其の弐拾肆
風通しの余り良くない小部屋へと若い兵に促され彼は入った。
遺体を安置する場所だけあって、どこか寒々とした空気を感じる。
「女官たちの遺体は?」
「はい。誰もがその……乱暴されており酷いものです。お探しのご遺体はあちらになります」
一番奥に陳列されている袋を若い兵が指さす。
王や貴族でも無ければ死して豪華な最期を迎えられる訳も無いが……彼はふと笑ってしまい、若き兵に不思議がるような視線を向けられた。
遺体の前でする行為では無かったと自分を戒めて、改めて袋の傍へと足を進める。
袋の上には木札が置かれ、それには『女官イースリー』とだけ書かれていた。
伸ばし掛けた手に若い兵が慌てて声を掛けて来る。
「失礼ですが、置かれていた場所が悪かったのか」
「腐ったか?」
「……そうではなくて齧られてしまい」
王都の気候では早々に生ものが腐ったりはしない。だが動物などが腐乱臭を嗅ぎつけて食料とすることはよくある。
袋に伸ばし掛けた手を止め、一度胸の前で手を合わせると……彼は袋を捲った。
「酷い物だな」
「……」
齧られ顔の形が判別できない。
余りの惨たらしさに顔を蒼くして若い兵は口元を押さえた。
「戻すよな。臭いが酷くなる」
「は、い」
必死に昇って来るものを堪えている兵に声を掛け、彼は袋を少しずつ捲って行く。
暴行された形跡は確りとあった。それだけにいたたまれない気分にもなる。
軽く頭を振り袋を戻そうとして気づいた。喉元の古傷だ。
「これは女官イースリーなのだな?」
「はい」
「誰がそう判断を下した?」
「……少々お待ちください」
壁際の机へと飛んでいき、兵は紙の束を捲る。
「内務のお偉いさんのようですね。衣服などからそう判断したそうです。ただ名前が入ってません」
「……」
合点がいって彼は心の内で唾を吐いた。
考えられる答えは二つ。良い答えは『彼女が逃げて身を隠している』こと。悪い答えは『彼女が囚われている』ことだ。
「女官たち以外に遺体はあったか?」
「あっはい。少し離れた場所に警護の者らしき男たちの遺体もありました」
「その遺体は?」
「内務の方々が『遺族に戻す』と言って引き取りになりました」
改めて胸の内で舌を打ち、彼はこの場に来ることが遅くなったことを恨んだ。
あの事務仕事を嫌う上司が我が儘を言わなければ……恨んでももう仕方の無いことだ。
「遺体の見分は?」
「はい。どれもが一撃で頭を割られていました」
「ん? 斬られていたとかではなくてか?」
「はい。硬い何かで叩かれ割られているように見えると……遺体の確認をした医師の言葉です」
「そうか」
納得はいかないが理解したことにする。
「ワハラ様」
「何だ?」
「ここにある遺体の方はどのように?」
「……」
女官イースリーが生きている可能性もあるが、現状この場に居ない。彼女の部下であった者たちは身寄りの無い者が基本だ。遺体を返す相手も居ない。
「通常通りに処理をして共同の墓地へ。手続きの類は全てこちらに回せば良い」
「分かりました」
深く首を垂れる兵に軽く会釈し……ワハラと呼ばれた彼は部屋を出た。
建物から出て刺すほど強く感じる日差しの下に立つ。何度か呼吸をし……臭いで麻痺している鼻の感覚が戻るのを待つ。
(たぶん警護の者たちは用済みとなって始末されたのだろう)
誰のどんな指示で警護の者たちが女官たちを襲ったのかまでは分からない。
ただ女を襲い犯した後に待っている自身の死であるとは……本当につまらない生き方をした物だと思う。
「もう少し気楽な生き方を選べばいい物を」
言って彼は自嘲した。
その言葉を"前"の自分に聞かせたくなったからだ。
「ん? 何て臭いを纏ってやがる?」
「分かりますか?」
「俺の本業はその臭いを作ることだ」
机に縛り付け事務仕事をさせている上司……将軍イマームがわざとらしく鼻を塞いだ。
「臭い臭い」
「直ぐに慣れます。って、嗅ぎ慣れていると自分で言ってるでしょうに」
「あれだ。大便の臭いと同じだ。自分の物だと気にならないが他人のだと気になるだろう?」
「死臭を大便に例える将軍の正気を疑いますが」
無駄だと分かりながらも軽く服を叩いて彼は自分の机へと戻る。
「何だ? 別に仕事でも抱えたか?」
「そんな感じですよ」
「はぁ~。真面目だね」
「将軍が不真面目なんです」
椅子に腰かけ副官である彼は仕事に戻る。
だがどうして山と積まれている仕事が減っていないのか……チラリと視線を向けた上司は、顔を背けて窓の外を見ていた。
「将軍?」
「……本当に真面目だな。いつだか出会ったミヤモトなんたらのように」
「……」
一瞬聞き流した上司の言葉に彼は全力で足を止めた。
「ミヤモト?」
「あ~今の無しで」
「将軍?」
静かに睨み続けることしばらく……折れた上司が白状した。
「娘を助けて貰ったから陛下には秘密にしていたんだ」
「……」
沸々と怒りだけがこみ上げて来る。
拳を硬く握って副官たる彼は堪えた。
「それで将軍。その者の名は?」
「あ~。ミヤモトなんたらだ。長くて覚えられんかった」
「……『ミヤモトムサシ』と言いましたか?」
「近いが違うな。ミが二回ぐらい」
「ミキノスケ」
「そうそれだ! ……何で知っている?」
訝しむように見て来る上司の視線を無視して彼は自分の額を叩いた。
長い棒を使う者……たぶんそれは彼の家に伝わる『十手術』だろう。
「アイツか。……武蔵で無いことを喜ぶべきか、悔やむべきか」
「お~い。ワハラ? 返事をしろ」
壮絶に悔しがる部下にイマームは何となく置いてけぼりを食らった。
(C) 甲斐八雲
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