閑話

其の陸

「俺たちは罪人か?」

「漕げとは言わん」


 心底呆れた様子の元小姓仲間の様子に、ミキはやれやれと肩を竦めた。


 場所は砂のアフリズム南部に存在する港湾都市。

 アフリズムはここから西部と船で貿易している。船が東に向かわないのは大陸東部には主だった港が無いせいだ。交易路を広げたいアフリズムは東の国々に交渉を持ちかけているが上手く行っていないらしい。


 港にやって来たミキたちは、自分が乗る船を見つめていた。

 船体横に開閉式の窓があるが、高さの余り無い造りをしている。

 事前の説明では、横の窓から長い櫂を突き出して漕いで進むのだ。


「聞いていた話と実際に見るとでは違うな」

「だろう? この船のお陰で我が国は海を制し交易をしている」

「……」


 ニヤリと笑ってミキは相手の胸を拳で軽く突いた。

『我が国』と迷うことなく言えるほど、彼の忠誠が向けられていることが嬉しくなったのだ。


「何だ?」

「気にするな」

「そうか。なら……あっちをどうにかしてくれ」

「……そうだな」


 背けていた現実を直視するべく、ミキは視線を妻へと向ける。

 どうにか体を固定して水面に顔を付けようとしているのは、海水を舐めて味の違いを確認したいせいだろう。

 場所を選べと胸に秘め……相手の願いを叶えるべく、ミキは背後から妻の尻を蹴った。




「ベトベトですっ!」

「たくさん舐められただろう?」

「いっぱい飲みました! 気持ち悪いです!」


 プンスカ怒る妻を制しながら、ミキたちは船上へと来ていた。


 今回の船出はアフリズム王ウルラーの格段の配慮による物だ。

 ミキたちの為にだけ準備された物で、乗員以外に客は乗っていない。ただ荷物は確り載せられている所を見るに、抜け目が無いのは良いことだとミキは思った。


「ちょっとミキ! 私の話を聞きなさいっ!」

「はいはい」

「むきぃ~っ! 本気で怒りましたっ!」


 腕を振り回して殴りかかって来る相手を片手で制し、彼は出向の準備が進む船を見る。

 接岸している方の窓が開いて長い櫂が出て来たのだ。


「少し揺れるから気を付けろ」

「分かった」


 共に船に乗るワハラの声にミキは暴れる妻を抱き寄せて、岸を押す櫂の動きを見せる。

 あっと言う間に好奇心に支配されたレシアは、船上のギリギリまで駆け寄りその様子を見つめ始める。


「俺の危ないと言う忠告は?」

「あれが多少の揺れで海面に落ちるものか」

「……誰かに蹴られて落ちていたが?」

「あれは俺だからだ」


 分かっている。

 どんなに気配を消してミキが彼女に近づいたとしても、レシアが気づかないなどと言うことは無い。

 蹴られて落水したのも信頼し過ぎているからこその結果だ。


 彼になら何をされても良いと心の何処かで思っているのだろう……だからこそ蹴られると薄々感じていても決して避けない。

 何事でも楽しむ彼女だからこそ、蹴られたことですらちょっとした刺激なのかもしれないが。


 船から櫂で押し、岸からも棒で船を押す。

 ゆっくりと岸を離れた船は、ゆっくりと櫂の動きで進み始める。


「ほえ~。凄いです」

「ああ。全て人力だがな」

「ですね」


 自分の足元を見つめたレシアが納得した様子で頷いた。

 彼女の目を持ってすれば木の板越しに人の表情すら判別出来るのかも知れない。ただ本当にやってのけそうだからミキは怖くて質問しないが。


 しばらく二人で海を眺めていると、控えめな足取りで旧友がやって来た。


「あっちに食事の」

「お腹空きました~!」

「……まあ良いか」


 自分たちようにワインとちょっとしたつまみを持って来たワハラが、それをミキに見せる。

 給仕の女性に食事を強請る妻は……怒るなら後で纏めてやった方が良いと判断し、ミキは目を瞑ることにした。


 ワハラの勧めを受けて適当に腰を下ろしてワインで乾杯し、ミキはぼんやりと船の進む方を見つめる。


「なあワハラ」

「何だ?」

「……何でお前がこの船に居るんだ?」

「酷い言いようだな?」


 ミキとすれば港で別れるものだと思っていた。

 相手は少なくとも王の補佐だ。仕事もあるだろうし、何より色々とあって新婚だ。


「もう嫁から逃げたのか?」

「……まあそのことに不満を言っても仕方ないがな」

「王の命令だからか?」

「ああ。それに将軍イマームとお前の推薦と来ている。引っ繰り返せないよ」


 呆れた様子で彼も進行方向を向く。

 王の挙式の後に彼はシャーマンの一人である『テル』と言う女性を娶ることになった。強すぎる推薦に抗えず渋々と言った様子だが。


「美人を得たのだから文句はあるまい?」

「……美人なのは認めよう」

「何の不満がある?」


 彼女はシャーマンたちのまとめ役をし、王妃イースリーとも仲が良かったと聞く。

 挨拶程度に顔を合わせたミキも、その美貌を知り手放しで褒めたぐらいだ。後で妻が膨れて大変ではあったが。


 と、ワハラはある一点を見つめてから旧友の傍に移動して来た。


「一つ聞きたい」

「何だ?」

「今後シャーマンの女性たちを王が信を置く部下に娶らせる予定なのだが……」


 また確認し、ワハラは声を潜めた。


「彼女たちは基本激しいのか?」

「……」


 何となく合点がいってミキは押し黙った。

 付き合いの短いワハラは理解していない。レシアの耳は地獄耳なのだ。

 たぶんこの会話は聞かれている……そうミキは確信を得ていた。


「ああも激しいとなると武人でもそう耐えられん。文官など三日と持たない」

「そうだな」


 丁寧に胸の内で言葉を選ぶ。


「彼女たち……特に白を身に付けている者は踊りが主体らしい。普通の者より体力に秀でているのだろう」

「なるほど」

「それにこっちの踊りは東部や北部と違い腰の動きなど激しい傾向が強い。地域特有の癖かも知れないが……そう言うこともあってシャーマンも激しくなるのかもしれないな」

「つまり歌や楽器を使う者なら?」

「大人しいかもしれん。だがこれは個人の性質にもよる。俺には分からんよ」

「そうだな」


 苦笑いを浮かべてワハラはワインを煽る。

 ミキは……何故かこちらを見てニッコリと笑っている妻に内心恐怖していた。




(C) 甲斐八雲

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