不在証明
ぱくぱくかつおちゃん
不在証明
『はい、そうです。僕の友人です。場所ですか、えっと……センター街のそば……みどりの電車とかある、あの辺だと思います。
うーん、それが、本当にわかんなくて。わかんないって、変ですよね。一緒にいたのに。でも気づいたら、はい。渋谷って人混みだから、ちょっと見失っただけかと思ったんですけどね、すぐおっきい声で名前呼んだんですけどまるで逃げたみたいに。
あ……そうですね、かけてみます。
……なんか、お繋ぎできませんって。なんでかな。
えっと、今日は二人で、ごはんたべに来たんです。はい、結構仲良くて。大学で知り合いました。そうですね、互いにバイトとかまあいろいろあるので、こうして休日使ってっていうのは、あんまり。
……うーん、どんな人、か……あ、見た目ですか?どっちも?とりあえず、写真出しますね。……これです。そう、かっこいいっすよね。
そうそうそう!その俳優、似てるって、言われてました。背は、僕と一緒かちょっと低いくらいです。
優しい奴なんです。ちょっと気が弱くて、ビビリで、あとね、いい匂いするんですよ。えっ、きもいですか……ほんとに、いい奴なんです。
えっ?いやぁそれはもう……友達が告白されるとこ何回も見てるってことあります?すごいですよ。えっ、僕………いないですよ………
でも、頼まれて付き合うとすぐ振られるんですよ。なんですかね。いい奴なのに。
あっ、そうですね。すみません。はい。僕は、
神田六介についての捜査は、連日続いた。報道されることなく水面下で進む捜査の中で、我々は大きな魚を逃したことに気づいた。薄気味悪いが、確かにそいつがここで、雄弁に"彼"について喋っていたのは確かだった。
姿をくらました神田六介は、青年の失踪に関連する重要参考人という名の、実質容疑者とも言える位置付けになった。日々神田六介の手かがりを追う我々のもとに、こんな手紙が届く。
『神田六介です。先日はどうもお邪魔致しました。追加で、彼の情報をお伝えしたいと思い、筆を取りました。
先日なぜか聞かれなかったので僕も伝えそびれてしまいました。彼の名前は、松田薫です。
はやく僕の薫くんを返してください。
警察の皆さんを、僕ら国民は信じています。
よろしくお願いします。』
どう見たって挑戦状のそれであった。
我々は身構えた。捜査の目をかいくぐり、挙げ句こんな手紙まで立派に用意する神田六介は、脅威であり、そして不謹慎ながら、我々の興味を惹いた。
我々はついに、そいつの棲み処を見つけ出した。突入隊が盾を構え、古風な木の扉を取り囲む。よく考えてみたら、初めっから神田六介はおかしかったのだ。軽い口調で友人の行方知れずを警察に持ち込んでくることなど、普通あるだろうか。捜索願まで出しにきて、そのわりに飄々としていたじゃないか。
我々はとにかく、松田薫という青年を助けなければならない。勇んでその扉を破った。我々は総勢15名ほどの突撃隊である。
勇んだ勢いと拍子抜けして、扉は奥まで続く細い一本廊。その突き当たりに、また扉があった。ぴちゃ、と音を立てた足元をはっと見ると、革靴のソールを浸す程はある水かさの液体で床が水浸しだった。マゼンタピンクの照明のしたで、白いバラが何輪も何輪も花開いて、我々を圧倒する。けもの道のひとつもない廊下は、両手を広げる可憐な花たちを踏みしめる他進む術がなかった。
ふたつ目の扉の隙間から手を差し伸べるように封筒が挟まっていて、中には小さな鍵が入っている。なるほど、凝った造りだと我々は感心した。
封入されていた鍵で扉を開ける。うなぎの寝床状の細長いその先に、二人の男がいた。
真っ白な浴槽にぐったりする美しい男、松田薫と、それをすぐそばでうっとり見つめる神田六介である。
神田六介は、やってきた我々を一瞥して、すぐに松田薫に視線を戻した。
「神田六介はお前だな!」
我々の言葉に、視線はそのままに
「はい、そうですよぉ」
とのんびり返す。神田六介の喋りは、飄々として調子が狂う。
「前警察署でお話した時に名乗ったんだからそりゃそうですよ。ところで、どうでした?花回廊。ちょうど咲いた頃でしょう」
我々が不思議を全面に押し出した表情をしたところで、神田六介はその顔を見て笑った。
「うつくしい人にはうつくしい棺を、ってその様子じゃ踏んづけてきちゃったんですね」
「松田薫を監禁したのは自分自身なのか⁉︎わざわざ署まできて」
「やだなぁ監禁なんてしませんよ」
怪しい妖しいマゼンタピンクが、神田六介の瞳を艶かしく照らす。余裕を浮かべて、我々を見た。その激しい空間色のせいであろうハレーションに我々は目を細める。
「じゃあなんだねこれは」
「迷子になっていた松田薫くんです。死んでいます」
「お、お前がやったのか」
「まさか。僕、殺しはしません」
「殺し"は"?じゃあ何をやるんだ」
「連れていくだけですよ」
神田六介は、再び視線を松田薫に戻す。
「迷子の人間は綺麗ですね。ほら、彼だって、弱くて……こんなにいとしい」
恍惚とした表情で、動かない松田薫の頭を優しく撫でる。彼の茶髪は、神田六介が愛おしそうに触れたそばから純粋な黒色に変わっていった。生まれもった、はじめの黒色なのだろうと思われた。我々は目をぱちくりする。
「連れていくって、何だね」
「そのままです。松田薫は弱い生き物でした。たのしい学生生活なんて、なかったんですよ。彼の妹さんもね、迷子だったんですよ。僕が送り届けた。妹さんは母親似だったんでね、男運がわるくて」
「一体なんの話だ」
「つまりみんな寂しい魂だってことですよ」
我々は、黙ってしまった。
この空間には、善悪よりも深い、あいが存在している。目眩がする。
「ところで今、渋谷の一番大きなモニターを、僕らはジャックしていますよ」
ぱん、と神田六介が手を打った拍子に、細長い部屋の両サイドの壁が、渋谷の街を見下ろす景色に変わった。部屋の奥と我々の入ってきた入り口以外の壁が上空となって、見上げる人々を映している。
我々がモニターに映っている、と。
「な、なぜそんなことができる」
我々の動揺と正反対の落ち着いた動作で以て、神田六介は動かない松田薫の両手を正面で握った。
死んでいるらしい彼は、見えないたくさんの手助けを受けるみたいに、ゆらりと立ち上がる。
「僕は死神さ」
大事そうに松田薫の手を取りながら、神田六介は、ゆっくりと、そう言って微笑んだ。
「あんまりだ。僕は殺さない。死んで、迷子になってる魂を連れていくのが仕事だ」
神田六介は静かに言葉を紡ぎながら、銀のマッチ箱を懐から取り出す。
「毎日誰かいなくなる。どっかで、誰かいなくなっては、僕に悲しさを当たるんだ」
松田薫がぼうっと目を開く。まっくらだ。
「途中でやめると、迷子になるんだ。人間は弱くて、かわいいもんだ。だけど幼すぎるんだな、自分ではかえれないんだ。僕は人間を、終わらせたことなんか一度だってないんだ。人間の方がよっぽど人間から人間を取り上げるじゃないか。
お願いだから、もう迷子はやめてくれ」
神田六介は、丁寧に、一つずつ想いを並べていった。我々は、聞き入るより他なかった。
神田六介は大粒の涙を流していた。
そうか、ここは松田薫という男をおくる、
「さあそろそろ、かえしましょうか。渋谷の皆さーん?あなたにとってどうでもいい誰かが、今日も一人この街からいなくなりました」
片手で器用にマッチを箱から取り出し、神田六介は自らの靴底でそれを擦った。
「どうせ忘れてしまうんだから、よく見ててくださいよ」
神田六介がにっこりと微笑みをたたえて、泣きながらマッチの火を掲げた。我々は気づいた。
「待て、火をつける気か⁉︎」
神田六介の手から、マッチが松田薫へと手渡される。ぼたぼたと雫が落ちる。
「深い哀しみなんです。あなた達だって、どうせ忘れてしまうんですよ」
涙を止めようともしない神田六介が、優しい表情で松田薫から手を離した。
こぼれる、滴る、こぼれる、滴る、
「では渋谷の皆さあん、」
滴ったそのひと雫に、
「もくとう」
引火。
火の中で、不思議と我々は熱さも痛みもなくて、ただかなしい気持ちに駆られて、たとえば母親の顔を思い出したりした。
神田六介は炎の中にいて、涙をたくさんたくさん流していて、流れた涙は滴り落ちてはまた床を濡らして、その表情は極めて穏やかで、思わず胸がいたんだ我々は、目を瞑って、誰とも知らない、誰かの命を悼んだ。
目を開いたのは、大きな交差点の中でのことだ。我々が、私が目を開いた瞬間に全てが動き出したような、そんな錯覚に陥った。
はて、今何をしていたのだっけ。まさか、私を中心に世界は回っていないのだ。私が目を瞑る間も、どうせ世界は生きたり死んだり好きにしているはずなのだから、と小難しく考えたところで、私の少し先、人の波の中で、一人の少女が目に留まった。
両手を合わせ、胸の前でかたく結んでいる。五歳くらいだろうか。
こんな街に一人で、さては迷子だろうか、声をかけようかと迷ったが、なんとなくやめてしまった。
彼女のまっすぐおろした黒い髪のなびくのを見て、神様はいるのかな、と思ったからである。
我々は職務に戻った。
あの少女が、無事にあたたかいところへ、かえりつけますように。
不在証明 ぱくぱくかつおちゃん @pakupaku-katsuocyan
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