其の弐拾玖
身の丈は十三尺(約4m)余りか、その足取りはゆっくりとしている。
だが不思議なことに木々の枝が通るそれを避ける様に動き道を譲る。
静かに優雅に……たぶんレジックであろうその大き過ぎる二足歩行の鳥は近づいて来た。
頭を抱え震えるレシアは、しゃがんだまま恐怖に支配されている。
ミキはその恐怖と戦いながら、鉛でも纏わり付いたかとしか思えない重い手足を必死に動かし……大型のレジックとレシアの間に立った。
絶対に彼女だけは護ると決めていた。故に逃げるなどという考えは最初から無い。
ジロリと向けられただけの無機質な瞳に押し潰されそうな圧を感じる。
体全体を上から押し付けられたような重さに膝から崩れそうになる。
(舐めるなよ鳥が!)
己の中で気持ちを高ぶらせて必死に相手を睨みつける。
分かっている。相手がほんの気まぐれでその太く立派な嘴で啄もうとすれば……ミキの頭など簡単に食われてしまうことを。
それでも睨む。強者を前に置いての戦いなど、過去の自分はどれほど体験したことか。
欠伸交じりでだらりと構える相手に恐怖して逃げたくなるのを、どれほど恥ずかしく思い鍛錬に勤しんだことか。
(逃げられないんだ!)
自分の背後にはあの時と違い……安い矜持では無くて、命を賭して護るべき人が居る。
たとえ相手が閻魔の類であってもミキはその腕が動く限り斬る覚悟でいた。
と、不意に全身を包む圧が消えた。
ミキは手足が動くのを感じ、騒ぐグリラの声に気づいた。
彼らも動けるようになったのだろうか……我先にと仲間を押し退け逃げようと争っている。
だが恐怖から一か所に集まっていたのが悪かった。一匹が転ぶと仲間を巻き添えに複数が転ぶ。
咄嗟に逃げられたのは外周に居た若いグリラが両手で数えられるくらいだ。
「くっ!」
また頭上から圧がかかる。
逃げ遅れたグリラも苦痛に顔を歪ませて地面に這いつくばった。
それを見ていたミキはあることに気づいた。
『今レジックは、グリラを逃がしたのでないだろうか?』と。
塊となっていたグリラの外周に居たのは、若そうな個体ばかりだ。
基本臆病な生き物に見える彼らは、年老いたものから塊の中心に居た可能性が高い。自分の安全をより一層確実にするために。
それがあだとなって老いたものは地面に倒れ死が近づくのを見ている。
(餌となる次の代を逃がしたのだろうな)
そう考えるのが妥当だ。つまりこれがレジックの狩りなのだ。
圧倒的な力の差を見せつけ一方的な暴力で自分より大きな獲物を狩る。
人には出来ない狩りではあるが。
「ん?」
頬に何やら刺激を受け、顔を巡らせたミキはそれと目を合わせた。
肩の上に止まっている雛の様にすら見えるほど小さいレジックだ。
可愛らしく首を傾げたそれは……その小さな嘴で彼の鼻を突く。
ツンツンと突かれ、不意にミキは理解した。痛みが無いのだ。
確認する様に口の中で唇を噛む。だがやはり痛みは無い。
(そういう事か)
仕掛けは分かった。
だが自分がどうして痛みを感じなくなったのかは分からない。
考えられるのは……たぶん何かしらのまやかしだ。
妖術や幻術と呼ばれる類の術で今の自分は支配されているのだ。
昔に読んだ書物では、毒を飲ませてその様な幻覚を見せる行為があったと記されていた。
しかしグリラと戦っていた自分は何も飲んでなどいない。それはレシアも同様だ。
この場に居た者が共通で口にした物……。
ミキはある可能性に気づき、息を止めて目を閉じた。
とにかく心を落ち着かせて……まずゆっくりと目を開く。
すると辺りにはキラキラと輝く黄金色の粉が舞っていた。
視線を巡らせるとそれは、枝に留まっているレジックが羽を動かし撒いているのが分かる。
その姿は滑稽で可愛らしいが、惑わされた身としては腹立たしくもある。
(こういう事か)
漂う黄金色の粉を吸い込んでいたことで幻覚を見せられていたのだろう。
気づけば簡単な仕掛けだった。
そろそろ息も苦しくなって来たので、ミキは振り返りしゃがんだまま震えている彼女の腕を掴んだ。
ビクッと全身を震わせ怯える相手を無理やり立たせる。
両腕を動かし抵抗を見せる相手を抱き寄せてその唇を合わせた。
数度互いの肺に空気を通わせ呼吸を整える。
ゆっくりと唇を離すと、何故かレシアの表情が蕩けていた。
「困ったことに息が出来んな。口を覆えば平気なのか?」
「ふぇ?」
「良いからお前の服から布を外せ」
お腹辺りの布を取り外して、軽く振ってから相手の口元に巻く。
自分の分の準備を終えた時……ミキも流石に息苦しくなって呼吸をする。
一度二度と大きく息をするが、不快なことは起きない。
どうやら対処法としてはこれで間違ってい無かった様だ。
「ミキ? 何がどうしたんですか? あれは? あの怖い気配の……あれ~?」
「説明してもお前が分かるとは思えんが、俺たちはこのレジックに騙されてたんだ」
「騙される?」
ミキは肩に乗ったままの小さなレジックを掴んで、彼女の頭の上に置く。
掴まれて運ばれたことに対する抗議が、レジックは羽を広げて嘴を開いた。
「コケーッ!」
「鳴きましたよミキ!」
「って鶏の様に鳴くのかよ」
呆れを通り越して疲労すら感じる中、ミキはグリラの方へと目を向けそれを見た。
枝の上に居たレジックたちが、羽をばたつかせて地面に降りると……トコトコと恐怖におののき動けなくなっているグリラの喉元に嘴を突き立てたのだ。
どれもこれも一撃で絶命して行く。
確かにあの嘴に触れられれば死が来るのだなと、ミキは納得した。
(C) 甲斐八雲
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