其の弐拾玖
「若」
「ん?」
「少し宜しいでしょうか?」
「ああ」
乗ってしまった船とばかりに対応に引きずり回されたミキは、ようやく得た谷間の休みで彼に声を掛けられた。
この世界ではクベー。
前の世界では宮田覚兵衛。
その腕を信じ、介錯を頼んだミキの家臣の一人だ。
彼も今回の騒ぎの当事者として街の有力者から説明を求められたが、子供を人質に取られていた事実もあって罪に問われることは無い。代わりしばらく自警団を纏める役目を押し付けられたのだが、その返答を保留している事実がミキを忙しくしている一端でもある。
二人は話の内容を他人に聞かれることの無い様に見晴らしの良い場所へと向かった。
街の中を護っていた自警団の暴走は色々な問題を引き起こした。
一番の問題はブクンを中心とした主だった者たちの借金だ。
自警団の地位を使った空手形的な借用は、その整理にしばらくの時間を費やすことは間違いない。
何より借金をした者の大半は逝き、生き残っている者だけでは一生を掛けても払えきれない。
残された家族たちにも回収の手が伸び、売れる物は何でも売ることになる。それこそ人であってもだ。
容赦のない行為だとも思うが、それがこの世界であり……前の世界とそう変わらない。
「それで何か用か?」
「はい。実は」
「断る」
「……まだ何も言ってませんが?」
「ふざけるなよ宮田。自警団の手伝いを断っている時点で明々白々だ。だから断る」
「……」
呆れた様子で苛立つ彼の表情にミキは軽く睨み返す。
「俺はただの旅人だ。今はな。この生活を悪く無いと思っているし、何よりレシアとの二人旅は……まあ色々と思う所もあるが悪く無い。その旅を邪魔するようなことはするな」
「ですが」
「俺はアイツとこの世界を回って、互いに高みの先を見ることを誓い合った仲だ」
「……」
「お前の供は要らんよ。もし何かしたいと言うなら……今まで迷惑をかけた家族に少しは恩を返せ。それと鈍ったその腕を最初から鍛え直しておけ」
主の言葉にクベーは何も言い返せない。
図星としか言えない痛い所を突かれた。
現実に絶望し、何より全てを捨てて酔えない酒に走った挙句に主に刃を向けた。
この場で腹を斬れと言われれば腹を斬らなければならないほどの罪だ。
だが……素直に斬るには未練があった。
苦悩する彼の表情にミキは軽い笑みを見せると、相手の肩を叩いた。
「あの頃とは違い家族を持って未練が生じたか?」
「……」
気心の知れる者との語らいは何不自由なく出来るので気が楽だ。
慌ただしいこともあり落ち着いて相手を見ている時間も無かったが、改めて見るとそれに気づいた。
「老けたか宮田?」
「自分はこの世界に来てもう三十数年。若が若すぎるのです」
「あっちではお前は三十手前だったな」
「はい」
「何で先に死んだ俺の方が若いんだか。深く考えても分からんことは分からんから諦めよう」
あっさりと思考を放り捨て、ミキは欠伸を噛み殺した。
忙し過ぎるのもあと僅かだ。馬車が移動を開始すればそれに飛び乗って逃げられる。
「何はともあれ、お前はあんなに良い家族が居るんだ。少しは父親らしいことをしろ」
「はい」
「それと剣の鍛錬はしとけ。宮本家に仕える者がそんな腕だと義父殿に知られたらこの世の地獄だぞ?」
「……若の様に木刀を振り回し追い駆けられるでしょうな」
「あはは。その不安が無いだけこっちの世界も悪く無いな」
伸び伸びと答える主からは、前に感じた押し潰されてしまいそうなほど背負っていた『宮本武蔵の養子』と言う重しは見えない。
年相応の表情を見せる彼は、あっちの世界で出会った頃にすら見せない清々しい笑みだ。
「住む場所が違うと、生きる過程が違うと……人の顔とはこんなにも変わるものなんですな」
「お前が言うなよ宮田。正直今でも別人かと思うほど老けて酷い顔をしているぞ?」
「私とて髭を剃って髪を整えれば」
「ならそうしろよ。少なくとも恥ずかしい格好はするな」
笑ってミキは頭を掻いた。
どう見ても自分の方が遥かに年若いのに……前の世界での関係は継続されたままだ。
「若」
「ん?」
「……」
言いづらそうにしている彼の様子に、ミキは全てを悟った。
そうか。やはり聞くしかないのか……と、彼は覚悟を決めた。
覚悟を決めても決心がつかない。
ミキは頭を掻いて、子供の様に地面を蹴った。
どこか懐かしさを感じながら、クベーは主の気持ちが決まるのを待つ。
昔と変わらない。あの日、あの時と同じだ。
「聴かせてくれ。全部を。……お前が知る全てを、幸のことを全て」
「はい」
そしてクベーは自身が知る全てを主人である若者に伝えた。
幼子の様に眠る彼の背を撫で、レシアは何とも言えない気持ちになっていた。
普段強くて賢い相手が初めて見せた姿は……何かに打ちのめされた弱い姿だった。
でもきっと彼は目を覚ませばいつもの様に振る舞うだろう。
それが彼の強さであり弱さなのだから。
「ミキ……」
自分の太ももを枕に、その腕はお尻へと回され抱き付かれている格好だ。
故に動くことが出来ず、彼女はその顔を悪しつつも相手の背を撫でる。
痺れた足が……泣きそうなほど辛いけれど、それでも彼女は我慢し続けられる。
だって大好きな人が自分を頼って甘えているのだから。
(C) 甲斐八雲
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