其の弐拾弐
もう一度鞘の上から刀を叩いたミキは、思考を巡らせ最善の手を決めた。
「レシア。カロンを抱いて村まで走れ」
「うぇ?」
「品の無い声を出すな。不平と不満は後で聞く……死なせたくなければ黙って行け」
「はい」
だから食料など置いてくれば良かったと言うのに、荷物を背負いカロンを抱いたレシアが泣きそうな表情を浮かべて歩き出した。
一、二、三歩目でその姿が掻き消え、視線を向けていたディッグが驚きの余り目を剥いた。
「何だ? 今のは……どうして人が消える!」
「消えてはいないさ。今も来た道を歩いている。ただ俺たちの目にはそれが映らないだけだ」
「映らないだと?」
「ああ。力の強いシャーマンが使える技だとさ」
懐を漁り投げナイフを確認しながら、ミキは軽く首を鳴らして脱力する。
レシアなら相手の距離を上空から見ているかのように捉えることが出来るが、そんな力の無い自分は……ただ相手が襲いかかって来る気配を感じるまで待つしかない。
「アイツは馬鹿だが運だけは恵まれている。無事にカロンを村まで届けるさ」
「そうか……」
力の無い返事に、ミキは抜刀して剣先をディッグの顎先へと向けた。
余りの速さに反応出来なかった彼は……その目を静かに向けた。
「何の真似だ?」
「やはりな。今のお前はただの置き物だよ」
「何だと?」
「斬る価値も無い人形だ」
カッと込み上がって来た怒りに、ディッグは一歩足を進める。
その動きに合わせて刀を引いたミキは、冷めた目で相手を見つめた。
「……自分の生き死にの理由に子供を使うな」
「何を?」
「お前は死にたがってなど居ない。生きたいんだ。誰よりも人一倍にな」
刀を鞘に戻しながら、ミキはまた軽く首を鳴らす。
「どうもこの村に来てから色々と別のことを考え過ぎていた。落ち着いて考えてみればお前の命を狙っている者など誰一人……ああ。グリラが居たか。でもそれだけだ」
「……」
「なのに何処かの狩人は自分の命が狙われていると確信めいて言っていた。何故か? ただの思い込みだよ」
軽く頭を掻いてミキは言葉を続けた。
「死にたい人間は狙われていたとしてもそこまで過剰に反応しない。だがお前は過剰なまでに反応していた。何故だ?」
「……カロンが」
「だから子供を使うなよ」
ピシャッと告げられた言葉にディッグは口を閉じる。
「カロンが巻き添えになるから? 違うな。村人とて馬鹿では無い。本当に狙うならお前が一人の時だろうさ」
「……何が言いたいんだ!」
耐えられず声を張り上げた彼に、ミキは本当に面倒臭そうに口を開いた。
「だから言ってるだろ? 子供を使うなってな」
「言葉の意味が分からん! からかっているならこの場で撃ち殺すぞ!」
「吠えるなよ。グリラが群れで襲って来るぞ?」
「……」
顔を真っ赤にして激高している相手に、やれやれと言わんばかりにため息を吐く。
ミキは空を見上げた。
「だから言ってるだろう? お前は死にたくないんだよ。それは何故か? その言葉を俺の口からきかないほど……お前は馬鹿なのか?」
「……」
「まあ良いさ。他人の問題に足を突っ込むのもここまでだ。ただカロンが泣くようなことはするな。あの子が泣けばレシアも泣くからな」
「……」
苦々しい表情を浮かべ、ディッグはここに居たくないとばかりに歩き出した。
「行くならついでに群れの長の首を取って来てくれ」
「何処に居るのか分からんわ!」
「だから賢くて狡猾な相手なんだろう? 俺たちから見て真正面に居るに決まっている」
「なん、だと?」
「簡単なことだ。俺たちが進んでいた進行方向……つまり一番グリラが待ち構えているであろう場所のその奥が最も安全な場所のはずなんだ。変に知恵を持つ者は必ずそこに居る」
ゆっくりと振り返り自然体で立って居る青年を見たディッグは、初めて相手の底知れぬ恐ろしさを感じた。
腕は立つであろうことは分かっていた。だがそれ以上に恐ろしいのはその知略だ。
どこかの国に仕えて学んでいたとしか思えないほど相手の知は優れている。
「お前は……一体何者なんだ?」
恐ろしさの余り、微かに唇を震わせてディッグが問う。
「俺か? 俺は
自虐的に笑ってミキは刀を抜いた。
「長の首を狩って来い」
「だがグリラが群れを成して」
「気にするな。行って狩って来い」
「だが」
「くどいぞ」
スッと息を吐いてミキは片手一本で刀を構える。空いている左手は懐の中だ。
「ここから先は行かせんさ」
「何故言い切れる?」
「惚れた女がこの背の後ろに居るんだ。なら一匹たりも通す訳には行かないだろう?」
しれっと答えてミキは一歩踏み出した。
「ここは俺が預かる。だから長の首でも取って来い。そうすれば……何か違った物が見えて来るんじゃないのか?」
「……」
ギュッとボウを握り締めたディッグは、横道へと消える様に走って行った。
本当に年寄りは頑固で偏屈者が多い……と、知り合いに聞かれたらどれほど小言を言われるか分からない胸の内に苦笑して、とりあえず出会い頭に飛び出して来たグリラの首を飛ばした。
「ハッサンだけには文句が言えんな。本当にこれは良く斬れる」
獣毛など物ともしないで刃はグリラの肉と骨を断つ。
「これならどうにかなりそうだ」
(C) 甲斐八雲
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