其の拾弐

 胸の奥から絞り出す様な声。

 背後から聞こえるそれは慟哭と言ってもよく……しばらく続いた。


 ただ空を見上げ耐えるミキは、それでも周囲の警戒を忘れない。

 もし今彼女の邪魔をしようとする者があれば……自分がどんな感情のままで刀を振るうか分からない。


 乱れていた。


 心の奥底から感情が乱れ、でも頭の中は恐ろしいほど冷静だった。

 故に何かが起きれば壊れてしまいそうな苦しさはある。


 空に向けて息を吐き出し目を閉じる。


 彼女の声はまだ止まらない。




 日もだいぶ動き、影の位置もだいぶ変化していた。


 彼女の声は止まっていた。

 全身を激しく震わせていた動きも……今は無い。


 しかしミキは感じていた。

 自分の背後で言いようの無い気配を。


 彼女が今、どれほど集中し……"何か"をしていることだけは分かる。

 目で見る必要はない。きっと見ても分からないだろう。


 今は待つことしか出来ないのだ。




 日は西に傾いている。

 茜色を広げ、天を覆いつくしている。


 その色に目を向け……ミキは自分の腰から相手の尻が離れたのを知る。

 フワッと優しく背後から抱き付いて来たレシアは、その頬を彼の頬に擦り付ける。


 涙は感じなかった。


 甘える猫の様に頬を擦り付け、ついで唇が頬に触れた。

 擦り付けた何かを確認するかのように彼女の舌が頬を舐める。


 ギュッと首に抱き付いて……レシアは立ち上がった。


「行きます」


 発せられた声は擦れていた。

 それでも凛とした声で宣言し、彼女はゆっくりと踊り出す。

 ミキは座り直して彼女の踊りに目を向ける。


 鎮魂の舞であるのは間違いない。

 そのはずなのに……今まで見てきた踊りが児戯に見えるほど美しい。


 指先、爪先、その目にすら……強い意志を宿らせて彼女は踊っている。

 格段に上達したとは違う。進化したの方がしっくり来るほどの変化だ。


 華麗にして優雅に踊りきり……レシアは墓石に向かい一礼した。


「ありがとうございました」

「レシア?」

「……にゃ~ん」


 クルッと振り向き飛びついて来た彼女を抱き止める。

 肩に顎を乗せて甘えて来る相手は……頬を濡らしていた。


「ミキ」

「ん?」

「……ずっと踊りを見せてくれました。私に全てを見せてくれました」

「そうか」


 手を伸ばしてその頭を撫でてやる。

 またブルッと全身を震わせ、レシアが甘える素振りを見せる。


「話せたら良かったのに」

「そうだな」

「……でも見せてあげられました。私の踊りと」


 チュッと頬に唇を感じる。

 ミキはまた相手の頭を撫でてやる。


「私の大好きな人を」

「そうか」

「はい。大好きですミキ」




 宿に向かい歩き出すと、広場に老人が居た。

 長椅子の上でだらしなく寝っ転がっている。


「お爺さん」

「ん? 何じゃ?」

「ありがとうございました」


 ペコッと深々と頭を下げる彼女に、老人はカカカと笑う。


「会えたか?」

「はい」

「……学べたか?」

「はい」


 ミキの左腕に抱き付いて、元気に答える彼女の様子に老人はまた笑った。


 よっこいしょとばかりに立ち上がると、背伸びをして首を回す。


「ならもうお前たちはこの街に用は無かろう。出て行くと良い」

「……」


 老人の気づかいだとミキは感じた。

 何かに巻き込みたくない……そんな気配だ。


「まだ一つだけ」

「んん?」

「何故ガンリューが人を殺して逃げたのか……その謎がまだです」

「それか」


 鼻で笑って老人は首を掻く。


「あのお人好しは他人の罪を我が物とした。それだけじゃよ」


 カカカと笑い老人はフラフラと歩いて行く。

 その後ろ姿を見つめ……ミキはレシアに顔を向けた。


「嘘か?」

「嘘です」

「やはりな」


 少しずつだが何かが分かって来た。

 でも正確な答えを得る為には足らない物が多過ぎる。


「レシア」

「はい?」

「済まないが少し手を貸してくれ」

「……良いですよ。でも」

「でも?」

「明日以降にしてください。今日はミキと一緒に居たいんです」


 ギュッと左腕に抱き付く彼女の頭を撫でる。


「なら明日以降だ」

「……はい」


 爪先立ちして背伸びをするレシアに、ミキは唇を合わせた。




 早朝の広場で、レシアはクルクルと舞い続けていた。


 昨夜からずっと彼に抱き付いて存分に甘えられたから幸せに満ちている。

 それでも胸の奥には悲しみが棘のように突き刺さっていてチクリと痛い。


 手や足に意識を向けて己の体を動かし続ける。

"母親"が見せてくれた踊りには遠く及ばない気がする。

 それでも目指す場所の一端が見えただけでもやる気が沸いて来る。


 分かっている。

 自分が今、悲しみを別のことで誤魔化そうとしていることぐらい。


 こぼれそうになる涙を堪えて手足を動かす。


 ジャリッと聞こえて来た靴底が小石を噛む音に、レシアはゆっくりと歩を進め……踊りながら移動を開始する。

 クルリクルリと回りながらも目的の場所へ迷いはない。


 その動きを追って男二人が足を進める。


 逃がさない様に追い詰め……あの老人の居場所を吐かせれば良いだけのことだ。

 用済みになれば別の使い道もある。

 見た目は悪く無いと言うよりも良すぎるくらいだ。何より不思議な形と色合いをした服を内から押し上げる胸の膨らみも悪く無い。


 男たちは自分が"当たり"の仕事を引いたと思っていた。

 待ち受けている彼の存在など思いもよらずに。




(C) 甲斐八雲

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