其の弐拾

『タハイが襲われて大怪我をした』


 その話は祭りの片づけをしている村人たちに瞬く間に広まった。

 特に気にしたのは昨夜一緒に飲んでいた祭りの運営者たちだ。全員で行くのは迷惑がかかると、責任者を任せていた炭焼きの男が出向き……『事実だった』と皆に告げた。


 楽しかった余韻すら吹き飛び、皆が沈痛な面持ちで作業に戻った。




 ザジーリーは何度も自分の顔を塗らす汗を拭き続けた。


 色々な感情が胸の内で暴れ御せない。

 それでもタハイの所へやって来たのは、これからにおいて必要だからだ。


 利き手を怪我した彼が職人を続けていくことは無理なはずだ。

 だからこそ自分の所へ来るように持ち掛けて……と、当初の計画を頭の中で思い描く。

 悪い話では無いはずなのだ。布をたくさん作れる様になれば今まで以上に儲けが出る。そうすれば村が豊かになって皆が幸せになれる。助け合いこそがこの村の美徳なのだから。


 それなのにタハイは自分の言葉に耳を貸さなかった。

 助け合うべき状況で"自分の事だけ"を考えこちらの誘いを断り続けた。

 ほんの少し痛い目を見れば気持ちだって変わるはずだ。


 村に居た護衛たちを偶然目にして……つい彼らにタハイに大金が転がり込むことを教えただけだ。

 それに"決して殺すな"と厳命もした。

 ただ利き手に傷つけて何回か殴って金を奪って逃げてくれれば良いと……そう告げただけだ。


 少しやり過ぎたかもしれないと心の奥底で思うが、しかし今タハイの協力を得られなければ自分が終わってしまうのだ。

 それは……それだけは、どんな手を使っても回避するしかない。


 何度も唾を飲み込み、汗を拭き……彼はタハイの自宅へと足を進めた。




「何だと……?」

「父は現在、生死の境を彷徨っていて誰とも合わすことが出来ません」


 応対に出たのは彼の娘だ。

 亡くなった妻に似た容姿の娘が、今まで見せたことの無い冷たい表情を向けて来る。

 まるでこちらの全てを知られているかの様な……。


 ゴクッと唾を飲み、ザジーリーは会話を続けた。


「タハイの具合はそんなにも酷いのか?」

「はい。両足の骨を折られています」

「両足……」


 そこまでしろとは一言も言っていない。


「腕は? 彼の右腕は?」


 スッと目を細めたホシュミは、何度か息をして気持ちを押さえつけた。


「見るも無残なほどにボロボロにされ……腐らせないために肩の部分から斬って捨てました」

「斬った? 斬ったのか?」

「はい」

「ではもう職人として」

「……職人をすることはもう無理でしょう。何よりこの数日を乗り越えられなければ生きて行くことすら難しいと」


 顔面蒼白となり、ザジーリーはめまいを覚えた。


 そこまでしろとは本当に一言も言っていない。

 これではもうタハイの布は作られなくなってしまう。


 そうだ……布だ。


「布作りはこれから?」

「作る方は夫のラシムを中心としてやっていきます。それと今後の販売は私がやります」

「そうか……販売?」


 聞きなれない言葉に彼はオウム返しで質問していた。


「はい。今後この家で作られる布は自分たちで売って行くこととします。そう皆で話し合って今朝決めました」


 座っていた姿勢でホシュミは相手に向かい頭を下げる。


「前回の分でザジーリーさんへの納品は最後とします」

「まっ! 待ってくれ!」

「申し訳ありません。この家の誰もが貴方との付き合いを、これから先続けたくないと言っているのです」

「……」

「それに父と貴方が交わした契約は口約束でした。後を継いだ私たち夫婦は、これからは自分たちの布を自分たちで売って行くと決めました」

「それでは困る! 何口か注文を受けているのだ!」


 必死に詰め寄る彼は、ゆっくりと起き上がる娘の顔を見て肝を冷やした。

 今にも人を殺しそうな雰囲気とその目に……恐怖しか覚えない。


「意識を失う前に父が言いました。『これは流れの悪者たちにやられた。この村の者の指図じゃない』と。でも私たちは誰一人としてその言葉を信じていない! 全員が誰の指図か分かっている! それでも父の……最後になるかもしれない言葉に逆らいたくない!」

「……」


 ホシュミの迫力に圧倒されて……ザジーリーは一歩二歩と後ずさる。


「……どうかお帰り下さい。そしてもう二度とこの家に来ないで下さい。それが私たちの"家族全員"の気持ちです」


 ボロボロと涙を溢し深々と頭を下げて来る娘に対して、彼の良心が働きかけて口を開きかけたが……言葉を発することなくその場から立ち去った。


「うっ……うぅ……お父ちゃん……」


 ただホシュミの涙声だけが止まることなく響いた。




 家を出て駆ける太った男性を見つめ、彼は自分の手の中にある物を確認した。


 両手できつく持つ"それ"が、普段なら何でもない道具のはずなのに異様なまでに重く感じる。

 でも……それでも彼は許せなかった。


「ダメですよ~」

「えっあっ!」


 不意に背後から抱き付かれて抱えられる。

 タインはジタバタと足を振った。


「ダメですよ。そんな物を振り回しちゃ……危ないです」

「離してお姉ちゃん!」

「ダメですよ~。ミキに頼まれてますから……うぷっ」


 背後から生じた不吉な音に、一瞬体を強張らせ動きを止めた少年が、これでもかと激しく暴れ出した。


「は~な~せ~っ!」

「ダメで……そんなに動いたら……何か出ちゃいま……」


 その"何か"から逃れたいタインは必死に抵抗する。

 だがその振動が彼女……レシアの胃袋に激しく響いた。


「離して~」

「……うぷっ……エロエロエロ~」

「ぎゃあ~っ!」


 昨夜の食べ過ぎと二日酔いで、レシアの胃袋は限界を超えていたのだ。




(C) 甲斐八雲

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