其の捌

 何度も振り返るレシアに注意を促し、ミキたちはその場を後にした。


 今日は本当に珍しく空を雲が覆い日差しは無い。

 フードから顔を出し、やはり後ろに視線を向ける相手の手を引いてミキは前を進む。

 どんなに振り返り確認してもあの場所には焚火の跡しかないのだ。


 長い話を聞き、ふと気を抜いた瞬間……気づけば朝だった。

 老人の居た形跡はなく、本当に狐にでも抓まれた感じになる。

 だがミキは分かっている。彼が砂に書いた言葉を読めたから。


『ほっほっほっ……また会おう若いの』と書かれた文字を。




「この場所が何かですか?」

「そうだ。お前は考えたことはあるか?」


 老人の問いにミキは軽く頭を働かせる。

 何となく程度に思い描いたことがあるぐらいだ。


「はっきりとは。ただ元居た場所とは違うだろうと言うことぐらいです」

「ふむ」


 鷹揚に頷き老人は足元の砂にサラッと絵を描く。

 それは書物でしか見たことのない『地球儀』と呼ばれる物だった。


「これが儂らが居た場所だ。そう南蛮人が言っているだけで本当かどうかは定かではない」

「はい」

「そして……」


 サラッと砂に描かれた地球儀の横に同じ物が出来上がる。


「これが今居る場所だ」

「……」

「信じられんだろうが、つまりそう言うことらしい」


 鼻に指を入れ軽くほじりながら老人は言う。


「儂にも良く分からんが、この場所場所が宿る物を『星』と言うそうだ」

「星?」


 ミキは慌てて空を見上げる。

 満点の星々が散りばめられた夜空はとても美しい。


「ああ。あの星のどれかが……目に映らない物のどれかかも知れんが、まあ正解が混ざっていると言うことだ」

「つまりあの浮かんでいる星の数だけ、この様な場所が存在していると?」

「それは知らん。儂が知っているのは、儂らが元居た場所以外にもこうして人が住む場所があると言うことだ」


 興味が無さげにほじった物をピンと弾いて捨てる。


「今のように元居た場所で死んだ儂らは弾かれてこっちの場所に移ったのだろう。たぶんその時にこっちに来る速度によって生まれる日に誤差が生ずるのだ」


『儂より前に死んだ者とも出会ったことがあるし、儂より後で死んだはずの者とも出会ったことがある』と老人は言葉を続けた。


 だがミキはそれどころでは無かった。身に覚えがあった。

 自分の忠実な家臣は、確かに先にこっちに来ていたのだ。


「今得ても何の役にも立たぬ知識よの」

「いいえ。とても貴重です」

「ほっほっほっ……謙虚謙虚。悪くない」


 笑い懐から椀を取り出した老人は、グイッと中身を煽るとそれをミキに回す。

 受け取った彼は香りを確かめ……目を見開いて口に流し込んだ。


「……何でもありですか?」

「酒はあっちの物の方が良い。そう思っただけじゃよ」

「確かに」


 芳醇な香りと米の甘さ。死してから一度として飲めなかった酒をミキは腹の中に流し込んだ。


「良い飲みっぷりじゃな。若いの……名を何と申す?」

「浪人、宮本三木之助玄刻と申します」

「ほっほっほっ……。もしや彼の者の血縁か?」

「違います。自分はただの養子に御座います」

「そうか。あの化け物も子を得るか」


 老人は愉快そうに膝をピシャッと叩く。

 その音に目を覚ましたレシアが辺りを確認すると、また迷うことなくミキの足を枕に選んだ。


「……義父をご存じで?」

「直接やりおうたとこは無い。ただ何度かその殺し合いを見ていただけだ」


 老人はミキの手から椀を取り返すと、またそれに酒を満たして軽く煽る。


「無骨なまでに荒々しく、何より生きる為の剣であった」

「義父も貴方に評価されたと知れば喜んでいたでしょうね」

「それか『し合え』と騒いでいただろう」


 否定のしようがない言葉にミキは苦笑するしか出来なかった。

 あの義父だったら本当に言い出しそうだ。


「してご老人」

「何だ?」

「はい。貴方のその力は……一体?」


 義父のように戦いは挑まない。だが興味の尽きない相手だ。


「自分の知的な好奇心を満たそうとするか……親子そろってろくでもない」


 反論できずに頭を掻く。

 だが老人は椀を空にすると熱い息を吐いた。


「古来より伝わりし術じゃよ。大陸では仙術とも言われ、南蛮では魔術だったかな……つまりは剣術の類と同じで極めれば強力な武器にでもなる力じゃ」

「……それを極めたと?」

「まだ途中じゃ。頂とは常に高くなり儂を跳ね返す」


 まるでこちらの胸の内を見透かされたような言葉に、ミキはまた苦笑した。


「儂などまだ可愛い方じゃ。そこの娘っ子を見よ。本当に恐ろしい」

「……レシアがですか?」


 のん気に寝ている姿を見ると確かに危なっかしく見える。


「その娘の力は破格じゃわい。儂がちいとばかり邪魔をしてようやく人並みとは……今までの苦労を返して欲しくなるわ」

「……確かに才能が溢れて垂れ流していますが」

「垂れ流し過ぎじゃ。だからあっさりと見つけられたのだがな」


 ほっほっほっと笑い老人はある方向を指さす。


「休んだらあっちに向かうが良い。そしてあの地に縛り付けられている者たちを解き放つのじゃ」

「何故?」

「……古い友人じゃてな」


 薄く笑い老人は頭髪の無い頭をベチッと叩いた。


「儂がやれば全てを消してしまう。だからその娘っ子にやらせよ」

「……」


 ふと眠気に誘われミキは軽く頭を振る。

 だが沈むように意識が遠のく。


「お代は鱈腹食わせたであろう? 前払いじゃ……確りとやるが良い」


 逆らえ切れずミキは意識を手放した。




(C) 甲斐八雲

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