其の漆
隊商の馬車を直し、荷物などを整理してどうにか動き始めた。
手の施しようの無い場所が何台か出たが、荷物を分散して動く馬車に乗せることで目途を立てる。
あっちこっちで馬が重くなった荷台に悲鳴を上げるが、レシアが回って説得してくれたおかげでどうにかなった。
そして彼女は、荷台の隅に座り……手の上で七色の球体を転がし続けている。
手の動きを滑らかにするための練習なのか、まるで生き物の様に動き続ける球体に……休憩中の護衛たちの視線が釘付けになる。実際に球体は生き物なのだが。
指先を確りと意識して動かしている様子は真剣そのものだ。
「兄ちゃん? 大丈夫か?」
「ああ。どうやら最近怠けていたらしい」
「……怪我もあるし、あんま無理すんなよ」
背負い袋に石を詰めて背負って歩くミキに誰もが呆れた様子の声を掛ける。
確かに彼は至る所を痣だらけにしているが、特に大きな外傷は存在していない。
故に無理をする。
剣術の基本は足腰の強さだと耳にタコができるほど聞かされてきた。
今にして思うと、確かに最近は基本的な鍛練が不足している。
初心を忘れない為にも、彼は荷物を背負って歩き続ける。
何より負けられない相手が練習している状態で自分だけが怠けるなど決して出来ない。
意地の張り合いとも言えるが……それがこの二人の付き合い方だ。
ブンッと一振りするごとに大きな音が生じる。
馬車の車軸に使われている木材の予備部品を貰い、ミキはそれを刀の代わりに振りかぶっては振り下ろす。
ただ黙々と、天幕を立ててからずっとだ。
レシアは焚火の前で何度も踊り続けている。
その様子を視界の隅に捕らえながら、彼は静かに思考し始めた。
あの老婆は彼女を"あれ"と出会わせたくない様子だ。
まだ時期では無いとかそんなことを言っていたと思う。
なら彼女があれと向き合わなければならなくなるのはどんな時だ?
踊りの才能だけなら彼女は間違いなく天才だ。
その踊り才でもダメだと言うなら、正直今の彼女がどんなに頑張っても不可能だと思う。
つまり踊りでは無いのだろう。
その答えが出れば後は比較的簡単だ。
成長するべきは踊りの才では無くて、人間としてだ。
そっちの方がしっくりくる。
何気にあの老婆もレシアのことを『阿呆』と騒いでいたから、自分の考えが間違っていないと思う。
ただ結論からすると、あのレシアが人間的に成長する方が難しいと。
少なくとも自分が強くなる方が遥かに楽なはずだ。
フッと息を吐いて一度布で全身の汗を拭き、特に念入りに手の平を拭く。
ピリピリと痛むのは、手の平にマメが出来たからだ。
これぐらいのことでマメが出来た事実に、ミキは自分の鈍りを痛感するしかなかった。
改めて木材を上段に構えて振り始める。
『まずは足腰。次に背中と肩。それを鍛えて剣を振れ』
養子となって義父の元で一番最初に言われた言葉だ。
何を言っているのか理解出来なかったが……今ならばその言葉の意味が分かる。
一本の刀を上段に構えて振り下ろすだけのことにどれほどの筋肉が必要か。
一度二度なら女子供でも出来るかもしれない。
ただそれを拾も百もとやることになれば話は変わる。
揺るがなく振り続ける筋肉。打ち続ける体力。揺るがない精神力。などなど……小さなこと一つとってもやることはこれでもかと存在する。
また百回振り抜いたミキは、大きく息をして呼吸を整えると、一気に水を飲んだ。
浴びるように水を飲んでまた木材を上段に構える。
子供の頃は、疲労で気絶するまでやらされた鍛錬だ。
あの頃は義父のことを正直恨みもしたが、今では感謝しかない。
血反吐の思いで身に付けたこれは、自分の中で確かに芽吹き息づいている。
故に迷うことなく何度でも振り続けるとが出来る。
そんな彼の様子を見たレシアは、自分から練習を止めることが出来ず……ずっと踊り続ける。
結果として二人は、周りが止めに入るまで意地を張り合った。
「全身がバキバキです」
「そうだな」
「でもつまりそれだけ鈍ってたんですね」
「そう言うことだ」
二人して全身に塗った馬油の匂いを漂わせながら、並んでテクテクと歩く。
ここ最近色々とあったが、結果として練習する時間がだいぶ失われていた。
気づけば失った分を取り戻す簡単なことだ。
ミキは今日も背負い袋を背負って、レシアは歩きながら七色の球体を指先で弄びながら……後もう少しとなった目的の街に向かう。
隊商の者たちが寝静まった頃……天幕からその影が飛び出した。
フラッと軽い足取りで歩き焚火の前に来たのは、小さなパンと七色の球体を抱いたレシアだ。
パンを木の棒の先に刺して軽く火に炙る。
フワッと香ばしい匂いがしたら急いで火から遠ざけた。
「あちちちち」
熱々のパンを手にして軽く火傷し、レシアは痛めた指先を舐めながら慎重にパンを回収する。
夜中にこっそりとパンを食べている所を彼に気づかれたら、間違いなく叱られる。
とりあえず熱い物は熱いので、七色の球体の上にパンを置いて両手に息を吹きかけた
「くけ~っ!」
と、レジックが余りの熱さに目を覚まして騒いだ。
(C) 甲斐八雲
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