其の拾

 借りている食堂の部屋は、もともと住み込みの従業員用に準備されていた物だ。

 最近まで使っていたヒナが引っ越して以来、空き部屋になっている場所でもある。


 部屋にはベッドと小さなテーブルと椅子だけだ。あとは部屋が狭くて家具などが置けない。

『着替えとかはどうしてたんだ?』と元住人に聞けば、『籠に入れて部屋の隅に置いてました』との返事が戻って来る。


 クラスには確かに狭いが、寝床で文句を言わないのがこの二人の長所だ。

 荷物を部屋の隅に全て積んで置いて、前の住人の生活の知恵をそのまま借用することにした。


 ミキは大きく息を吐いて、肩に乗せている荷物をベッドの上に降ろした。

 ゴロっと転がったレシアは、服を開けさせ普段隠されている物を曝す。そのことに気づいていないのか、彼女は何故か手足をばたつかせてベッドの上で暴れる。


「静かに飯を食ってると思ったら、酒を飲んでいたのか?」

「んみゅ~。知らないれふ~。甘くて美味しかったんれふ~」

「酒はもう飲まないとか前に言って無かったか?」

「でも少しなら薬だってミキが言ってまちた~」

「そうだったな」


 確かに言ったのでこのことで強く叱ることは出来そうにない。

 ミキはベッドの端に腰を下ろすと、縫っている糸がほつれ布地が剥がれている部分に手を置く。


「む~。ミキ~。そこは触っちゃ嫌れふ~」

「布が取れてるぞ」

「触るのは嫌です~」

「見えてるぞ?」

「ん? ミキなら良いですよ~。私はミキのモノです」


 体を起こしたレシアはそのままの勢いで彼に抱き付いて来る。

 首に腕を回し酒の匂いをまき散らしながら、これでもかと頬を寄せて甘える彼女に……ミキは軽くため息を吐いた。


「酒臭い」

「酷いです~」

「事実だ」

「……うりうり」


 頬を擦り付けて来る彼女が煩わしくなって、ミキは相手の脇の下に腕を回して軽く持ち上げて落とす。

 ベッドの上に寝かされる格好となったレシアは自分の上に覆いかぶさる相手を見て、何とも言えない初めてな感覚に襲われる。


 心臓が痛いくらいにドキドキと言って……耳の奥がキィーンと鳴った。


「ミミミミキ」

「ん?」

「あれです。良く分からないんです」

「何が?」


 そっと覗き込む様に顔を近づけて来る相手に、レシアは自分の顔から火でも出るのかと思うほど熱くなるのを感じた。

 パクパクと何度か口を動かし、彼女はどうにか言葉を吐き出した。


「何かすごく恥ずかしいです!」

「……そうか」


 フッと笑った彼が優しく頭を撫でてくれ、レシアは恥ずかしさと嬉しさでとにかく幸せな気分に浸る。


「ミキ」

「ん?」

「これが幸せなんですかね?」

「……そうだな」


 何故か寂しそうな表情を見せた彼が顔を起こしてそっぽを向く。

 小さく首を傾げたレシアは、微かにその声を聴いた気がした。


『サチはどうなったのだろう……』と寂しそうな空気も目に映りながら。




「騒がしいほどに煩いな」

「仕方ないですよ。これがこの街の一番の稼ぎ時の合図ですよ」

「そうだろうな」


 前日とは打って変わって店の外には多くの馬車がやって来ている。

 それは全て街の東から来た商人たちの馬車だ。

 どれもが西から来る馬車を待ちながら、各々商売の準備を始めている。


「西から来る隊商はどれぐらいこの街に滞在してから戻るんだ?」

「天気の都合もありますが、だいたい七日から十日ぐらいです。馬と人が十分に休息を取ってから戻るみたいです」


 仕込みの準備で根菜の皮を剥きをしながら、話に付き合ってくれる彼女の手伝いをするミキも皮を剥いていた。

 この手の作業は闘技場の雑用をしていた頃には良くやらされた仕事の一つだ。

 ナイフ一本で朝から晩まで皮を剥き続けるなんてことは本当に良くやらされた。


「む~。ミキがとても器用です」

「お前は黙ってそこの丸いのを押さえてろ」

「は~い」


 刃物を嫌う彼女は、机の上を転がっている七色の球体を両手で押さえて頭の上に乗せた。

 ヒナはその不思議な存在に物珍しそうな視線を向けたが、お客さんである彼が凄い勢いで皮を剥いている事実に気づいて作業に戻る。確かにレシアが言う通り本当に速い。


「今日到着するのか?」

「いえ。こちらの商人は早く来て商売の準備を始めるのです。でも彼らが来たのであと数日もすれば到着すると思います」

「なら長くても十日もすればこの街を出れると云う事か」

「手続きは?」

「昨日無事に終えた。これでも登録を済ませてある正規の商人だからな」

「そうでしたね。商人なのに護衛で仕事を得るのも変な話ですが」

「俺の場合は所持金を持って歩くのが面倒臭いだけだ。金なんて必要な時に必要な分があれば十分だ」

「……羨ましい話ですね」


 少し疲れた様子で彼女が息を吐いた。


「稼ぎが足らないのか?」

「いえ。二人だけでしたらどうにか」

「ん?」

「実家に少し入れているので」

「そうか。それは大変だな」


 仕事の手伝いを出来てもそっちの方の手伝いはする気にならない。

 施しなどは一時の潤いを与えるだけで、問題の解決にならないことをミキは良く知っていた。


「両親はどんな仕事を?」

「……お母さんは畑仕事をしながら簡単な内職を。お父さんは……」


 一度声を詰まらせた彼女は、彼から目線を外した。


「朝から晩まで酒に酔っているだけの人です」

「そうか。それは大変だな」


 軽く受け流しミキは最後の根菜に手を伸ばした。

 何故かレシアが不思議そうな目でヒナを見つめていたが。




(C) 甲斐八雲

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