪の毛にまだ魔王の血がこびりついているのを思い出したのかもしれない。


ミイナの疲れは、無理もない。私たちのパーティで回復を担当していたのはミイナだけ。踊り子だから踊らないと回復が発動しないし、自分が疲れていても誰かが死にそうならミイナは全力で踊らなければならないのだ。


「おかげで元気に戻って来れたよ。ありがとうミイナ、先にさっぱり浴びてくるね」


しばらく動けそうにないミイナを置いて、手早くシャワーの支度を進める。戦利品の宝玉は、失くさないように細工箱に入れてパウダールームに置いておく。ここなら絶対忘れない。


数ヶ月ぶりに熱いお湯を浴びると、自分の表面に張り付いていた何かがごっそり剥げ落ちて、少し呼吸が軽くなる。ミイナほどではないけど、私もすごく疲れていた。


魔王を倒すまでは一応、目標を持って前向きに頑張っていた。だから少しくらい疲れていても頑張れた。

だけどこの、凱旋で重なった疲労は質が違う。宝をよこせ名声をよこせと、仮にも一国の王が認めたキャラバンにあらゆる輩が押し寄せた。平和なんかあったもんじゃない。


このぶんじゃ汚い感情が吹き溜まって、新しい魔王が生まれるのも遠い未来じゃなさそうだ。せっかく頑張って倒したのに次の心配をしなきゃならないなんて、なんだか報われた気がしない。

手早く体を清めてバスルームを出ると、ミイナが青白い顔でようやく体を起こし始めていた。


「シャワー浴びるぅ」

「頑張れ。服脱ぐの手伝う?」


繊細な装飾品で飾られた踊り子の服はミイナによく似合っているものの、いかんせん脱ぎ着が面倒だ。親切心から申し出れば、ミイナは気怠く首を振った。


「や、いい。このまま浴びる」

「このまま……このまま!? 服濡れるよ!」

「乾くの速いからだいじょぶ」

「本当に……?」

「これ伝説の踊り子服だからいける」


不安を隠さずミイナを見つめる。いくら伝説と呼ばれても、水の乾く速度は変わらないんじゃないだろうか。それにネックレスやピアスはどうする気だろうか。


諸々の不安をよそに、ミイナはヘッドドレスだけを床に投げ捨てて、よろよろとバスルームへ向かって行った。




✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎




「よかった、2人とも間に合ったね。ビー玉だけ先に回収するってさ。ほらあの人」


謁見の間へやって来た私とミイナを見て、勇者はほっと胸を撫で下ろす。そして部屋の隅に控える体格のよい男性を指差して、私が保管していた分の宝玉を提出するよう促した。


宝玉を収めた細工箱ごと指示された人へ渡しながら、勇者とタイシの様子を伺う。ふたりとも、時間のない中なんとか身なりを整えたらしい。王都にたどり着いた時の疲れ切った浮浪者みたいな雰囲気は綺麗さっぱり無くなっている。


でもやっぱり、完璧にするには時間が足りなかったようだ。勇者もタイシも髪が少し濡れている。これはドライヤーを諦めたと見た。


「ねえ、明らかに支度間に合ってない奴いるんだけど」


無精髭を剃って若返ったタイシが、心底引いた目で私の隣を見つめる。視線を感じたのか、言葉のとげに気づいているのか、ミイナは悪びれもせず胸を張る。


「もう時間なくて無理! と思ったから服ごとシャワーだけ浴びたんだよね、でも乾かなかったから部屋のバスローブ借りて来た!」

「借りて来た! じゃねえんだよな……」


ミイナが薄茶のバスローブを少しはだけさせると、下にはぐっしょり濡れた踊り子の服。水を吸って色を変えてしまった服の無残な姿に、タイシが深い深いため息をついた。

勇者はもう、考えることを諦めた様子で軽く話を続けていく。


「でもミイナ、ヘアメイクは完璧だね」

「あったりまえよ、顔と髪含めてステージ衣装だし」

「一番大事な要素ズブ濡れなんだけど」

「タイシは細かいとこ気にするよね。めんどくさい。勇者のこと見習って」


もっと褒めろ、と言わんばかりに頬を膨らませるミイナに、勇者は軽やかな笑顔を返す。

面倒だから褒める、じゃなくて本心から良いと思ったから褒めてるのが勇者のすごい所だ。

ミイナを魔王討伐隊に入れると聞いた時はどうなることかと思ったけど、勇者の懐が深いおかげで大きな亀裂もなくやって来れた。


いい4人だった。それは間違いようもなく。

ほどほどの衝突、照れ臭い仲直り。色々なことを経験した今この旅路を振り返ると、不思議なことに楽しい思い出ばかりが浮かんだ。


いい冒険だった。時計をちらりと眺めながら、心の中で総括をする。そろそろ王様が来る頃だから気持ちを切り替えておこう。そんな気持ちで小さく呼吸を整えた時、玉座がふわりと光を帯びた。同時に、低く鋭い声が響く。


「魔王討伐、大儀であった」


びりびりと頭を揺らす声は何度聞いても慣れなくて、いつも耳が痛くなる。

もう少し小さい声で喋ってくれないかな、と玉座の光を……王様を見やる。願いは当然、届かない。


「数々の武勲、既に聞き及んでいる。しかしながら勇者よ、世は其方の言葉で聞かねばならぬことがある」

「はい、何でしょうか」

「此度の魔王、如何なる姿であったか」


報告はもう上がっているはずなのに、王様はあえて勇者に問いかける。質問の答えを考えたのか、質問の意図を考えたのか、勇者は悩むそぶりを見せた。そして少し間を置いて、言葉を選んで話し出す。


「魔王は、大きな獣でした。タリャーリの丘ほどもあろう巨体に、丈夫なはしごを編めそうな太い体毛をびっしりと生やしていました」

「ほう。獣とは?」

「3つの首に12の足、体長と同じほどある尾は3本。体毛は白黒入り混じって、なんとも奇妙な色合いでした」


勇者の言葉で振り返る異形の化け物は、なんだか他人事のように響く。血みどろになって倒してきたのに、場所を変えて淡々と喋るだけでこうも現実味がない。


「魔王は3つの首からそれぞれ炎、吹雪、雷を吐きました。鋭い牙で噛みもしました。12の足には全て長い爪があり、近づくたびに何度も皮膚を削られます。3本の尾は力強く、時に竜巻を起こして我々を阻みました」


そう竜巻、あれはきつかった。

尻尾の打撃も危険だし、かといって逃げ回っていると3本が組み合ってとんでもない風を生む。それが吹雪だの雷だのと合わさるから手に負えない。よく生きて帰れたものだ。


「何とも面妖で恐ろしき獣よ。相対するだけで恐れがあったろう。己に打ち克つ心、破邪の技量、実に見事」


本当にそうです。私たちは頑張りました。

王様の言葉に心の中で相槌を打って、続く言葉を受け止める。


「為すべきを為し、果たすべきを果たす。それがこの世界に呼ばれしものの定め。定めを全うしたものには、相応しき褒美が要るであろう」


「褒美」の一言を受けて、タイシがあからさまにそわそわし始めた。落ち着け。まだ王様は何も言ってないぞ。


「だか褒美を渡す前に伝えておかねばならぬ。伝説の剣、伝説の踊り子服、伝説の手袋、伝説の靴……それぞれ渡したものは唯一無二の宝であるが、役割を終えれば消えゆく定め。消えゆくものは例外なく、元の世界に持ち帰ることは出来ぬ」

「じゃあ何が貰えるんですか?」


食い気味でタイシが問いかける。だから落ち着け。そんなに何を期待してるんだ。

王様はタイシのがっついた様子を気にする風でもなく、相変わらず大きな声を響かせる。


「魔王の根城より持ち帰りし宝玉が3つ。どれも、この世にふたつとない貴石である。その緑玉を踊り子に。黄玉を盗賊に。残りのひとつ、夕陽を煮詰め焦がしたような、最も美しい玉を勇者へと授ける。魔王討伐の褒章は以上である」

「え? リコッタのは?」


思わず、といった風に口を開いたミイナの問いに、王様は答える様子がない。


まさか私だけ何も貰えないのか。冗談だろ、あんなに命がけだったのに。ミイナとタイシの「何やらかしたの?」みたいな視線が刺さる。こんな時だけ意気投合して同じ顔するのやめて、何もしてないのにやらかした気持ちになってきた。


「王よ、リコッタはこの小さな体で獅子奮迅の働きを見せました。魔王を倒せたのも彼女がいたおかげです。褒章無しなど考えられません」


心当たりもないのに焦り始めた私に対して、勇者は冷静に反論してくれる。本当にいい奴だ。

勇者がここまで言ってくれたんだ、私が黙っているわけにはいかない。偉大な魔女に師事し苦労して身につけた魔法、この旅では欠かせないものだった。王様に私の働きを伝えなければ!


「あの、王様」

「刻限である」


勇気を絞った私の言葉に、大きな声が重なった。


「誓約通り魔王討伐より72時間後の今、この時をもち、其方らはあるべき世界へと帰還する」


ぐらりと体が傾ぐ。立っていられないほどの目眩、歪んだ視界に3人の姿がぼんやり映る。あんなにうるさかった王様の声が、遥か遠くで響いている。


「帰還せよ、帰還せよ、帰還せよ。世界は役割を受け止める。其方らの為した結末を、我らの機構は糧とする」


地面が割れる。真っ黒の空間に投げ出された私たちは、上下左右もわからない奇妙な浮遊感とともにどこかへと吸い込まれていく。


「魔法使いリコッタよ」


ぐわん、とひときわ大きな声が響いた。3人の姿は、もうどこにも見えない。


「其方の魔法は未だ役割を果たしておらぬ。為すべきを為し、果たすべきを果たすのだ」

「ま、ちょっ、王様!」


絞り出した声は、どこにも届く気配がない。世界がどんどん潰れていく。体が自分のものじゃないみたいだ。


魔王は倒した。この世界での仕事は終わり。ファンタジーとは程遠い世界に帰るっていうのに、一体何を成し遂げろっていうんだ。

じわじわと閉じゆく意識の中で、王様に言えなかった悪態ばかりが頭の中を駆け巡った。

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