其の拾陸

 太陽がゆっくりと西に傾きもうすぐ日が沈む。

 淡い橙色が山頂を覆うかのように広がる様子は艶やかで美しい。


 順調に進む祭りは、聴覚から視覚へと移行していく。


 村に伝わる古くからの音楽が奏で終わり……今日の祭りを締めくくるのは、村の腕自慢たちが作り上げた衣装のお披露目だ。

 色合いや形……何より着る者の美しさなど、年を追うことにその趣旨は変化しつつあるが、村の祭りを盛り上げることには違いない。

 異論を言うのは酔っ払いくらいで、概ね村人たちは理解を示している。


 ただ……理解を示していても、小さな黒いしこりの様な物を皆が心の片隅に抱く。

『今年もザジーリーの物が勝つのだろう』と。


 良い物を決めるのはあくまで投票だ。

 だがこの時期になると、あの商人の所で働く者が村の家々を回り挨拶をしてゆく。

『今年も祭りを盛り上げましょう』と言ってお菓子と共に僅かな銭も置いて行くのだ。


 面と向かって突っぱねる者も居る。

 だが生活に窮している者は曖昧な笑みを浮かべて受け取ってしまう。

 それがこの村の現状だ。


 作る布は他所で高く売れているが、自分たちの生活は決して豊かではない。

 豊かなのはザジーリーただ一人……村人たちは皆そう思っていた。




 お披露目の舞台となる櫓を見つめ、ザジーリーは不安で震えていた。


 皆が自分のことを『儲けている』と思っている様子だが、決してそんなことは無い。

 出入りの商人たちからは買いたたかれ、直接自分たちで販売の道筋を作ろうとしても邪魔される。八方ふさがりな状況を打破するために買った道具は良い仕事をしてくれない。


 このままでは本当に破産してしまう。


 膝を震わせ気晴らしに飲むワインは全く味がしない。

 追い詰められていると自覚はしている。

 でもそれ以上に彼は追い詰められていた。


 だからせめて今日の祭りで一番を得て、自分の所の布や裁縫の技術を商人たちに伝えられればと……願わずにはいられない。

 大丈夫のはずだ。今年も確りと銭は撒いたのだから。


 だが彼は心の片隅に居座る不安を、何故か払しょくすることが出来なかった。




 お披露目が始まる時刻となり、舞台を見ていた者たちが皆不思議がる。

 音楽披露をしていた者たちの内、一人だけがまだ残っているのだ。

『何故?』と思うのはこの村に来た商人たちで『誰か手助けを』と思うのはこの村で暮らす者たちだ。


 座ったままの人物……太鼓の名手として村一番と呼ばれていた彼も、染料を煮炊きする仕事を長いことやってきたせいかその目から光を失ってしまったのだ。


 それでも彼の太鼓は村一番だ。

 だから毎年彼はあの場所に座り、股の間に挟んだ太鼓を手で叩く。


 彼を知る者は舞台に取り残されたものだと思った。

 しかし違う。彼は仕事のために残ったのだ。


 そう……本当なら齢も齢だし早く家に戻りたい。

 でも先日訪れた若者の言葉に心を動かされた。


『貴方ならうちの連れの踊りに対抗できると聞いてね』


 自信あり気にそう切り出した若者が言うには、何でも彼の連れの舞はひと目"見る"と魅了されてしまうほどのものらしい。だから目の見えぬ者に音を頼みたいと。


『目が見えないから儂が選ばれたのか?』その問いかけに若者が笑った。

『それだけの理由だったら他の者に目隠しでもさせるさ』と答えた。

『ならば何故?』と重ねて問うと彼は苦笑染みて言う。

『惚れた女の折角の舞台だ……最高の物にしたいとは思わないか?』と答えた。


 最高を贈りたい。その言葉に老人は快諾することとした。


 目から光を失ってから耳ばかりよくなった気がする。

 村人たちが自分を気遣い舞台に向かって来ようとする会話も聞こえる。


(邪魔をするでない)


 老人は心の中で軽く叱り、またに挟んだままの太鼓を一つ叩いた。

 ポーンッと鳴り響いたその音に雑音にも似たざわめきが小さくなり……そして消えた。


(うむ。黙って聞いておれ)


 音を発したことに気を良くした老人が、そのまま太鼓を叩き続ける。

 彼からすれば適当に叩くだけの即興であるが、熟練した技術を持つ即興は一つの作品となり得る。


 美しく軽やかな太鼓の音色に人々が耳を傾け、お披露目の余興かと思い始めた頃……不意に舞台の上に花を見た。

 どこからともなく現れた花が軽やかに弾む。


 不可思議な光景に観客たちは息を飲み見守ってしまう。


 どんなに目を凝らしても舞台の上で花が躍っているのだ。

 とにかく楽し気に、優雅に。


 ポーンッと一つ響いた太鼓の音で、観客はようやくそれを見た。

 一人の少女が白い衣装を身に着け……全身に花を纏っている姿を。


 髪には切り花を挿している様子は、さながら花の化身としか思えない。


 ゴクッと唾を飲み見入る観客は、それからこの世の物とは思えない物を見た。

 圧倒的で言葉では形容できない花の舞だ。

 そんなことが出来るのは大陸広しと言えども"白"の飾りを持つシャーマンのみ。


 弾むような太鼓の音色に舞う花は、そのシャーマンの中でも特筆すべき才能を持った少女だ。


 レシアは舞う。

 今出せる全力を持って舞う。

 それは人々を楽しませる訳でも無く、自然に対する感謝の気持ちでも無い。

 ただただ……送り出す前に憎たらしい言葉を投げかけて来た"彼"に対して。


『踊って少しは痩せて来い』


(絶対に許さないんだからぁぁぁあああ!)


 彼女の感情とは別にその舞は余りにも美し過ぎた。




(C) 甲斐八雲

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