其の拾陸
川から離れた場所に腰を下ろして、近くの石を引っ繰り返す。
石と地面との間に居る虫を捕まえて釣り針に差すと、それを川面へ向かい流れる様な動作で送り出す。
あたかも水面に偶然落ちた虫が沈んで行く感じで糸を垂らし、あとは釣竿の先端から伝わって来る微かな動きを待つ。警戒心の強い魚は、人の気配を感じるだけでも水面深くに潜ってしまう。だから出来るだけ離れて……息を殺して気配を消す。
ただゆっくりと竿を動かしては餌を確認したり、当たりに合わせたりして時を過ごす。
こんな風にのんびりするのはいつ以来かと思い起こし……ここ最近は常に騒がしいのが近くに居るからずっと前だなと結論を出した。
本当にレシアが傍に居ると騒がしい。
生来煩いのは好きでは無いが、彼女だから我慢も出来るのだろう。
何より見てて本当に飽きないのだからしょうがない。
惚れた弱みだと思い……苦笑いして竿を動かす。
「用があるならさっさと声を掛けたらどうだ?」
「釣りの邪魔をするのは悪いかと思ってな」
「背後に立たれて見つめられている方が遥かに邪魔だよ」
戻した針から魚を外し、餌を確認してまた放る。
無事針が水面に届いたのを見て、ミキは自分の背後に視線を向けた。
その目が緊張から細まる。
「気のせいか最近似た様な顔を見たんだが?」
「ならば兄のディッグでしょうな。貴方が彼の家に居ることはすでに伝わっている」
「それはそれは。で、弟さんがレジック探しをしている旅人に何か?」
ミキは言葉を投げかけ相手の観察に徹した。
背丈や容姿などは確かにディッグに似ている。ただ決定的な違いがあるとすればその風格だろう。
ベテランの狩人が放つ気配を彼は持っていない。居るのは年老いた強面の男性だ。
ジロリと座るミキを下から上へと睨みつけ、彼は口を開いた。
「頼みがある」
「兄を殺せと?」
「……」
「図星か」
戻した竿から魚を外してまた放る。
ミキとしてはこうなるのを望んで村の中をゆっくりと歩いて来たのだが。
ただ釣れたのが彼の弟で、迷うことなく殺害依頼とは思っていなかった。
それ故に興味を覚えた。
「何故実の兄を狙う?」
「それを説明するには……場所を変えたいが宜しいか?」
「構わんがもう少し待ってくれないか」
「……」
竿を戻してはまた放る青年に、彼は深く息を吐いた。
「ここの川の魚は釣れないで有名なんだがな」
「要は釣り方だろ? 闇雲に近くで釣るから釣れないのさ」
「確かにな。で、川の魚を根こそぎ釣るまで待てば良いのか?」
「いやもう十分だろう。話のあてに焼き魚があるのも悪くないだろう」
桶から尾びれを覗かせるほど釣ったミキは、クルクルと竿に糸を絡めて立ち上がった。
「お前は釣りの名人か何かか?」
「釣りは好きじゃないんだよな。ただこれぐらい釣れる程度には感覚は鈍っていないらしい」
「……まあ良い。こっちだ」
歩き出した彼の後をミキは静かについて行った。
パチパチッと爆ぜる薪に串に刺された魚が焼かれる良い匂いが広がる。
案内された場所は、このテイの村の村長の自宅だった。
つまりディッグの弟、ゼイグが現在の村長なのだ。
つまみばかりでは何だからと彼が薦めて来たのは酒だった。
口に含んでみると、芋を原料にした一般的な発酵酒だ。無骨な手作り感がして悪くはない。
チビチビと飲みながら視線は魚に向けて相手が切り出すのを待つ。
椀に入れた酒を一気に煽った彼は……深い息を吐き出した。
「ディッグを殺して欲しい」
「訳から聞こうか?」
「アイツがグリラに手出しをしているせいで」
「建前は要らないよ。本音を聞きたい」
話を遮り打ち込んで来たミキの言葉に、ゼイグはまた深く息を吐いた。
「アイツが望んでいるからだよ」
それは罪の告白にも似た響きがあった。
「望んでいる?」
「ああ。この村の近くにグリラが居るのは全てアイツのせいなんだ」
「……話が見えんな」
「順を追って説明するぞ」
テイの村にはディッグと言う腕利きの狩人が居た。若くて村人たちからも頼りにされたその者は、叔父から村長の地位を譲り受けこの村の為に身を粉にして頑張り続けた。
若くて働き者の彼は、娘たちから求婚されるほどモテていた。だが決して結婚はしなかった。
「何故?」
「子を成せんのだ。子供の頃に獣に股間を蹴り潰されてな」
「それは男として色々と同情したくなるな」
「確かにな。でも潰れたのはぶら下がった物だけだ」
「聞いてると縮み上がるから話を続けてくれ」
長となった彼は、いつも通り兄弟や親戚を連れて狩りを行っていた。
そしてそれと出会った。数匹のグリラだ。
相手がこちらに気づいていないからと、兄であるディックの制止を無視して放った弟の矢が化け物に刺さり、怒り狂った化け物と乱戦になってしまった。
ディッグの奮闘もあり、多数の死者も出たがグリラを全て狩ることが出来た。
だがその時……兄と弟の間に大きな亀裂が生じてしまった。
制止を無視した結果、家族を失うことになってしまったのだから。
「言い訳はせんよ。あの時の儂は、兄より働ける所を家族に見せたかったのだ」
「小さな自己主張と自己満足が家族を壊した訳だ」
「きつい言葉を簡単に吐きよるわ」
鼻を鳴らして彼は怒りを沈めた。
「だがあの時……誰も気付いてなかったんだ」
「何を?」
「ディッグが子供のグリラを匿ったことを」
(C) 甲斐八雲
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