嘘つきのはなし

ササミちゃんBot

第1話

 僕が覚えている限りでは、幼い頃の僕はとことん嘘つきだった気がする。どうでもいいようなことから、絶対してはいけないような嘘まで。そういうことはたくさんあったのだけれども、いざ一つ一つを思い返せと言われれば、それは糸くずの塊の中から、指定の一本の糸くずを引き抜いてくるような何とも言えない難しさなんだ。今ではそこまで嘘をつくことも必要性もなくなったけれど、それでも嘘をつくときはある。でも、それは相手の言葉に対して本当のことを言うととても面倒くさい時に、後になって差し支えない程度に嘘をつくくらいのことさ。それくらいなら、君にだってあるだろう?


 ところで君は、子供が嘘をつくときはどんな時だと思うかい。怒られる時。寂しい時。誰かにかまってほしい時。少し大きくなってからだと、自分の見栄のためにも嘘をつくときがあるかもしれないね。でも、僕はそれらは全て「自分の世界を守るため」だと思うんだ。子供には自分が目で見えている世界以外に、頭の中で考えたこととか、「こうであってほしい」と思った事とかが実際に世界にあるように感じたり、人形に人格を持たせたり、逆に見たくないものを見えなくしたり。そういうことは彼らが一番得意としていることだ。でも、その世界が偽のものであることなんてずっと初めから彼らは意識していて、心のどこかで「ごっこ遊び」をしていることが引っ掛かり続けている。現実に触れなければいけない場面ではその世界を押し殺したり、後で蘇らせるたりするわけだ。大人になるとそんなことしても何にもならない事が分かってきて、今度は「虚しさ」っていう嫌な空気が胸を占めるようになるから、自分で勝手に世界を作ったり、はたまたそれを守るための嘘なんて必要なくなる。


 さっき言ったろう。僕は今となっては嘘をつくこともその必要性もなくなったって。僕は少し前に自分の妄想の世界のかなりの部分を捨ててしまったんだ。もっとも、最初っからそんなものはない、ないものはないんだと言われてしまえばそれまでなんだけれど。でもね、君たちくらいの年齢になってさ。世界を心に宿すと生まれるあの「虚しさ」って言うのも、実は君が勝手に心の内で生み出したものなんじゃないかな。


 その上、君はびっくりしてるはずだ。何に驚くかって?だって、君が子供の頃には君の心のうちの世界は全て君の思い通りになれたはずだ。友達になってしゃべりだした人形は君が心で命じなければしゃべりだすことはないし、その気になれば黙らせることだってできるはずだ。思い出してみるといい、君はその人形と一度だって喧嘩したりしたことはないはずだろう。所詮、人形を捨てるときにそのことを思い出してサヨナラを心のどこかで唱えるか、全くそのことを忘れてるか何かだ。その罪悪感でさえ、それほど感じなかったはずだ。でも「虚しさ」ってやつは違う。君の思い通りになんてならない。君が命じても出ていきやしないし、君が命じても出てきやしないはずだ。


 それが奴らの怖いところなんだよ。君が一度奴らの恐怖を体験すると、一生消えない脅威として君の人生に巣食うようになる。君が心のうちに君の世界を宿すときも宿さないときも奴らはお構いなしに出てくるようになる。君の心の中で世界を作ったり見出したりしたときに奴らが出てくることが多い、っていうだけであって世界を作らなくなったら奴らが出てこなくなるってことではない。なにしろ奴らは君がデスクで仕事してるときにも、食堂でアジフライを口に運んでるときにも出てくるようになるからね。もっと大人になると、むしろそっちの方が出現頻度が多くなってくるかもしれない。


 でもね、これを読んでる人たちのほとんどが気付いてるはずだ。意識しなくても、君たちは学習していくんだ。奴らは「友達」という存在にとても弱い。奴ら「虚しさ」は君らからすると自分の思い通りにならない存在で、そういう点では不可知で未知だ。自分には分かりっこない、不気味な存在なんだ。それは「友達」つまり君とかかわる他者でも同じはずさ。他者って言うのは君の自己(君が思い通りになる意識の範疇と言ってもいいかもしれないね)をはるかに超越した存在なんだ。君の思い通りにならない、君が自分を中心にして作り上げた世界に閉じこもったときそこから外へと脱出させてくれる存在だ。


 すこし、難しい話をしてしまったね。


 今行ったことがあまり君にはわかんなくても、それでも、「友達」って言うのに振り回されてるうちは「虚しさ」って言うのから逃げられることだけはわかるだろう?今のはそのことをややこしくしていっただけさ。それだけ。


 それで終わり?いいや違うね。心や世界は僕らの都合のいいようには回らないものさ。一つ落とし穴があるのさ。


 あのね、世の中には悲しくもその「友達」ってのが出来ない人もいるし、できてもそれが「友達」としての役割を果たすに値していない人もいるのさ。そういう人のほうが多そうだね。それでも「虚しさ」は攻撃の手を止めない。僕らはだんだん自分の世界を心の中で作ることを忘れていくから、「虚しさ」とは単にいつ襲ってくるかわからない恐怖でしかない。僕たちは死ぬ時までこうやって戦い続けることになるし、時には負けてしまう時だってある。一時的な敗北なら立て直せることもしばしばあるけど、大敗したりずっと負け続けたりすると、二度と元には戻らないキズを負うこともある。心で起こることは不可逆だからね。鍵を開けたドアが閉めれば元に戻るのと違って、一度茹でた卵からはヒナがかえってこないのと同じさ。このキズが現実世界に反映したものは精神疾患と呼ばれるし、これが重症化してしまうと自ら命を終わらせる選択をしてしまう人もいる。最近ニュースで多いよね。そうならないためには「友達」が必要なんだってのはもう話したね。ああ、そうだった。それが出来ない人の話をしてたんだった。


 君はもう気づいてるかもしれないけど僕はそれが出来ない側の人間さ。でも、こうして何とか生きてる。どうやってるかって?


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 僕がそこまで言い終わると、彼女はつまらなさそうに頬杖を突きいたまま、こちらに目だけ向けて言った。


「私がこうして毎日お前の相手をしてっからだもんな」

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 ニーナと呼ばれる女の子はそう言うとまたつまらなさそうにうつむいてしまった。僕が子供の頃、自分の世界を守るために作り、僕が心の中の世界を失った後も他者性をひとりでに獲得して僕のそばに居座り続けてる、


僕の、架空の友達。

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