其の拾捌
「その子がお前の連れか?」
「ああ」
「……何でそんなに泣き顔なのかを聞いても良いか?」
「出来れば聞かないでくれ」
護衛の仕事を申し込んで食堂に戻ったミキを待っていたのは、これでもかと深々と頭を下げたレシアだった。
『勝手に泊まって来てごめんなさい』とらしくないほど素直に謝った。ので、ミキとてそんな態度を取る者を叱る言葉は持ち合わせていない。
素直に謝ることが出来たのだから許そうと思った矢先、ヒナが口を挟んで来た。
弟や妹の遊び相手になってくれたとか。母親の内職を手伝ってくれたとか……聞けば聞くほど本当にらしくないほどヒナの家族の為に色々していたらしい。
だからミキは素直に彼女を褒めた。
正しいこと。良いことをして来たのなら褒めるのが当然だ。
何より彼女は褒められると調子に乗ってそれを率先してやる傾向がある。ほとんど子供の躾と同じだが。
しかし今日に限っては乗った調子が別の方向へと向かってしまった。
調子づいてしまったのだ。
「私だってやれば出来るんですよ。ミキはいつも私のことを叱り過ぎるから何も出来なくなるんです。もっとこう今みたいに褒めてギュッととかしてくれて甘えさせてくれれば、私はもっと出来るんです!」
最近膨らみが大きくなって来た胸を大きく張って、偉そうに踏ん反り返ったレシアの様子を見て、ヒナは静かにため息を吐いて顔を左右に振った。
その様子は……諦めの極みだった。
「だからミキはもっと私を……あれ? ミキ? どうして右手を掲げているのですか? あれ?」
彼の手刀が彼女の脳天に振り下ろされたのは、そんな理由からだった。
「ミキとレシアか……レシア? 聞いたことのある名前だな?」
「そうか? 最近どこに行ってもそんな言葉を聴くな」
シュンと沈んで静かに座って居る彼女を見つめミキは軽く息を吐く。
どうやら褒め過ぎるのも良く無いらしい。その辺のさじ加減が本当に難しい。
腕を組んで何やら考えていた親方……ガゼフは、ハッと何かを思い出して顔を上げた。
「あれだ。あの男だ」
「あの男?」
「ああ。十数年前に北部から来た男が連れていた赤子の名前が確かそうだった」
「それか。どうやらその子があれらしい」
「彼女がか? 言われると面影が……全く無いな」
「乳飲み子だったらしいからな」
「確かに乳飲み子だった。男がそんな子供を連れて不思議に思っていたんだ。護衛たちが連れている女に『乳の出る者は居ないか?』とか聞いて回っていたな」
何処か懐かしむ様にガゼフは記憶を掘り起こす。
「ただ恐ろしく強い男だった」
「そうなのか?」
「ああ。あの男が居るだけで他の護衛なんて必要の無いほどの腕だった」
「……彼は何処から?」
「ザックリと説明を受けたぐらいだ。西部の生まれで闘技場に居た所を有力者に拾われて仕えていた。色々あって北部へ渡り、そして東部へとって話だったな」
「あの子のことは何か言って無かったか?」
地面に座り膝を抱えているレシアに生温かな目を向けミキは問う。
「自分の子供では無いと言ってたな。あと……この子は世界を救うとか何とか」
「前に聞いた話と同じか」
ディッグから聞かされた話とそう大差は無かった。だがガゼフはポンと手を叩いた。
「それと人を探しているとも言ってたな」
「人を?」
「ああ。何か良く分からん言葉だったが……確か『けんごうのむすこ』とか言ってたな。地名なのか人の名前なのかは知らないが、聞いたことが無かったから問われて『知らない』と答えた記憶がある」
「けんごう……?」
その言葉にミキははっきりと思い浮かぶ文字があった。
"剣豪"
自分が知る限りその言葉で呼ばれていたのはたったの一人。
義父宮本武蔵のみだ。
その息子となると……。
「その言葉を聴いたのは十数年前なんだな?」
「ああ。あの男と会ったのはそれが最初で最後だ」
「分かった。ありがとう」
ミキは相手に挨拶を済ませ、出発する前日に荷物を持って合流する段取りの説明を受けた。
『早く来て仕事を手伝ってくれよ』と笑う彼に別れを告げて、まだいじけたままのレシアの腕を掴んでその場から離れた。
「ちょっと……痛いです。ミキ」
「済まんな。少し急いでる」
「急ぐってミキ?」
彼らしからぬ気配にレシアは口を噤む。
どこか普段見せない"怖い"気配を感じて身が竦む。
そんな空気など纏っていないのに、どうしても彼のことが怖くなってしまった。
食堂に戻って来た二人は、出迎えたヒナに軽い挨拶だけで借りている部屋へと直進した。
部屋の中に半ば強引に連れ込まれたレシアは、扉に背を預けてこちらを向く彼に軽く恐怖した。
「ミキ……どこか怖いです」
「怖い?」
頭を掻いた彼はフッと息を吐き出す。
緊張か何か解らないが、自分が焦っていることだけは理解出来た。
「なあレシア」
「はい?」
「お前を東部に連れて来て育てた老人のこと……何か覚えてないか?」
「ん~」
問われて彼女は首を傾げる。
「思い出そうとすると思い出せないんですよね。こう……何でもない時に不意にフッと思い出すんです」
「大丈夫か? 頭?」
「今のは本気で悪意を感じました!」
落ち着いたのか彼の気配が普段の物に戻り、レシアの気持ちも軽くなった。
「でもヒナさんの所でこう……あれ? 色々と思い出したのに」
「また忘れたのか?」
「違います。あれです。ちょっと思い出せないだけです」
「それを忘れたって言うんだ」
「む~」
悔しそうに床を蹴る彼女に、ミキは近寄り抱きしめた。
「何でも良い。思い出したら俺に教えてくれ」
「……はい」
ギュッと抱きしめ返して彼女は小さく頷いた。
(C) 甲斐八雲
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます