其の弐拾参

「誰か……誰か私を助けろっ! あの者を殺したら褒美は自由だっ!」


 馬車の上で吠える国王。

 だが視線は向くが動き出す者は居ない。


 この国が国防を他国に委ね約20年。年代によっては"実戦"すら知らない。

 戦うことを知らない者としたら、目の前で起きていることは理解しがたい出来事でしかない。


 故にただ恐怖するのみだ。

 恐怖で地面に張り付いてしまった足を動かすことが出来ず、通りに集まった者たちはそれを見ているだけなのだ。


「カカカ……若いの」

「何故来た?」

「ここからは儂の出番だ。場を譲れ」


 動けずに居る群衆の間を縫って出て来た老人に視線を向け、ミキは軽く一礼するとその場を離れた。

 何をしに行ったのかを理解し、ホルスはただ口の端を上げて笑った。


「久しいな国王……否、ゼーベルトよ」

「お前は誰だ?」


 突如現れた老人の姿に馬車の国王は目を細め伺う。

 その容姿……何より顔に見覚えなどは"無い"。


「カカカ。自分が殺す様に命じた男の顔も忘れたか?」

「命じた?」


 顔を蒼くさせ国王は狼狽する。

 そんな訳はない。確実に殺したと報告は受けている。

 何より相手は……目の前に居る老人は、


「我が名はホルス。お前に殺された者だっ!」

「違う。その様なことは命じていないっ!」

「まだ白を切るかっ! だから怒りしガンリューがここへ来て暴れたのであろう?」


 指をさす国王に向かい啖呵を切る老人……見守る群衆からも『ホルス様では?』と言う声が聞こえて来る。

 その声が響くごとに馬車の上の国王、ゼーベルトは睨む様にして相手を確認する。


 だがやはりのだ。


 ホルスとは若い頃からの知り合いであり、この国を変えるのだと夢を語り合った。

 どんなに後ろめたい気持ちを胸に抱いていても、目を閉じられば最後に会った日の……激昂した彼に痛撃に罵られたあの顔を思い出せる。


 だが目の前に居る人物は、どれほど老いたとしても"ホルス"ではない。


「お前は誰だっ!」

「儂か? ホルスだ」

「違うっ! お前はホルスでは無いっ!」

「お前たちに殺され、顔の形を酷く変えられたからかの……今ではこんな顔だ」


 クククと笑う老人に、自分と同じくらいの年齢に見える相手にゼーベルトは恐怖する。

 本当に誰なのか分からない。どうして『ホルス』と言い張るのか……


「あの日のことを覚えているか? 儂がお前に対して怒鳴った日のことをだ」

「な……に?」

「国の税金を私物化し、好き勝手に使うあの頃の国王を『糾弾するべきだ!』と儂は言ったよな? だがお前は、お前たちは反対に回った。あの頃から国王から金を貰い飼い慣らされていたのだろう?」

「……」


 はっきりと覚えている。あの日の出来事は。

 だが……それでも目の前の人物を信じられない。背格好は近いが、顔の作りが違うのだ。


「それから数日後に……儂は殺された。路地裏にうち捨てられ、ゴミの中で終わったのだ」

「違う。そんなことは命じていないっ!」

「ならばホルオスが勝手にやったと言うのか? ではホルオスに聞くとしよう」


 左肩から刃を生やした宰相が脂汗を垂らして歩いて来る。

 宰相の背後にはガンリューを名乗る若者が居て、彼はホルオスの左肩に剣の先を突き入れていた。


「聞こうかホルオス? お前が勝手にやったのか?」

「違う。命じられたっ!」


 恐怖と痛みに顔を歪めた男が必死に声を張り上げる。

 漏らしているのか彼の股間は見る見る濡れて行く。


「誰に?」

「ゼーベルトだっ!」

「違うっ! そんなことは命じていないっ!」

「本当だホルス。ゼーベルトはこう言った。『これであの男が死ねば、全ての富は二人だけのものだ』と」

「言っておらん! 誰か宰相の口を塞げっ!」


 群衆から悲しいほどに冷たい視線を向けられる国王は、ただ一人で必死に自己弁論を繰り返す。


「言ったとも! それ以外にも命じたっ! あの男は自分の手を汚すことなく汚れ仕事は全て俺だ! その対価として得たのがこの地位だ」

「煩い煩い煩いっ!」


 醜く二人が言い争う。

 手の届く距離に居たら取っ組み合いの喧嘩になりそうな雰囲気だ。


 それだけに……二人を見つめるホルスの目は、作り物のビー玉のように何の感情も宿していない。

 ただ淡々と愚かな二人を見つめているのだ。


「俺は命じられただけだ。逆らえば俺の命が危ない。だから従った……従っただけなんだ」

「煩い煩い煩いっ!」


 老人の生気のない目が動き、ただ冷たくガンリューを見る。


 軽い頷きを見て、ガンリューを名乗っていたミキは、宰相の肩に突き入れている武器から手を離し……そっと左の腰に左手を置いた。

 刃を鞘の中で走らせ抜いて放つ。


 綺麗な横一文を見せると……宰相の首が転がり落ちて胴体から血を噴いた。


「どうするホルス? 国王の首も刎ねるか?」

「答えなど見なくても分かる」

「そうだな」


 彼らは馬車から離れる歩き出す。


「ゼーベルトよ。古い仲間の一人として忠告しよう」


 肩越しに振り返った"ホルス"は、馬車の上から降りられない男の姿を見た。

 膝を悪くしていたが……老いてさらに悪化させたのだろう。


「お前の罪など国の帳簿をひと目見れば分かる。だから……あとは祈るが良い」


 肩越しに背後を見ていた顔を正面に戻す。


「自分の善行が、いかほどのものかを」


 止めていた足を動かし老人はまた歩き出す。


 背後では……石を握り締めた群衆が、馬車に向かい投石を開始していた。

 弱々しい国王の悲鳴は、それほど長く響かなかった。




(C) 甲斐八雲

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