其の拾漆

 ヒナは実家の前で焦っていた。


 昨日の夕暮れに、北西の方角で立ち昇った煙に気づいたのはレシアだった。

『山火事ですか?』と問う彼女に『あの煙は合図です』と教えたのはヒナだ。


 北部との交易ルートを行き来する隊商が街の近くに来たことを告げる合図の狼煙。

 それが立ち昇れば翌日の昼前には馬車が街に来る。それまでにお店に戻ると告げたのに……朝からレシアが居ないのだ。


 置いて帰っても問題無い。

 ここ数日姿を見せていない父親などは、酒を求めてちょくちょく来る距離だ。

 いざとなれば母親に頼んで父親に連れて来て貰っても良い。酒代の代わりにそれぐらいのことをしてくれても罰は当たらないはずだ。


「おねーちゃん」

「なに? ツルギ」

「今度はいつ来るの?」


 どこか不安げな表情を見せる弟の前でしゃがんでその頭を撫でる。


「今回の馬車が街を離れて……」


 と、彼女はそのことを思い出した。

 隊商が来たと言うことは、その商品を仕入れて王都に向かう為に『彼』が戻って来ることを意味している。無事に帰って来たのならささやかではあるが"祝言"をあげることになっている。


 一瞬言葉を詰まらせたヒナは、そっと弟を抱きしめた。


「仕事が落ち着いたらまた必ず来るから」

「やくそくだよ?」

「うん」


 背後から自分もと言いたげに抱き付いて来た妹に辟辟しながらも、ヒナはもう一度弟の頭を撫でて立ち上がった。


 お祝いの席であっても彼女としては余り家族を呼びたくは無かった。

 目出度い日だし、本来なら呼ぶべきだと理解しつつも……彼の"家族"に自分の家族を見せるのが恥ずかしかった。


 ヒナとて貧しいことが悪いとは思わない。

 自分はその貧しい生活の中で育ったのだから……でも。


 弟と妹の相手をしながら待つこと暫し、ふら~っと軽い足取りでレシアが戻って来た。


「レシアさん」

「はい?」

「街に戻りますよ」

「……どうして?」

「はい?」


 昨日説明したはずなのに……戻って来た彼女は、本気でその言葉に納得していない様子だった。

 何だか普段から彼女の相手をするミキがピリピリしているのが良く分かる。


「わたしは仕事があるからもう戻らないといけないんです」

「はい。それは昨日聞きました」


『だから?』と言いたげな彼女の様子にヒナは本気で苛立った。


 まさか本当にこのまま実家に居座る気なのか?


 このまま帰って彼に事の次第を告げて怒って貰った方が速いかもと真剣に考えだす。

 と、こちらの様子を窺っていた彼女が……その顔を一気に青くして慌てだした。


「ダメです。ミキに言うのはダメです!」

「……?」

「ミキを呼ぶのはもっとダメです。絶対に怒られますから!」


 突然怯え始めた彼女の様子に……ヒナは便乗することにした。


「一緒に帰らないなら言いますよ?」

「帰ります」

「そもそもここに来ることをミキさんは知ってるんですか?」

「言いました。ちゃんと『ヒナさんの家に行く』って言ったはずです」

「泊まることは?」

「っ!」


 その言葉にレシアが凍り付いた。


 何も言ってない。

 ついヒナの家族の暖かな空気が気に入って泊まっていたが、外泊することなど彼に言ってない。

 これは間違いなく……


「にゃ~ん! 絶対にミキに怒られます!」


 頭を抱えてしゃがみ込んだ彼女は、恐怖に震えていた。

 その余りの可哀想な姿に……幼い妹ですら不安になって彼女の背中を優しく撫でだした。


 無断外泊は良く無いと思ったが、たぶんちゃんと説明すればそんなに怒らないだろうとヒナは何となくだが思っていた。


「一緒に帰ってくれるならわたしがちゃんと説明します」

「帰ります。さあ帰りましょう!」


 飛び起きてヒナの手を掴んだレシアは、グイグイと彼女の手を引いた。


「ああちょっと……ツルギ。ハナ。ちゃんと家の中に居てね。また来るから」

「は~い」


 返事をする弟と手を振る妹に別れを告げてヒナは引きずられる様にして街に向かった。




「大丈夫です。ちゃんと説明しますから」

「約束ですよ。ミキは怒ると本当に怖いんです」


 腕に抱き付いて来る彼女はまだ震えていた。

 余計な荷物を腕に纏わせ、ヒナはため息交じりに街へと急ぐ。


「おや? クベーさんところの?」

「こんにちは」

「ああ。あっと……そっちは通らず少し遠回りして行ってくれるか?」

「はい。お仕事頑張ってください」


 何やら穴を掘る道具を手にした男たちと挨拶をし、ヒナは言われるがまま普段歩く道から逸れた。

 と、何度も振り返り首を傾げるレシアに彼女は口を開いた。


「街の外を見張っている自警団の人たちですよ」

「あれですよね? ミキの所に来てる盗賊の人たちですよね?」

「盗賊? 確かに強面な感じですが、あの人たちは盗賊なんかじゃ無いですよ」

「でもでも……あの人たちは嫌な空気を纏ってます。あれは人を殺した人が纏う物です」


 気配や感情、自然現象などが他人とは違う形で見えるレシアには、彼らが纏ったままになっている『殺された者の嫌な気配』がはっきりと見えた。

 共に居るミキがそれを纏っていないのは常に彼女が鎮魂しているからだ。

 それが無ければミキとて幾重も纏う事になる空気が確かに見えた。


「街を護ると言うことは、そう言った荒事もあるんです。彼らが盗賊や山賊と戦ってくれるからあの街は平和なんですよ」

「そうなんですか?」

「はい。それにわたしたちに『遠回りしろ』と言ったのも、自分たちが斬り殺した賊の亡骸を見せない為なんです」

「……」


 良く良く目を凝らせば、確かにその様な空気がレシアの目に見えた。


「あの穴を掘る道具も亡骸を埋葬する為なんです」

「良い人たちなんですね」


 自分の見立てが間違っていたことを知ったレシアは、後でミキにちゃんと告げることを心に誓った。

 だがその言葉を向けられたヒナは……寂しそうな顔で呟いた。


「そうですね。お父さんが始めたことらしいですけど」

「えっ?」

「わたしが生まれる前の話です」


 それっきりヒナは店に戻るまで口を開かなかった。




(C) 甲斐八雲

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る